心を動かすもの
梨紗子がマンションに入っていくところまで見送った高志は車に戻った。
携帯に徹からメッセージが来ていた。
忘れ物をしたので、取りに行きたいとのことだった。
今、ちょうど徹の家の近くにいるから迎えに行こうか?と、メッセージを送ると、是非!と、返信が来たので、朝来た道を戻って、徹の家まで向かうと、徹を拾ってそのまま自宅に向かった。
徹は開口一番、「どうだった?マドンナとのデート?」と、聞いてきたが、高志は運転に集中したいからと返事しなかった。
無言のまま、車を走らせた。
高志につられるように、徹も一言も発することなく、行きとは打って変わって静かな車内だった。
マンションの駐車場に停車すると、徹は堰を切ったように話し始めた。
「なあ、マドンナとのデートはダメだったのか?何やらかしたんだ?こっぴどくフラれたか?」
通り過ぎる住人が徹を冷ややかな視線で見ていた。
徹は、それが恥ずかしかったようで、またしばらくおとなしくなって、高志の部屋までついてきた。
「で、どうだったんだ?マドンナとのデート」
「楽しかったって言ってたよ」
「その割にはお早い帰宅だな」
「そういうもんか?」
徹はそのまま高志の家に居座って、デートの一部始終を聞き出したあと、ダメ出しの嵐を出した。
「そもそも、接待って言うスタンスがあり得ないだろう!」
「手も繋いでないとか、もったいないだろう?」
「帰り際に、帰りたくないって言われたら、デート続行だろうが!しかも、お茶でもって誘われて乗らないとかありえないだろう!」
あまりのダメ出しの嵐に、思わず高志は「だったら、代わりに坂下君がデートしてきたらよかったんじゃないか?」と、言ってしまった。
「いや、ああいう、ただにこにこしてるだけの男受けがいいのはタイプじゃないから」
俺のタイプは、有希ちゃんだってば、と、徹は付け加えた。
ちょうどその時、絶妙なタイミングで隣の家から「えー!」と、清花の大きな声がした。
「やばい、ここって、壁薄かったんだっけ?」
確実に自分の声が筒抜けだったと感じた徹は目を白黒させた。
高志のもとには有希からメッセージが届いた。
「え?ちょ、ま、俺、告白もしてないしお知り合いにもなってないのにフラれたくない、待って!」
狼狽える徹をよそに、高志はメッセージを開いた。
「有希ちゃん、明日、バイトのシフトに入ることになっちゃったみたい。清花ちゃんがどうしても行きたいって言ってるから、二人で行ってきてもらうことはできるか、だって、坂下君も来る?」
どうやら徹の声が聞こえていたわけではなさそうだと感じながら徹に問いかけた。
「有希ちゃんが来ないなら行かない」ち、徹の反応は実にあっさりしたものであった。
「それに、清花は、頭にけがしてからおかしいだろう?一緒にいたら疲れるって」
それを聞いた高志はなぜか心がもやもやした。
「忘れ物、これだよな」
そう言って、自分の部屋に見覚えのないものを徹に渡すと、玄関の扉を開けた。
「あ?ああ、じゃあな」
徹は何だか腑に落ちない様子で、部屋から出て行った。
高志は、徹が出て行った部屋で一人思案していた。
徹の言葉に、もやもやしたから、行くと決めるのは、短絡的だと思ったので、今日の明日で、もう一度水族館に行きたいかどうかで考えてみよう。
今日は、ひたすら接待だと思っていたから、人ごみの少なさとか、見どころとか、そう言う観点でしか見られなかったから、清花とだったら、純粋に、水族館を楽しめるだろう。
高志は、有希に、承諾の返事をした。
隣の部屋から「やったー!」と清花の声が聞こえた。
翌朝、高志は、隣の部屋から聞こえてくる目覚ましの音で目が覚めた。
そして、「有希ちゃん!起きて!今日もバイトでしょう?」と、清花がいつものように起こしているのが聞こえた。
清花の張り切り具合を肌で感じた高志は、飛び起きた。
昨日の格好つけた服装はやっぱり自分にはしっくりこなかったし、相手は清花だからと、いつもの休日に来ている服を着て、難しい髪のセットはよくわからないので、寝癖だけ直して、準備を整えたころ、インターホンが鳴った。
ドアの向こうには準備万端の様子の清花がいた。
「おはよう!」
清花の歌いだしそうな様子に思わず笑みをこぼしながら高志はあいさつした。
「高志君、おはよう!水族館楽しみだね!」
隣の家から有希が出てきた。
