マブダチ
その日、梨紗子は沈んだ気持ちでたろうのカウンターに座っていた。
週初めに会社で、お局の倉田さんから徹との仲を問いただされて、思わず、「私が好きなのは神野さんです」と言ったその時に、高志本人が居合わせて、「なんか、ごめん」とふわりとフラれたのだ。
それでも、毎週金曜日は、徹に恋愛状況報告会をすることになっていたので、気分は沈んでいたけれど、梨紗子はいつもどおり、たろうにやってきた。
きっと、いつもの梨紗子だったら、ずっと一人でうじうじ悩んでいただろうけれど、話を聞いてくれるマブダチがいるのは何だか心強かった。
「梨紗ちゃん、ごめん!ダッシュで仕事終わらせたんだけど、遅くなっちゃった!」
梨紗子がカウンターに腰かけてから30分以上したころに、徹がやってきた。
終業時に遅くなりそうとメッセージはもらっていたので、梨紗子も梨紗子で、気楽に、常連や大将と話しながら待っていた。
「最近忙しそうだね、お疲れ様」
「うん、ちょっと大きい案件があって、でも、マブダチとは飲みたいじゃん!」
会社では話しかけられないし、と、徹は付け加えた。
徹は梨紗子の所属する総務のお局の倉田さんのお気に入りだ。
そんな徹が、梨紗子に親し気に話しかけようものなら、タダでさえあまり梨紗子は倉田から気に入られていないのに、さらに居場所がなくなることを察知して、徹は会社では今まで通りの距離感を保ってくれていた。
まあ、そのお局に、徹と一緒にいるところを見られてしまったわけなのだが。
思わず週初めの出来事を思い出して、梨紗子はため息をついた。
「何かあった?」と、徹が沈んだ様子の梨紗子をのぞき込んだ。
梨紗子は、週初めの出来事について話した。
倉田さんが、先週金曜日の出来事と、土曜日に一緒に買い物に行っていたのを見ていたらしいこと。
週初めにそれについて問いただされて、思わず「私が好きなのは神野さんです」と言ったのを偶然高志が聞いてしまったこと。
そして、高志に、「なんか、ごめん」と、ふわっとフラれたこと。
それを聞いた徹しばらく考えを巡らせていた。
「まず最初に、大事なとこから言うけど、たぶん、神野は、恐ろしいほどに恋愛ごとに疎いと思う」
梨紗子もそれは何となく感づいていた。
「だから、何か、聞いちゃってごめん、くらいの緩い感じだと思うよ」
ひどいと、会社に別の神野さんがいると思っているかもしれない、と、徹は付け加えた。
徹は付け加えて、高志の部署に女性はいないし、高志の近所も、鈴村家と反対の隣の姉妹も、有希と何か万が一進展があれば徹に申し訳なさそうに行ってくると思うが、それもないし、清花は知的障害があるから恋愛対象にもならないだろうと言った。
徹のフォローで、梨紗子の沈み込んだ気持ちはだんだん浮上してきた。
だんだんと、笑顔が増えてきた梨紗子に徹は安堵を覚えながら、別のことが少し気になっていた。
倉田が、梨紗子のことが好きな自分の甥っ子に、梨紗子の住所などを教えているとしたら、それは、情報漏洩というものだ。
とりあえず、当面は梨紗子の背後に気を付けておこうと、徹はひそかに心に決めた。
その翌週の木曜日、梨紗子にはさらに凹む出来事が起きた。
今度は、高志にはっきりとフラれた。
それでも、プライベートと仕事は区別することができた。
鏡の前で笑えば、いつも通りに微笑める。
だから、大丈夫。
その翌日は、皆定時で早々に帰宅していった。
梨紗子も自分の仕事を終えて帰宅した。
家に戻れば、もう、仕事モードは終了してしまう。
梨紗子の中に残されたのは、高志に振られたという事実だけだ。
梨紗子の目からは涙があふれ出してきた。
どれほど泣いたときだろうか。
不意に、スマホの着信音が鳴りだした。
相手は、徹だ。
「梨紗ちゃん、今日は帰ったの?」
「そっか、今日、金曜日……?」
「そうだよ、俺一人で飲んでたら寂しいじゃん、おいでよ!迎えに行こうか?」
「ううん、大丈夫、ちょっと待っててね」
梨紗子は、たろう仕様に服装を変えると、外に出た。
マンションの外で、徹は待ってくれていた。
「梨紗ちゃん、目、めっちゃ赤いけど、何かあった?」
梨紗子を見るなり徹は言ったが、まずは寒いから店に向かおうということになった。
「で、何があって、梨紗ちゃんはそんなに泣きはらしたんだい?」
「神野さんに、本格的にフラれた」
梨紗子は涙ながらにそのあらましを話した。
頼まれ物を買いに行った帰りに手をつなぐ高志と清花を見つけたこと。
清花が知的障害があると思いだして、自分の方がきっと幸せにできると言ってしまったこと。
