恋人契約
有希は一人きりのリビングで本日何度目かのため息をついた。
姉の清花は、高志と、デートに出かけて行った。
それは、いまさら特にショックを受けたりなどしていない。
高志が清花に告白した翌日に、有希に清花と付き合う事の承諾をもらいに来た時の様子で、どうやら、有希は、高志に告白するまでには至っていなかったことに気づいたので、むしろ安堵していたほどだ。
有希のため息の原因は、そのデートに二人が出かけるときに巻き起こった。
「有希ちゃんは、今日はバイト?」と、不意に高志が尋ねてきたので、「いえ、今日はバイトは休みです」と、普通に返答した。
その時、清花が目を丸くして、「有希ちゃんが、一人ぼっちでお留守番になっちゃう!」と言い出したのが、事の始まりだった。
「有希ちゃんと三人でデートする」と、清花が言い出し、清花の言い出したら聞かない性格を知っている高志も、「じゃあ、そうする?」と言い出した。
いくら、告白まで至っていなかったとはいえ、姉と好きだった人のデートに付き添えるほど心は強くないと思い、有希はその申し出を固く断った。
「私は、今日は家の掃除をする気分だからいいの!」
「有希ちゃん、そのままじゃ彼氏できないよ!」と、清花が言ったのに、カチンときた有希は思わず、「私にも彼氏くらいいます!」と売り言葉に買い言葉のように言ってしまったのだ。
何とか、清花が折れて、出かけてくれたからいいものの、と、有希は再びうなだれた。
彼氏がいると言ってしまって、どうしたものか。
ふと、有希は数日前の出来事を思い出した。
高志が清花に告白した日に、うっかりマサからハンカチを借りてしまった有希は、数日後のマサのバイトが休みの日に、たろうという居酒屋で再び待ち合わせることになった。
その日は早い時間だったからか、マサと有希以外客はいなかった。
「はい、コレ」と、有希はマサにハンカチを渡すと立ち上がろうとした。
「いやいや、お店に入っといて、何も頼まずに帰っちゃダメでしょう?」と、そんな有希の腕をつかんでマサは有希を隣に座らせた。
仕方なく、有希は座って注文した。
「ねえ、有希」
注文を終えた有希に、マサが話しかけた。
「何?」と、メニューを置きながら有希はマサを振り返った。
「僕達、付き合わない?」
「は?」
カウンターの向こうで、店主も皿を取り落としそうになっていた。
「って、半分冗談」
「半分?」
有希は眉をひそめた。
このマサという男、最初からつかみどころのない男だったが、全く意味が分からない。
「有希ちゃんは、好きだったお隣のお兄さんがお姉さんと付き合うし、僕も、好きだった人が兄貴と付き合うような感じだし」
あの二人はよくわかんないけど、と、マサはブツブツ言った。
「まあ、お互い、同居家族が、好きだった人と良い感じだから、気まずくなるくらいなら、ほとぼりが冷めるまでの間、ニセというか仮の?恋人ってことにしたらどうかなと思ったんだけど」
「私、別に姉と気まずくなってないですし、姉の恋人も告白が未遂で済んだみたいで、気まずくなってないので、問題ないです」
有希はそう言うと、店主が出した料理を食べて、口元をぬぐった。
「だから、その提案には乗りません」
そして、店主に、ごちそうさまでした、と言って、会計をして去っていった。
あの話に乗っていれば、マサというニセ恋人がいることにできたが、そもそも、あの話が出てきてしまったせいで、思考回路がおかしかったのかもしれない。
もう、マサには断ってあの場を立ち去ってしまったし、もう会えることはなさそうだし、連絡先だって知らない。
かといって、他にニセの恋人を頼めるアテもない。
姉が帰宅したら、嘘だったと謝るしかない。
そう覚悟を決めた時だった。
知らない人からメッセージが入っていた。
「今日は兄貴の家で鍋パ、ユキも来る?」
送り主……マサ?
なぜ、連絡先を……?
有希は思わずスマホを取り落とした。
スマホが床に落ちた瞬間にマサから次のメッセージが届いた。
「ちなみに、兄貴の住所は……」
聞いてないのに、住所送られてきたし、集合時間まで送られてきた……。
このままでは、自分も参加することにされてしまいそうだ。
有希は慌てて「行きません。なぜ私の連絡先を知ってるの?」と返信した。
マサからは「ナイショ」と一言だけ返ってきた。
「意味わかんない……」そう言って、有希はスマホを机に置いた。
有希ははっと気が付いて、再びスマホを手に取った。
「連絡先、わかった!」
マサの連絡先が分かった後も、有希は思い悩んでいた。
ニセ恋人の話が出た時に、きっぱり断ったというのに、いまさら、やはりお願いしますというのは、なんだか気が引ける。
とはいえ、このままだと、姉の清花に嘘を言ったことがバレてしまう。
姉にはなるべく正直でいたいが、マサに連絡するのも気が引ける。
さんざん悩んだ挙句、有希は、清花が恋人の件を忘れていたら、このままそっとしておこう、という結論に至った。
そしてその数時間後、自分の考えが甘かったことに気が付いた。
「ねえねえ有希ちゃん」
「なになに、お姉ちゃん」
デートから帰ってきた清花が有希に話しかけた。
「前に有希ちゃんだけ行けなかった水族館の割引チケット、今月までなんだって」
「そうなんだ」
「だから、有希ちゃんの彼氏さんとダブルデートしようよ!」
だぶるでえと?
有希の思考回路は停止した。
そして、再起動した有希は、腹をくくることにした。
とりあえず一旦、マサにニセ恋人の件お願いできるか聞いてみよう。
ダメだったら、清花に謝ろうと。
有希は、マサにメッセージを送ろうとした。
その時、マサからメッセージが届いていた。
「翠さんが、恋人すっ飛ばして、兄貴にプロポーズした!!ウケる!」
翠さんって誰よ、と、有希は思ったが、きっと、お兄さんにプロポーズしたということは、マサが好きだった人のことだろう。
それにしても、ずいぶんぶっ飛んだ人が好きだったんだな、と思いながら、有希は、今はマサにメッセージを送ることはやめておこうと思った。
問)何故、マサは、有希の連絡先を知っていたのでしょうか?
解)マサは、腹黒だからです。