「急にバイトのシフトが入ってしまって、申し訳ありません!よろしくお願いします!お姉ちゃん、高志君にあんまり迷惑かけちゃだめだよ!」
そう言い残すと、有希はダッシュしていった。
どうやら遅刻ギリギリのようだ。
「有希ちゃん、二度寝しちゃうといつもギリギリなんだ」
清花がもう見えない有希の背中に手を振りながら言った。
「高志君の車で行くの?」
「電車だとたくさん乗り換えがいるからね」
乗り換えるごとに寄り道をしてしまっていては、目的地に到着できずに今日という日が終わってしまいそうだと感じた高志は、道もわかっているし、自分の車で行くつもりでいた。
昨日の癖で助手席の扉を開けると、「ありがとう!」と、清花は車に乗り込んだ。
高志が運転席に乗りこむと、清花は自分のカバンから何かを探していた。
「確か、子の中に、じゃーん!にゃん玉のお歌のCD!」
そして、ポップな絵の描かれたCDを取り出した。
話題を探しながら運転するよりは気がまぎれそうだと、高志はそのCDをかけることにした。
そのCDは完全に子供向けのCDであったが、高志が何か話題を振らなくても、清花はCDに聴き入って、時に口ずさんでいた。
高志にとっては、そのご機嫌な曲たちも、清花の歌声も、心地よいと感じられた。
水族館につくと、清花がどや顔で割引券を出してきた。
「高志君、これで入れるんだよね?」
「これは、割引券だから、お金もいるよ」
「そっか、お財布、お財布……あれ?」
その時、高志の元に有希からメッセージが届いた。
「有希ちゃんのカバンに間違って清花ちゃんの財布が入ってたみたいだよ」
「だからないのかー!あはは!」
「すみません、これで、大人二人」
笑い出した清花を連れて、高志はチケット引換窓口に、割引券を出した。
「大人二人、割引券使用で、合計3000円です」
清花が、お金がないと焦りだす前に、高志は素早く支払いを済ませて中に入った。
「うわー!お魚いっぱいだ!すごい!」
中に入るなり、清花は目を輝かせて走り出した。
休日の水族館は、まあまあ混んでいるので、うっかり清花を見失いかねない。
高志も、清花を追って駆け出した。
清花に追いついた高志は、思わずその手を握った。
高志の視界の端で、子供に追いついたお母さんがやっていた行動に思わず倣った形になった。
「はぐれるたら、いけないから、ね」
思わず自分に言い聞かせるように、言った高志の言葉に、清花はうなずいた。
手をつないで自由度が減ったからか、清花がいきなり駆け出すことはなくなった。
だが、駆け出さなくなったというだけで、清花は素直に自分の行きたいところに高志を引っ張って行っていた。
清花としては、自分がはぐれないように手をつないでいるというよりは、高志がはぐれてしまわないように手をつないでいるようだ。
こういうところは、お姉ちゃんなんだな、と、高志は感じた。
同じ水族館に来ていたはずなのに、昨日は、気を張ってしまって疲れていたが、今日は、振り回されてはいるものの、清花と同じ目線で楽しむと、存外、楽しく感じた。
「高志君!イルカショーだって!」
しばらく歩いていると、案内の看板を見つけて清花が言った。
「次のショーは、13時半からです」
看板を持っていた女性が、清花に話しかけた。
時計を見ると、まだ12時前だった。
「お昼ご飯、食べてからまた来ようか」
高志の提案に清花は頷いた。
だが、次の瞬間激しく首を横に振った。
「私、お財布持ってないんだった!」
「いいよ、おごるから」
それか、どうしても気が済まなかったら、今度返してくれたらいいよ、と、今度は高志が清花の手を引いて歩き始めた。
高志は、昨日梨紗子と行った少し値の張るレストランを素通りしてフードコートに行った。
清花に席を取ってもらって、高志は、食べ物を買うことにした。
何度か清花と食事をする機会があったので、何となく清花の好みはわかっていた。
ちなみに、小学校の頃から苦手なピーマンは、今でも苦手なようだ。
自分の食べたいものと、清花の好きそうなものを買うと、高志は清花の姿を探した。
「あ!高志くーん!」
清花が手を振ったので、すぐに見つけられたが、清花の周りを何故がちょっとやんちゃそうな男性グループが取り囲んでいた。
「この人たちが、いっしょにランチしようって!お友達も一緒でいいよって言ってたよ!」
「何だよ!男連れならそう言えよ!」
