君の目に映る世界
月曜日の朝が来て、高志はいつも通りに、鈴村家にやってきた。
玄関の前では、既に清花がスタンバイしていた。
「おはよう」
「高志君、おはよう!」
「有希ちゃんは?」
清花の明るい声色に、有希の体調が戻ったのかと、高志が尋ねると、清花の表情が一気に暗くなり、首を横に振った。
鈴村家のインターホンを押すと、珍しく、中からみな子が扉を開けてくれた。
「清花ちゃん、先に、これ、有希ちゃんに届けてあげて、今日は、使い捨ての容器にしたから、食べたらそのまま捨ててくれていいよって言っといて」
みな子はそう言うと、紙袋を清花に渡した。
確か、病院から帰ってきたときも、みな子が有希が食べられそうなおかゆを用意して待っていた気がする。
「みな子さん、ありがとう!じゃあ、先に有希ちゃんの所にもっていくね!」
そういうと、清花は再び及川家に戻っていった。
「今晩から、夜ご飯も食べに来ない?」
清花が去っていった扉を見ながら、みな子は高志に言った。
「いや、そこまでご迷惑をおかけするわけには……」
「あなたが断ったら、清花ちゃんまで遠慮するでしょう?」
みな子の視線が厳しい。
「清花ちゃん、有希ちゃんが体調崩すと、自分のことそっちのけになっちゃうし、有希ちゃんも、清花ちゃんに迷惑かけまいと、無理するから、うちでまとめて面倒見れた方が、私が安心できるのよ」
いつも朝に迷惑かけてるんだから、これくらいさせてよ、と、みな子は笑った。
みな子もみな子なりに、知的障害を負った姉とそれを支えて頑張りすぎてしまう妹の姉妹を気にかけているのだ。
何だか暖かい場所だなと、高志は微笑んだ。
「ただいま!間違えた!お邪魔します?」
元気な声で、清花が戻ってきた。
「清花ちゃん、毎朝お世話になってるし、毎日ご飯作るの大変だと思うから、今日から、晩御飯も、うちで食べない?」
みな子はそう言うと、「ちなみに、高志君も晩御飯うちで食べるって」と、さらりと言った。
高志は承諾の返事をした覚えはないと思いながら、みな子を見ると、みな子はいたずらっぽくウインクした。
今ここでみな子に反論したら、生きてここから出られないだろうと察した高志は、清花の視線に頷きで応じた。
「じゃあ、私も、晩御飯食べる!」
「ついでに、有希ちゃんの分も作っておくわね」
「みな子さん、ありがとう!」
清花はそう言ってみな子のふくよかな体に抱き着いた。
「みな子さん、ふわふわ!」
「そうだよ!みなちゃんは、脂肪が多くてぷにぷにふわふ……ぐふっ!」
そして、一言多く目覚めた竜太は、一発でノックアウトされた。
せっかく珍しく自発的に目覚めたのにな、と、高志が落ち込みかけたところで、竜太が、「僕もハグ!」と、清花に駆け寄って、みな子に骨がきしまんばかりに抱きしめられていた。
ここ最近は、竜太の仕事の変な癖や、勘違いはだいぶ是正されてきたので、部署内では、デスクは隣であるものの、高志と竜太は別の仕事を請け負っていることも珍しくはなかった。
だが、昼休みになると、竜太は必ず、高志とともに、食堂に訪れる。
みな子の愛妻弁当を持参している竜太は、別に食堂に来る必要はないのだが、社内の美人を探す目的と、高志と一緒にいると、高確率で、梨紗子に会えるために、竜太は欠かさず高志とともに行動していた。
二人がテーブルに着いたとき、「こんちは!」と、明るい声が降ってきた。
顔を上げると、そこに、徹がいた。
「昨日はみんなでランチしているところに取る前お邪魔しちゃって、すみませんでした」
「こちらこそ、何か中途半端なところで帰ってしまってすみませんでした」
都市が同じなので、高志と徹の二人の時にはため口になってしまうのだが、年上の竜太がいる手前、何だか、よそよそしい挨拶になった。
「僕は、あのまま梨紗子ちゃんとデートしてもよかったんだけど、高志君がどうしても一緒に帰りたいって言うから」と、竜太はむくれると、「あ、坂下君とデートでも、もちろんよかったよ」と、付け加えていった。
「鈴村さん、それ、浮気になっちゃいますって」
徹が笑い飛ばすと、竜太は「みなちゃんが、男なら浮気に入らないって公言してるし!」と、どや顔で言った。
それは、清花や有希の窮地を救うためのある種の方便のようなものだろうと高志は認識していたのだが、竜太の中では未来永劫有効なようだ。
「マジっすか!」と、徹が一歩引いたところで、竜太がグイっと前に出た。
これは、止めたほうがいい気がする、と、高志が思っていたところ、不意に、「あらぁ、鈴村さん」と、何だか艶めかしい声がした。
「あ、総務のおつ……」
「総務の倉田さんですね、今日は食堂でランチですか?」
総務のお局と言いかけた竜太の声を遮って、高志が言った。
総務の倉田さんは、常におしゃれに気を使っていて、見た目は30代くらいに見えるが、実は、50手前だと、この前徹が話していたな、と、高志はぼんやり思い出していた。
総務に行くときは、たいてい竜太がついてくるため、真っ先に梨紗子に声をかけるし、竜太を伴って、総務に行くと、いつも倉田さんは、不意にどこかへ消えて行ってしまう。
だから、倉田さんは、竜太か高志が苦手なのだろうと思っていたが、今日はどういう風の吹き回しなのだろうか?
