襲来
有希が留学して2か月ほどたった頃、新婚旅行を兼ねて清花と高志の夫婦がやってきた。
「有希ちゃん!」
「お姉ちゃん!」
清花は有希に駆け寄った。
「お姉ちゃんと高志君、自力でここまで来たの?」
「添乗員さんが親切で行き方を教えてくれたんだよ」
「あ、そうか、添乗員さんいるんだ」
「雅之君が添乗員付きのツアーのほうが安心だって教えてくれたよ」
また雅之かと思ったが、有希は顔に出さないようにした。
「有希ちゃん、そんな顔しても、マサ君は、新婚旅行の邪魔しちゃいけないからって一緒に来てくれなかったよ」
「え?そんな顔って、どんな顔?」
また雅之か、と思ったのが顔に出ないようにはしていたが、どんな顔だったのか、有希にはわからなかった。
「マサ君に会いたそうな顔!」と、言った次の瞬間、清花が固まったのを見て、有希は、自分が露骨に嫌そうな顔をしたらしいことを察した。
ちょうど、二人が自由時間の日にしていた日はハロウィンの日だったので、有希は友人の家のハロウィンパーティーに清花と高志を連れていくことにした。
清花は英語はからっきし話せないはずなのに、その笑顔で、どんどん輪の中に溶け込んでいった。
高志は清花の隣で通訳しながら一緒に溶け込んでいる
有希は人見知りするので、やっと、友人の輪に溶け込めたというのに、この二人の、とりわけ清花のコミュニケーション能力はすさまじいものだと有希は感じた。
ハロウィン以降友人たちは、有希が親しみやすい人物だと気づいたらしく、有希の交友関係は広がった。
同時に有希に言い寄ってくる男性が増えてしまったが、有希は、折角留学に来たから学びたい気持ちが強かったし、どの男性にも魅力を感じなかったので、日本に彼氏がいるからと断ってきた。
こういう時に、偽の恋人であった雅之の存在は便利だった。
彼氏がいるといいながら、人物像が抽象的であると、本当はいないことがバレがちだが、雅之を彼氏ということに仕立てておけば、具体的に話をすることができるのだ。
雅之のことを話す有希の様子を見て半分の男性は諦めてくれたが、残りの半分はなかなかあきらめが悪かったが、やがてそれも収まった。
それもそのはず、最後に有希をあきらめきれていない一人がとんだ曲者だったのだ。
クリスマス休暇に入り、学生の大半は、実家や恋人と過ごすために、大学に通っては来なかったが、有希はお金がもったいないし、人がいないほうが勉強がはかどるからと、バイトの傍ら大学の図書館に通うのが日課になっていた。
「有希、もうすぐクリスマスなのに、恋人のもとには帰らないのかい?」
彼こそが、有希に言い寄る男性を一掃してくれた恩人であるとともに、有希の頭を悩ませている張本人だった。
「彼も、勉強で忙しいから」
事実、雅之も現在、警察官の試験のために勉強していると言っていたので、嘘ではない。
「有希よりも勉強を取る男なんてやめて俺にしろよ」
「私も私で、彼よりも勉強を取っているからお互い様よ、ちょうどいいバランスなのよ」
「クリスマスくらい、楽しんでもいいと思うぜ」
「ちょ……ダニエル!」
ダニエルと呼ばれた男性は有希の肩を抱いて、有希のノートを閉じた。
ダニエルは、この大学の理事長の孫である。
その権力を使って、有希に近寄る男性すべてを排除してきた。
有希は、何かと波風を立てないように逃げてきたが、今日はさすがに来ないだろうと油断したのがまずかったらしい。
穏便に断らないと、退学に追い込まれそうなのに、穏便に断っただけでは諦めてくれない、厄介な相手だ。
諦めなければならないことも世の中にはあるものだな、と、有希は悟った。
有希の肩を抱き寄せたダニエルの顔が近づいてくる。
犬に噛まれたと思うしかない。
犬もそんなに好きではないし、ダニエルもそんなに好きじゃないのだが……。
「有希?」
ダニエルの唇が触れる直前に、図書館の扉が開いた。
ダニエルがはっとして振り返った瞬間に、有希を抱き寄せていた腕の力が抜けたので、有希は慌てて、扉のほうに駆け寄った。
「有希!」
「マサ!」
そこには雅之がいた。
ほっとして雅之に駆け寄ったのもつかの間、雅之は、有希を抱き寄せると有希にキスをした。
そして、有希の耳元で、「消毒」と言った。
いやいやいやいや、消毒って、意味が分からないんですけど?
「有希の荷物、あそこ?」と、涼しい顔で、雅之は、有希が座っていた机に歩いて行った。
何となく、ダニエルの近くによるのが怖かった有希としては、かなり助かった。
有希の荷物を取りに行った雅之は、ダニエルに微笑みかけて、何かを話しかけている様子だったが、不意に、「本は、借りていくの?」と有希に話しかけてきた。
タイミング的に、きっと、そこにいたダニエルに、図書館の本の借り方でも聞いていたんだろうかと思うながら、今日はもうそれどころじゃなさそうだと、有希が首を横に振ると、雅之は手早く荷物をまとめると、有希の荷物を持って戻ってきた。
そして、雅之がそのまま図書館を出ていったものだから、有希は慌ててその後を追った。
雅之を追うのに必死だった有希は、ダニエルの顔が青ざめていたことに気づいていなかった。
「ちょっと、マサ、荷物!」
「アパートまで持ってくよ」
「て、ていうか、なんで、ここに?」
「冬休みだったから、有希が戻ってこないってお姉さんたちも悲しがってたし、サプライズ訪問……かな?」
「はあ……」
そういえば最近、テレビ電話をしているときに、清花が何か企んでいそうな顔をしていたなと有希は思い出した。
「ていうか、何でキス?」
「だって、消毒が必要かなって」
「消毒必要ないし、ダニエルとはキスする直前でマサが入ってきたから何もなかったのに……」
「じゃあ、もしかして、今のがファーストキ……うっ!」
言いかけた雅之の脇腹を有希が小突いたのは図星だったからだ。
真っ赤になった有希を見て、雅之は微笑んだ。
「そもそも、友達同士ではキスしないでしょう?」
「ガールフレンドだから大丈夫でしょう?」
「は?」
友達ってそういう……。
気が遠くなりかけて天を仰いだ有希を雅之が抱き留めた。
「お姫様抱っこでアパートまで行く?」
「歩けるわよ!」
雅之を置いてずんずん歩いて行った有希を雅之は笑顔で眺めた後、小走りで追いかけた。
「仮に、そういう意味の友達だとしても、仮だから、偽物なんだから、今後一切キスは禁止!」
追いついてきた雅之に、有希は怒った口調でそう言うと、再び歩き出した。
そして、数分後、雅之が有希のアパートに泊まる気満々だったことを有希は知るのでした。