舌打ちをすると男性たちは去って行った。
「お姉さんと仲良くしたいなって言ってたのに、行っちゃった」
清花はポカンとしている。
「たぶん、それ、ナンパだから」
「そうなの?私生まれて初めてナンパされた!」
黙っていれば美人な清花だから、きっと、生まれて初めてということはないだろうが、きっと、本人が鈍いか、有希が清花に群がる男どもを排除してきた結果なのだろうと高志は思った。
そして、清花を一人にするのは危険だと高志は察知した。
食事を終えると、二人でトレイを返却口に持って行った。
そして、トレイを置いた清花は当然のように「はい!」と、高志に手を差し出した。
はぐれないように、と言う、清花の中のお姉さんが発動した結果なのだろうが、高志はなぜかその仕草にドキッとした。
「高志くん!手!」
ダメ押しでそれまで言われた高志は、自分の手を差しだして、清花と再び手をつないだ。
そのまま、まっすぐイルカショーのところまで向かうと、「おかえりなさーい!」と、看板を持った女性が言った。
「開演まであと30分以上ありますので、よろしければお飲み物とか、お菓子とか買っていってくださいね!」
そう言われて「わあっ!」と、一瞬喜んだ清花の表情が、即座に暗くなった。
恐らく、財布を持っていないことを思い出したのだろう。
そして、清花は、チラリと高志の方を見た。
「何か、買おうか?」
清花の顔がパッと笑顔になった。
その様子を微笑ましく眺めていた看板を持った女性が「あ!」と、二人に声をかけた。
「先にお席を確保してもらっても大丈夫ですよ!今ならカップルシートもまだあいてますよ!」
「へ?」
「カップル?」
清花と高志は思わず間抜けな声を出したが、不意に高志は自分たちが手をつないでいることに気づいた。
そりゃぁ、いい年した大人が手をつないで歩いてたらカップルと勘違いしても仕方ないな、と、思いながら「えっと、じゃあ、席、とってこようか?」と、清花に言った。
会場に足を踏み入れると、別の係員が、すっと現れて、迷いなくカップルシートらしきシートに案内されてしまった。
相変わらず手をつないだままだったから致し方ないか、と、半ば諦めて、二人は案内されるままにカップルシートの席を確保した。
ちなみに高志は昨日もイルカショーを見たが、カップルシートには案内されなかったし、存在も知らなかった。
少し悩みながらジュースを買って戻ってくると、ちょうどショーがまもなく始まる案内の放送がなされた。
高志たちの周りもカップルシートのようで、恋人たちが寄り添って座っていた。
「ちょうどよかったね!」
清花が高志に笑いかけた。
あまり広くないシートなので、どうしても距離は近くなってしまう。
清花から何だかいい匂いがして、高志は少しどぎまぎした。
間もなくしてショーが始まった。
ショー自体は昨日とさほど変わりなかったのだが、清花の反応が可愛らしくて、高志も自然と笑顔になっていた。
イルカショーを見た後、再び館内を巡って(もちろん手をつないで)、閉園時間まで楽しむと、二人は帰路についた。
帰りの車内がやけに静かだなと思った高志は、行きの車内のことを思い出して、清花に「CDはかけないの?」と、助手席を見た。
清花はいつの間にか眠ってしまっていた。
高志は、そういえぱCDを取り出していなかったことを思い出して、清花を起こさないように小さな音量でCDをかけながら、マンションまで運転した。
「清花ちゃん、着いたよ」と、高志は、助手席の清花に言ったが、清花はまだ眠っている。
「CDのケース、どこだろう?」と、ダッシュボードを探したが、CDケースは見つからなかった。
と、言うことは、カバンの中だろうか?
「清花ちゃん、CDケース、カバンの中?」
高志の問いかけもむなしく、清花は眠ったままだ。
カバンを開けてしまってもよいものだろうか?
あまりにも清花が起きないので、高志は清花が両腕で抱えているカバンを開けようかと、助手席の方に体を乗り出した。
その時、清花のいい匂いがまたしても鼻腔をくすぐった。
そして、引き寄せられるように、高志は清花に思わず口づけをした。
高志がはっと我に返って清花から離れると、フロントガラスの向こう側に驚いてこちらを見るみな子がいた。
なぜだ!なぜ真面目っぽい主人公なのに、暴走したんだ!
そこに直れ!えっと、高志!正座じゃー!反省しろー!




