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食えない男

 清花と高志の結婚式が終わると、清花の荷物は徐々に、有希の家から高志の家に運び込まれていった。

 有希が留学する前に、高志との生活に慣れたほうがいいと、有希が提案したのだ。

 自分で提案したことではあったが、だんだんと清花の荷物がなくなり、有希も留学に備えて徐々に荷物をまとめていたため、だんだんと部屋が広く感じられていった。

 結婚式から1カ月ほどたつ頃には、清花のほぼすべての荷物が高志の家に運び込まれ、清花も、高志の家で寝起きするようになった。


 寂しくないと言えば嘘になるが、留学したら、これが日常になるのだし、留学するのは自分だからと、有希自らが希望して選んだ道だ。

 だが、そればかりも考えていられなくなった。

「兄貴が結婚してから、居場所がないんだよね」

 そう言って、雅之が転がり込んできたのだ。

 ただでさえ、赤の他人に毛が生えたくらいのニセ恋人なのに、居座られても、正直困ると有希は感じた。

 それに、留学を機に、ニセ恋人の関係も解消しようとしている有希にとってはかなり不都合だった。

「実家も近いんでしょう?帰ったらいいじゃない」と、有希なりの反抗もしてみたが、「ちょっと親ともめてから、今、不仲だから」と、涼しい顔をして雅之はそのまま有希の家に居座っていた。

 しかも、いつの間にか、清花と高志の夫婦だけでなく、管理人や鈴村一家とも仲良くなっていて、有希としては追い出しにくくなっていた。


 だが、あまりにも当然のように家財道具を運び込んでくるものだから、ある日有希は我慢ならなくなって雅之に言った。

「ちょっと、マサ、私、もう一カ月でここ出ていくのよ!こんなに荷物運び入れて、どうする気よ?」

 雅之は、にっこり笑って言った。

「大丈夫、もう、ここ、僕名義になってるから」

「へ?」

「だから、今は、むしろ、有希が同居人?」

 そういえば、家賃を持っていったら、管理人さんが、頑として受け取ってくれなかったなと、有希は思い起こした。

 あの時の、管理人さんの生ぬるい笑顔はこれを知っていたからか、と、何も知らなかった有希は顔から火が出そうだった。


 そして、一カ月がたち、有希の旅立ちの日が来た。

 清花と高志、そして、当然のように雅之も見送りに来た。

「清花ちゃん、ちょっと、空港探検してこようか」

 高志がそう言うと、清花は無邪気について行った。

 おそらく、高志は高志なりに恋人同士の時間を作ってくれたのだろう。

 普段だったら余計なお世話と思うところだったが、今回に関しては、好都合だった。

 二人にニセ恋人のことは知られたくなかったからだ。

「ねえ、マサ、前から言ってたけど、もうこれ以上ニセ恋人続ける必要はないと思うの」

「そう?遠距離恋愛もしてみたかったけど」と、飄々とした様子で、雅之は言った。

「マサだって、お兄さんも結婚したし、一緒に住んでるわけじゃないんだから、今さら気まずくもないでしょう?」

「じゃあさ、友達に戻ろうか?」

 雅之は微笑みながらまっすぐに有希を見つめた。

 有希は何だかその視線に耐えられなくなって、「そうね」と短く答えた。

 有希の中で、何かが心に引っかかったが、ちょうどその頃、清花と高志が戻ってきた。

「有希ちゃん、気をつけて行ってきてね!」

 清花は両手で有希の両手を握りしめた。

「うん」

「飛行機落ちないように気をつけて!」

「うん、それは、パイロットさん次第かな」

「朝寝坊しちゃダメだよ」

「なるべく頑張るわ」

「目覚まし止めて二度寝しちゃダメだよ!」

「具体的ね、気をつけるわ」

「それから、それから……」

 清花の目から涙が溢れてきた。

「永遠の別れじゃないんだから、大丈夫よ」

 そう言って微笑む有希の目にも涙が浮かんでいる。

「離れて暮らしても、有希ちゃんのこと、大好きだよ」

 清花が微笑んだ。

「私も、お姉ちゃんのこと、大好きよ」

 そして姉妹は抱きしめあった。


 有希が顔を上げると、雅之と目が合った。

 雅之は有希に微笑みかけた。

 悔しいけれど、雅之が気付かせてくれたから、姉のことが大好きだと自覚できた。

 それに、雅之が心を解き放ってくれたから、留学したかった気持ちを思い出せた。

 そして、姉の結婚式のあの日に、雅之が助けてくれなかったら、今自分はここに立ってすらいなかったかもしれない。

 雅之には感謝している。

 感謝しているからこそ、離れて暮らす雅之に、ニセ彼女という足枷をつけたままにしたくはなかった。

 どうか、私の知らないところで、私の知らない人と、お幸せに。

 有希は雅之から視線を外すと、目を閉じた。

 有希の目から一筋の涙が流れた。


 皆と別れ、有希は一人飛行機に乗った。

 電子機器の電源を切るようアナウンスが入り、有希はスマホを手に取った。

 ずっとスマホを見ていなかったためか、多くのメッセージが届いていた。

 一番最新のメッセージは、清花からだった。

 空港で、清花と高志、そして、有希と雅之の4人で撮った写真とともに、「離れていても、心は一つ!」というメッセージだった。

 微笑みながらそのメッセージを見ると、その後には、大学の友人や、バイト仲間、それに、みな子からも旅立つ有希への応援メッセージが届いていた。

 向こうに着いてからゆっくり返信しよう、と思って、スマホの電源を切ろうとしたとき、新しいメッセージが届いた。

 雅之からだ。

 ついさっきまで、ニセ恋人だった雅之だ。

 そう、そして、今日からは再び、赤の他人……。

「これからも、友人としてよろしくね」

 ん?

 有希は、雅之の言葉を思い起こした。

「じゃあさ、友達に戻ろうか?」

 戻る以前に、そもそも友達ですらないんですけど!

 思わず立ち上がった有希は、キャビンアテンダントに注意されて、座ってシートベルトを着用して、スマホの電源を切った。


 有希が日本を発ってから一週間ほどが経った。

 有希のアパートのネット環境が整ったため、清花とテレビ電話をすることにした。

 清花は電子機器はからっきしだし、高志も忙しいはずなのによくこんなに早く準備が整ったものだと有希は感心しながらテレビ電話に応答した。

 幾度か清花の様子を見に入った高志の部屋のリビングの風景の中に、清花と高志がいた。

 そして、その後ろに何故かちゃっかり雅之がいた。

「何でマサが?」と、驚く有希に「有希ちゃんってば、マサ君お隣さんだし、設定全部やってくれたんだよ!」と、清花が得意げに言った。

 そういえば、雅之が有希の部屋に引っ越したんだったなと有希は思い起こしながら、赤の他人になるつもりだった雅之という男との縁は切るに切れない状況になっていると、いまさらになって気が付いた。

 そして、雅之という男は、食えないなと痛感した。

 雅之君の腹黒さがここへきて開花しつつあります。

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