犠牲
「有希ちゃん!」
いつものように、姉の清花を職場まで迎えに行くと、既に、清花と一緒に高志が待っていた。
最初の方は高志のことを警戒していた有希も、今では、自分がいけない日に清花を迎えに行ってもらうほどに信頼していた。
高志ほどに、事情を分かってくれたうえで、手を差し伸べてくれる存在は、とても貴重だと有希は感じていた。
それどころか、有希が体調を崩した時にも、ランチの約束を中座してでも高志は駆けつけてくれた。
一生、清花と二人で生きていくと思っていたけれど、もしかしたら、高志だったら、有希と結婚して、清花と三人で暮らしてくれるのかもしれない。
そんな淡い想いはだんだんと有希の中で成長していった。
そして今日も、有希は、清花と高志と歩いていた。
目の前から仲良さそうに歩く親子連れがやってきた。
自分も、家族が欲しいな、と、有希は不意に思った。
そして、一緒にいるのは、高志がいいと、そう思った。
「高志君、じゃあね!」
そう言って、元気に手を振ると、清花は家に入っていった。
「あの」
有希が去ろうとした高志に声をかけると、高志はいつもの柔らかい笑顔で「うん?」と言った。
その優しさは、有希の気持ちに拍車をかけた。
「お姉ちゃんが、頭に大けがをしたとき、ずっと意識不明で目を覚まさなかったのはお話ししましたよね」
「うん、後遺症で、知的障害が残ってしまったんだよね」
「それまでの姉は、両親の自慢の姉でした。勉強も運動もできて、優しい、非の打ちどころのない姉でした」
「そうだね」
それは、高志もよく知っていた。
「でも、目を覚ました姉には知的障害が残ってしまった。それまで、生きていてくれればいいと、目を覚ましてさえくれればいいと言っていたはずの両親は、姉に失望しました」
だんだんと、今までの清花でないとわかった時の両親の変貌ぶりは、有希はきっと一生忘れない。
「両親が喧嘩することが増えて、父親は家を出ていきました」
淡々と語る有希の話を、高志は、優しいまなざしで聞いてくれている。
「その前から母親が姉にきつく当たることが多かったですが、父親がいなくなってからは、それがどんどんエスカレートしていって、だから、私が、姉を守らなきゃって」
大学生になったら、姉と二人暮らしして家を出る、そう決めて、高校生からずっとバイトをしていた。
大学も奨学金制度を利用して、バイトに明け暮れ、とにかく清花と二人で生きていくためにひたすら邁進していた。
「姉と二人で生きていくって決めたんです、これから先もずっと、それでも……」
それでも、高志に出会って、世界が広がったと言おうとしたところで、有希の言葉は途切れた。
高志が、「よく頑張ったね」と、有希を抱きしめたからだ。
高志は高志で、有希の話を聞きながら考えていた。
有希は、清花を守るために、自分を犠牲にして生きてきた。
もしも自分の清花への恋心が本物だったら、清花を引き受けて、有希を我慢の人生から解放してあげられる。
自分が清花を守っていくという、覚悟を決めた。
そして、頑張ってきた有希に、「よく頑張ったね」と言って、抱きしめた。
バタンとドアが閉まる音がして、二人は振り返った。
及川家の扉の方だった。
「お姉ちゃん?」
有希がなかなか入ってこなくて心配になって外の様子をうかがった清花はたまたま高志が有希を抱きしめている現場を目撃した。
清花は慌てて家の中に入ると、自分の部屋に駆けこんだ。
カーペットに左足が引っ掛かって、清花はベッドに倒れこんだ。
そのまま、布団の中に潜り込んだ清花は、自分に暗示をかけるように何度もつぶやいた。
「高志君を好きになっちゃダメ」
「高志君を、好きになっちゃ……ダメ」
清花の目には涙が浮かんでいた。
ちなみにこのハグ現場は買い物帰りのみな子にも目撃されています。




