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強くて脆い

 その日は見事な秋晴れだった。

 高志は、隣人たち、つまり、鈴村一家と清花と有希とともに、近所の緑地にいた。

 有希だけが水族館に行けなかったことを知ったみな子がバーベキューを企画してくれたのだ。

 そのきっかけとなった、水族館帰りに、高志が清花にキスをしたことは、どうやらみんなに内緒にしてくれているようだ。

「高志君、これ、一緒に運んで!」

「うん」

 その証拠に、清花も、いつも通りに高志に話しかけてくれるし、二人が一緒にいるところを見ても、竜太もからかってこないし、有希が清花と高志の間に割って入ってくることもない。

 有希は、二人の間に割って入ってこないどころか、有希のために企画されたというのに、何だかみんなから遠巻きだ。

 確かに近寄れば、竜太がセクハラまがいのことをしてくるかもしれないし、竜一郎も、清花や有希に甘えまくるので、自分のために開催された催しで、無駄に鈴村家に振り回される必要もないだろうと、高志は考えながら、竜一郎にうなられながらその目の前を通り、妬けた肉や野菜を皿に取ると、有希のもとへと向かった。

「はい、楽しんでる?」

「あ、ありがとうございます。昨日食べ過ぎちゃったのか、あんまり食欲なくて……」

 有希がそういうが早いか「高志君、こっち手伝って!」と、みな子に呼ばれた。


 みな子が張り切って準備しすぎたせいなのか、有希の食欲不振のせいなのか、みな子が持ってきてくれた料理が余ってしまった。

「冷蔵したら、明日のお昼とかに食べれると思うけど、みんなどう?」

「みな子さんの料理ほしい!」

 清花が元気に返事した。

「高志君は?」

「あ、明日は、ランチの約束があって……」

 高志は、梨紗子からランチに誘われていたことを思い出し、朝ごはんの分だけならと言った。

 それを聞いたみな子がすかさず、鋭い目つきになって「誰と?」と言った。

 ここで言うと、確実に、竜太が「じゃあ僕も行く」と言い出しかねないが、みな子の視線は黙秘を許してくれなさそうだ。

「えっと、会社の人と……」

「じゃあ、僕も行く!」

 誰とも言っていないのに、竜太が言い出した。

「鈴村さんも行っていいか聞きますね」

 いつもなら、竜太の突拍子もない発言をみな子が諫めてくれるのだが、今回ばかりは、連れて行けと言わんばかりの視線だったし、竜太は、断ったところで、後をつけてくることもあり得るので、梨紗子に連絡すると、しばらくして、了承の返事が来た。

 梨紗子の懐の深さに感謝を覚えながら、高志は、朝食分の料理をタッパーに詰めて帰宅した。


 翌日、おしゃれなカフェの道路に面したテラス席に、高志と梨紗子と竜太は座っていた。

「神野君、マドンナとランチだったらそう言ってくれたら、もっとおしゃれしてきたのに!」

 竜太は口をとがらせているが、高志は竜太の今以上におしゃれな服は見たことはなかった。

「注文、決まりましたか?」

 梨紗子がそう言ったとき、道路の方から「あっれー?」と聞き覚えのある声がした。

「神野さんと、鈴村さん、総務のマドンナとランチですか?」

 突拍子もなく表れたのは、徹だった。

「えっと、誰だっけ?」

 ちなみに、竜太は他部署の男性の名前はほとんど覚えていない。

「坂下です。覚えてくださいね!」

「あ、なんか、チャラい癖に僕よりもモテてるのは知ってる!」

 確かに、徹の髪は派手だが、結構面倒見が良くていいやつなのは、高志は知っていた。

 きっとそういうところが、女子から人気なのだろう。

 恐らく大半の男性が竜太よりモテているが、竜太のモテているの基準が自分よりも女子との接触が多いかどうかなので、営業で、女性とかかわりあう機会の多い徹はモテているという認識のようだ。

 そこまで覚えているのであれば、名前くらい覚えてあげたらいいのに、と、高志が考えているうちに、徹は梨紗子と竜太の間に割って入ってきた。

「君さあ、僕よりモテてんだから、女子の隣くらい譲ってよ!」

「そんな、こんな休日に、鈴村さんに会うなんて奇跡的なのに、鷲野さんの隣だと鷲野さんとしか話さないでしょう?俺ともおしゃべりしてくださいよ!」

「そ、そうか?僕ってば、罪作りな男だなぁ」

 徹の営業トークに、竜太がほほを染めた。

 徹は、あまりにも本気にとらえられすぎて、若干ギョッとしていたが、すぐに、高志に目配せをした。

 まあ、やばくなったら、助けろって言う事かな?と、思いながら、高志は店員を呼んだ。

 清花の仕事場の班長の一件で竜太が男女見境がないことは理解しているし、徹には多少なりとも世話になってるので、身の危険が迫ったら助けようと、高志は心に誓った。

 ちなみに、清花のところの班長はあのあと辞職して、新しく女性の班長になってからセクハラ被害はなくなったそうなので、まあ、竜太の性癖も、多少は役に立ったという事だろう。