そして、フラれたこと。
「それって、俺が余計なこと言ったせいじゃない?知的障害があることも、それだから恋愛対象外じゃないかって言ったのも俺だし」
徹はそう言って謝罪した。
「ううん、私も、清花さんのカバンのヘルプマーク見たから、徹ちゃんの助言がなくても、言ってたかもしれない」
二人は無言になった。
不意に、徹が話し始めた。
「ところでさ、今抱えてる案件で、ちょっと、他部署の人の意見聞きたいんだけどさ」
きっと敢えて差し障りのない仕事の話を振ってくれたのだろうが、聞いてみると案外、なじみのない部署の話は面白く、梨紗子の悲しみは徐々に癒されていった。
そして、帰り道、徹は梨紗子に言った。
「来週も、金曜日、待ってるから、来いよ」
梨紗子はこの時ほど、マブダチの存在がありがたいものだとは思わなかった。
翌週金曜日は、マブダチに心配させないように、梨紗子は定時で上がって、ちゃんと、たろうで待っていた。
最近は、徹は到着が遅めではあったが、常連と話していると、あっという間に時が過ぎるので、あまり気にはならなかった。
今日は沙希と義隆の夫婦が来ていた。
最初に見たころは、何となく元気がなかったが、最近は、笑顔もよく見える二人だった。
「あれ?今日はまだ徹君来てないの?」
「最近仕事が忙しいみたいで」
「なんか、同じ職場なのに別々に来るとか、密会みたいじゃね?」
「えー!全然そんなんじゃないですよ、職場で仲良くないだけですよ」
でも、ここではマブダチなの、と、梨紗子は笑った。
「ところで、お二人は、どんなつながりでご夫婦になったんですか?」
「私も、義隆君も、全く関係ないただの常連だったんだけどね」
「お互い、認識はしてたけど、ただの常連以上でも以下でもなかったんだけど、ある日、店が混んでてたまたまカウンターで隣同士に座った時に、麗華さんがズバッと、あんたら二人、結ばれるわよって」
その言葉にびっくりしたものの、お互い話してみると何だか馬が合うことに気づいて、そのうち待ち合わせて二人で飲んだり、出かけるようになったりして、今に至るらしい。
「梨紗ちゃんも言われてたよね、徹ちゃんと!」
「えー?でも、私たち、ただのマブダチだし、徹ちゃんも別で好きな人いるって言ってたよ」
そこまで話していた時に、徹がくしゃみをしながら入ってきた。
「大将、寒いっすね」
「うちらが噂してたからかもしれないね」
沙希が朗らかに言った。
徹は沙希の方を見て、「どういうこと?」と言いながら、梨紗子の姿を見つけて、「え?なになに、皆で俺カッコイイて言ってたの?でも、俺、有希ちゃん一筋だから」と。ニッと笑った。
「神野さんが仲取り持ってくれなかったから連絡先すら知らないってむくれてたのは誰かしら?」
梨紗子がそう言うと、「今度聞いて見せるから、いいの!」と、徹は顔を赤らめた。
梨紗子は以前に徹の恋バナを聞いてみたことがあった。
今好きなのは、高志の隣人の有希だという。
知的障害のある姉を気遣いながらたくましく生きている様子はもちろんのこと、徹は、とある出来事で、有希のことが好きになったらしい。
それは、有希が成人式の時のこと、有希は、徹の実家の美容院で着付けとメイクとセットを依頼していた。
成人式の日は美容院としてはかき入れ時で、徹も駆り出されていた。
有希にメイクを施したところ、徹が予想していたよりもはるかに美しく仕上がって、キュンと来たらしい。
徹の好みはいまいちわからないな、と梨紗子は思っていた。
そんな徹に事件が起きたのは翌週の金曜日のことだった。
その日も徹の到着は遅かった。
いつも通りに食べて飲んで、追加注文をしようかと、二人でメニューを見ていた時だった。
「いらっしゃい!」
大将の声に顔を上げると美男美女のカップルが入ってきた。
「あれ?お嬢さん、前に、別の人と来てなかったっけ?」
謹治がすかさず女性に話しかけた。
どうやら以前にこの店に来たことがある客のようだ。
「この店が美味しいって有希が教えてくれたんです!」と、すかさず、男性が言った。
梨紗子が、どことなく有希という覚えに聞き覚えがあるなと思っていると、メニューを見ていたはずの徹が、「ごめん、俺帰るわ」と、席を立った。
その時、初めて梨紗子は、徹の想い人の名前も有希だったことを思いだした。
梨紗子も会計をすますと店を出た。
「徹ちゃん!」
店を出て、歩き出す徹に梨紗子は叫んだ。
「徹ちゃん、来週も、ここで、待ってるから!」




