隣人たち
4月になり、高志は転勤先での初出勤の日を迎えた。
配属先の扉を開けると、高志は一瞬、何か殺気のようなものを感じたが、高志の姿を認めると、全員が笑顔で高志のもとに集まった。
その中に、高志の隣人の鈴村はいなかった。
もしかしたら、神野という苗字の別人が彼のもとには転勤してきているのかもしれない。
「やあ、神野君、前の職場での素晴らしい活躍は聞いているよ」
このフロアのボスである武藤部長が神野の肩にポンと手を置いた。
「神野君、うちに来てくれてありがとうね、最初の方は覚えることがいっぱいで、なかなか前の職場の経験を活かしきれなくてもどかしい気持ちになるかもしれないけれども、何とか耐えてほしい」
と、優し気な言葉を投げかけてくれたのは、神野の部署の直属の上司となるであろう加藤課長だった。
「よろしくお願いします。最初は慣れることに必死で、なかなか実践でお役に立てないかもしれませんが、よろしくお願いします」
職場の雰囲気も和やかだし、上司の人柄もよさそうだと高志は感じたが、後ろの方で、高志に合掌している職員がいるのがいささか気になった。
「それで、君の、教育係なんだが……」
言いにくそうに課長が言ったところで、ドアをけたたましく開ける音がした。
「まだ、朝礼中ですか?セーフですか?」
入ってきたのは、高志の隣人の鈴村だった。
部屋の中の空気が一気に凍り付いたのを感じた。
「当然、遅刻だよ、鈴村君」
武藤部長が、険しい顔をして、鈴村の肩に手を置いた。
「すみません!お腹の子に行ってきますの挨拶をしながら二度寝しました!」
とんでもない言い訳をしだした鈴村は、部長にそのまま別室へと連れていかれた。
「神野君の教育係は彼、鈴村君なんだ」
その後ろ姿を見ながら申し訳なさそうに課長が言った。
「神野さんは、本社で、珍獣と言われていた職員を上手に手懐けて仕事させてたって聞きました!」
後ろの方で合掌していた職員が言った。
「珍獣?」
神野はそんなあだ名の職員に覚えはなかった。
「後藤君、余計なことを……」
課長が額に手を置いて少し息を吐いてから、高志に向き直った。
「鈴村君も、教育すべき相手ができたらすこしはマシになるんじゃないかというのと、神野君は少し癖のある職員とも上手にやっていたようだから、鈴村君とも上手にやっていけるかなという思惑があったんだよ」
課長が申し訳なさそうに言った。
「鈴村さんに、何か問題があるという事でしょうか?」
既に、遅刻の時点で問題だが、一応確認しておこうと高志は質問した。
高志の質問に、誰も答えることはなかった。
「やあ!神野君!数日ぶりだね!今日から君の教育係の鈴村竜太です!」
年甲斐もなく目元でピースサインを作りながら鈴村は言った。
「明日からは僕の部下として、毎朝僕を起こして一緒に出勤しようね!」
「鈴村君、君は教育係というだけで、神野君は決して君の部下ではないよ。立場としてはあくまでも同僚」
鈴村の発言にすかさず課長がツッコミを入れた。
「それに、毎朝鈴村さんを起こして一緒に出勤とか、ご近所さんでもあるまいし」
後藤が、神野をかばうように言った。
「それが、お隣同士なんだよな!ね!神野君!」
「はい」
それを聞いた一同が一斉に神野に同情の眼差しを向けたのは言うまでもない。
結局配属初日は鈴村から何か教わることはなく、ずっと課長から、システムのことや、仕事の流れを教わっていた。
肝心の鈴村は部長に監視されながら何か仕事をしていたし、他の職員は仕事に追われていた。
一通りの説明を終え、デモンストレーションを受けた後、課長が「今日は帰って良いよ」と言った。
その言葉にいち早く鈴村が反応して、「じゃあ、教育係の僕も!」と、立ち上がったが部長に肩を掴まれ、座らされていた。
終業時間よりは僅かに早い気がして腕時計を見ようとした神野の肩を課長はポンと叩いて、「明日からは、頑張ってもらわなきゃ行けないから」と、ウインクした。
思っていたより早く帰路についた神野は近所を散歩しがてら買い物に行こうと考えた。
歩いていると不意に背中に衝撃が走った。
「やっぱり、高志君だ!」
背中の衝撃はどうやら清花がぶつかったせいのようだ。
今の清花は考える前に行動に出てしまうようだが、何となく、それは、高志の知っているかつての清花の印象と少し異なっている気がした。
「お姉ちゃん、走ったら危ないって言ったじゃん、人違いだったら大変だったよ」
清花の後ろから少し冷めた様子で有希が現れた。
「高志君だったから大丈夫だよ!」
清花は「ねー!」と、高志に微笑みかけ、高志もつられて微笑んだ。
二人の様子を見ていた有希は、ふうっと息を吐くと、高志に向き直った。
「神野さん、でしたっけ?お時間、ありますか?」
高志は有希に連れられて、マンションの近くのカフェにいた。
目の前には有希が座り、通路から奥側、窓側の席に清花が腰掛けていた。
清花は少しウェーブがかった髪を長く伸ばしていて、くりっとして、少し垂れた目は笑うと線のようになる。
有希はストレートの髪を肩より上で揃えている。おかっぱと言うよりはボブと言った感じだ。目元も少しキリッとしている。
どちらも美人だが、優しげな印象の清花とキリッとした印象の有希とは対照的に感じられた。
「お姉ちゃん、好きなの頼んで良いよ」
コーヒーを頼んだ有希がそう言うと、清花は目をキョロキョロさせた後、「いちごパフェ!」と言った。
高志と有希のコーヒーと、清花のいちごパフェを置いた店員が立ち去ると、有希は、気持ちを落ち着けるようにコーヒーを一口飲んで、カップを置いた。
清花は嬉しそうにいちごパフェの写真を撮っている。
「姉の事情について、後日改めてお話しすると言ったのは覚えていますか?」
有希に言われて、高志は頷いた。
肝心の清花はと言うと、我関せずといった様子でまだパフェの写真を撮っている。
「実は……」
有希が話し始めようとして、急に押し黙って窓の方を見た。
高志もつられて窓を見ると、そこには窓に張り付いてイチゴパフェを見る竜太がいた。
有希と高志の視線に気づいたらしい竜太は二人に手を振った。
竜太に気づいたらしい清花が笑顔で手を振り返しているが、有希は若干険しい表情になった。
清花に手を振られて気をよくしたのか、竜太は店内に入ってきた。
「神野君、美人姉妹とお茶なんて羨ましいじゃないかぁ!僕も混ぜて!」
「いいよ!」
気軽に返事したのは清花だった。
有希は険しい表情から一変し、にこやかにうなずいた。
まだ同じ日の内容が続きますが、真面目な部分しか残らないの辛いし(あくまでも個人の意見です)、長いの飽きるので(あくまでも個人の意見です)いったんここで投稿します。