 4人で楽しく会話をして食事を終える頃、高志の携帯が鳴った。

 有希からだった。

「高志君!有希ちゃんが、倒れちゃった!」

 電話の相手は清花だった。

 有希の携帯から、高志の番号を探し出して電話したのだろう。

「今日は、楽しかったです、ちょっと、用事ができたので、これで……」

 一人帰ろうとしたが、このまま竜太を置いていくと、梨紗子や徹に危険が及ぶかもしれない、とふと脳裏をかすめた。

「鈴村さんも、帰りましょう」

 そう言って、高志は竜太の分の料金も置いて、駄々をこねる竜太の腕をつかむと店を後にした。


 鈴村家に竜太を置いて行った高志は、及川家のインターホンを押した。

「はーい!」

 清花のご機嫌な声が聞こえたが、扉は開かなかった。

 しばらくの沈黙ののち、「高志君だ!」と再び清花の声が聞こえて、ガチャガチャと鍵を開ける音がした。

 恐らく、知らない人が来たときはドアを開けてはならないと、有希から言われているのであろう。

「高志君!来てくれてありがとう!」

 清花は、ほっとしたような笑みを浮かべた。

 高志も、思わずつられて微笑んだが、次の瞬間、真面目な表情に戻り、「それで、有希ちゃんは?」と、清花に尋ねた。

「こっち!」

 そう言うと、清花は高志の手を掴んだ。

 リビングの床に、有希が寝そべっていた。

 その上には毛布が書けてある。

「お昼ごはん食べようって準備しようとしてたら、有希ちゃんが、倒れちゃって……」

 どうやらベッドに運びたかったが、清花の力ではどうにもできず、とりあえず、毛布を掛けたらしい。

 とりあえず、ベッドに運ぶか、と、高志は有希に近寄った。

 だいぶ体調は悪いらしく、息が荒い。

 そっと抱きかかえようと触ると、明らかに、有希は熱があった。

 高志は、確かめるように、有希のおでこに手を当てていった。

「すごい熱だ。病院に行こう」

「あの、ご迷惑をおかけするわけには……」

 有希が立ち上がろうとしてよろめいた。

 清花と高志で有希を支えながら及川家を出ると、みな子に鉢合わせた。

「有希ちゃん、どうしたの?」

「あ、うつったらいけないから……」と、弱弱しく有希が言うのを聞いた高志が、「風邪で熱があるみたいなんで」と、みな子が近寄るのを制した。

「病院行くのね、気を付けて」

 みな子は、心配そうに、三人の後姿を見送った。

 高志の車の後部座席に、清花と有希が乗り込んだのを、バックミラー越しに確認しながら高志は不意に思い出していった。

「もしかして、有希ちゃん、昨日から体調悪かった?」

 有希は、黙ってうつむいた。

 恐らく、自分のために開いてもらったバーベキューを、自分の体調のために、キャンセルにしたくなかったのであろう。

 それでも、小さな子供にうつしてしまうといけないからと、わざとみんなから離れたところにいたのであろう。

「みんな、心配するから、次からは無理しないで」

 高志が優しい声色でそう言うと、有希は黙ってうなずいた。


 その日の救急病院は、あまり混雑していなかったため、有希はすぐに呼ばれた。

 それから暫くした後、有希が出てくる代わりに、受付の事務の女性が、高志と清花を呼び出した。

「及川さんなんですけど、これから点滴を受けてもらうので、小一時間はかかります」

 そう言われて、待合に戻ると、ぐうとお腹が鳴る音がした。

 清花を振り返ると、「そういえば、お昼ごはんたべてないんだった!」と、清花がおなかを押さえながら言った。


 二人は救急病院の近くで飲食店を探した。

 高志は、この辺りの雰囲気に、どことなく見覚えがあった。

 よくよく見てみると、この辺りは、徹や梨紗子が居住している地域だった。

 梨紗子や徹が近くを通りかかったら、ランチできるお店を訪ねることができたが、さすがに、ランチを切り上げてまで別れた相手に、近所で美味しいお店を教えてくれというわけにもいかず、高志は清花を伴って、あたりを歩いていた。