「そうなの、あら、坂下君も、奇遇ね!」
徹に話しかけるときの少し上がった声のトーンと、そのまなざしから、高志は、徹が総務のお局のお気に入りだったことを思いだした。
きっと、さっきのやり取りで、徹の危険を察知して、止めに入りに来たのだろう。
「お局さんも、僕の守備範囲内ですから、安心して隣においで!」
油断も隙も無い竜太が不意に言って、高志は青ざめ、倉田は顔を真っ赤にして、「結構です!」とぷりぷり怒りながら去っていった。
そして、空気を読めない男、鈴村竜太は、「お局さーん、どこいくの?」と、倉田についてどこかへ行ってしまった。
去って言った二人を見て、徹は笑い出した。
「普通、お局さんにお局って言わないだろう?」と、思い出してさらに笑っていた。
ひとしきり笑うと、徹は、高志の隣の席に座った。
「そういえばさ」と、食事を終えた徹が話し始めた。
徹と高志という、いわゆるイケメンが二人そろって並んでいるためか、気づくと周りには女子社員が多く集まっていた。
「昨日、商店街歩いてたら、何か、男の人を警察に連れていくとかどうとかで、急にもめててさ」
世間話にしてはやや大きめのトーンで、徹は話している。
「何となく引っかかったから、ちょっと調べてみたら、最近ここらへんで、レイプ事件が良く起きてるみたいでさ、そいつの似顔絵てか、特徴が、その、警察に連れてかれそうになってた男に何となく似てたんだ」
「そいつは、捕まったのか?」、と、高志が聞くと、徹は首を横に振った。
「だから、神野の部署の女の子とかにも、夜道は気を付けるように言ったほうがいい」
「うちの部署の唯一の女性社員、育休中だけどな」
「そうだった!」と、徹はわざとらしく、額に手を当てて上を向いた。
「というわけで、お嬢さんたち、気を付けてね!」と、近くにいた女子グループに、徹が笑いかけると、女性たちは「はい!」と、キラキラした目で答えた。
席を立って歩き始めた時に、徹が、「及川姉妹も美人だから、狙われないように気を付けたほうがいい」と、高志に言った。
そして、「とくに有希ちゃんとか、マジ狙われないように気を付けてくれ!」と、懇願した。
肝心の有希が、今まさに体調不良で寝込んでいると言ったら、話がこじれそうなので、高志は、黙ってうなずいた。
徹の話が気になった高志は、帰りに、清花を迎えに行くことにした。
定時で上がって、清花の勤め先に行くと、ちょうど、清花の終業時間になる。
「あれ?高志君!」
清花は一瞬目を丸くしたが、すぐに笑顔になった。
「最近、危ない事件が多いみたいだから、一緒に帰ろうと思って」
「うん、帰ろう!」
清花は、水族館の時の癖が抜けないのか、高志と歩くときに、必ず手を差し出してくる。
何だか、いまさら拒否することもないし、手をつないでいたほうが、不審者も手を出しにくかろうと思い、高志も手をつなぎ返した。
「あ、お花!きれい!これ、コスモスだよね!」
少し動かしにくい左手は、高志とつなぎながら、自由な右手で色々なものを指さして、清花は無邪気にはしゃいでいる。
普段何気なく通り過ぎている景色が、清花にとってはきらめいて見えるのかもしれない、と、高志は目を細めた。
「あ、空が赤くなってきた!」
清花が今度は空を見て微笑んだ。
「今日の夕焼けは特にきれい!」と、目を輝かせた清花は、「有希ちゃんとも見たかったな」と、うつむいた。
「私、有希ちゃん大好きなの」
「うん」
「だから、早く治ってほしいんだ」
「そうだね」
「私、高志君のことも大好きだよ」
「うん」
不意に自分の話になって、高志はそっけない返事しかできなかった。
「みな子さんも、竜太さんも、竜ちゃんも、みんな大好き」
「うん」と、言いながら、そこと同列だったか、と、高志はわずかに肩を落とした。
「それにね」
清花は、空を見上げた。
「お父さんとお母さんも大好き」
清花の表情が曇った。
「でも、私の頭がおかしくなっちゃったから、皆、離れ離れになっちゃった」
清花の瞳に映るこのきれいな世界に、この残酷な現実はどのように映っているのだろうかと思うと、高志は胸が締め付けられるような思いだった。
鈴村成分が地味に復活中ですが、鈴村があまりうぇいうぇいすると、話が進まなくなることに気づいたので、今後は鈴村成分控えめかもしれないです。
鈴村ファンの皆様、申し訳ございません。