「なんか、美味しそうなにおいがする!」

 清花がそう言って立ち止まった。

 そこには、さびれた居酒屋と「たろう」と書かれた看板があった。

 引き戸の所には「準備中」と、小さな木の板が掲げてある。

「準備中みたいだから、他を探そうか」

 高志がそういったとき、ちょうど、荷物をもって、店主らしき男が出てきた。

「おや、お客さんかい?うちはだいたい18時からだよ」

「あの、この辺りで今からランチできる店ってありませんか?」

 高志が店主にそう尋ねると、「この辺りかぁ、駅まで行けば、何かあるかもしれないけど、って、この時間で飯食ってないのかい?」と、高志を見た。

「いえ、彼女が……」と、高志が言うと同時に、再び清花のおなかがぐうと鳴った。

「簡単なものでよければ作ってあげるよ、おはいり」

 そう言うと、店主は扉を開けて、二人を招き入れた。

「簡単なものしか出せなくて、すまんねえ」

 穏やかな口調でそう言いながら、店主はまかない飯であろう簡単などんぶり飯を清花に出した。

「おいしそう!」と清花が喜んでいるのに目を細めながら、「お兄さんは、何か飲むかい?」と、高志を振り返った。

「じゃあ……」と、高志が言うと、店主が日本酒の瓶を手にし始めたので、「あ、車で来てるので」と、高志は慌てて言った。

 店主はしぶしぶウーロン茶を高志に渡し、自分にもグラスを用意してウーロン茶を注いだ。

「お嬢さんは、どうしてこんな時間までお昼ご飯食べてなかったんだい?」

 店主は清花に尋ねた。

「有希ちゃんが、お熱出しちゃって、びっくりして、食べるの忘れてたの!」

 清花はそう言いながらも、ひたすら、ご飯を口に運び、「これ、すごくおいしい!」と店主に笑顔を見せた。

 不意に出てきた有希ちゃんという単語に、店主が首をひねっていたので、「彼女の妹が昼食の準備中に倒れてしまったので、お昼ご飯を食べないまま、すぐそこの救急病院に連れてきたんです」と、高志は言った。

「そうかい、妹さんが……。大変だったねえ」

 店主は、穏やかに言うと続けて、「まあ、確かにあの病院の裏には食堂はあるけど、味はいまいちだから、ここまで来て正解だったよ」と言った。

「ごちそうさまでした!」

 清花はきれいさっぱり用意されたご飯を食べきると両手を合わせて言った。

「ここまで歩いてきてよかった!ね、高志君!」

「そうだね」

 高志はそう言いながら財布を出した。

 慌てて出てきたせいで、恐らく清花は財布を持っていないだろうと感じたからだ。

「いや、営業時間中じゃないから、お代はいいよ」

 店主は、商売っ気のない人らしく、「今度は夜にお店に来てくれたらいいよ、妹さん待たせちゃ悪いから」と、半ば強引に店から出された。

「じゃあ、また来ます」と、高志は頭を下げて、清花を伴って出て行った。

 去り行く二人の背中を眺めながら、「最近は新規の客が良く来るなあ」と、居酒屋たろうの大将はひとりつぶやいた。

 大将が、梨紗子の想い人が高志であることに気づくのはもう少し先のことである。


 高志と清花が病院に戻ると、受付の事務の人が待ち構えていて、二人を診察室に連行した。

 診察室で待ち構えていた初老の医師は腕を組み、難しい顔をして、明らかに機嫌が悪そうだ。

「何であんなに悪くなるまで放っておいたんだ?」

 そんなことを言われても、有希は体調が悪くても、昨日みたいに隠してしまうし、清花は知的障害があるし、高志は一緒に住んでいるわけでもないので、気づくに気づけない。

「肺炎の一歩手前だ、ただの風邪だからって甘く見てると命を失うことだってあるんだ」

 医師は、清花や高志の言い分を聞くことなく、「以後気を付けるように」と、言い残して去っていった。

 その後、診察室に、看護師が入ってきた。

「及川さん、無理しがちなようなので、今週いっぱいは大学も、アルバイトも禁止で。僭越ながらどちらもご連絡差し上げておきました」

 医師も看護師も、あれだけ心配するほど無理してしまうとは……。

 高志はこの時、いつも気丈にふるまっている有希の危うさに初めて気づいた。

 長い。

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