第1話・始まりの地へ
──決して楽な道のりでは無い。
だが挫けるな。オヌシは多くの魂を救うことの出来る存在じゃ。
オヌシが諦める事。それ即ち、世界の終わりだという事を心に刻め。
⋯⋯じゃが、その身は人間。あまりに非力過ぎる。
これからオヌシが赴く世界で「力を持った存在」に、魂の宿を移そう。
力を磨け。やるべき事は自ずと見えてくる。
──燗筒 紅志。オヌシに神の加護を授けよう。
──燗筒 紅志よ、挫けるな。
──いずれ、君臨者となる者よ。
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⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯あれから、どれ程の時間が経ったのだろう。
あの時、口では拒んでいた事を──どうして俺の身体は、俺の意思は、『前へ』と訴えたのだろうか?
あの、神様だっけか? 「力を持った存在」だとか、加護だとか⋯⋯。
あと『君臨者』⋯⋯? 世界の? 俺が? まさかな⋯⋯
──トスン。
微かな音と共に、重力と圧迫感が一気に現れる。
考え事の最中だったのもあり、最初は驚いたが、状況は直ぐに理解した。
これは卵の中だ。僅かに光が透けている。
俺は、どうやら人間の姿ではないらしい。
動物か? 卵という事は爬虫類? ⋯⋯いや。感覚だが、大きさが違う。かなり大きい。
多分、1mより小さいくらいの⋯⋯。
取り敢えず出るか? いやそもそも出られるのか? かなりの強度がありそうだが⋯⋯。
力いっぱい肘を打ち付けると、鈍い音が響いた。
しかし、ビクともしない。というか、痛い。
だが卵の状態という事は、それを狙う動物もいるだろうし、早急にここから出なければ。
その後、何十分か何時間か分からないが、脚も使ったりして足掻き続けた。
少しづつではあるが、着実に亀裂もできて、大きくなっている。脱出までは時間の問題だ。
──ピキッ
明らかに、今までと違う手応えがあった。
俺は両脚に力を込め、亀裂が大きい場所を思い切り蹴っ飛ばした。
「ふんぬっ!!」
バキン! と大きな音を立て、殻を粉砕する。
思ったよりしっかりと割れず、砕けた殻を手で退けながら、這い出る様にして俺はやっと自由の身になった。
「⋯⋯!!」
目に飛び込んできた世界に、俺は絶句した。
絵に書いた様な、どこまでも広く澄み渡った青い空。青々と生い茂った植物の森。
そこから振り返れば、海と見間違えそうになる程に大きな湖が輝いている光景が。
なんて美しい世界なんだろう、と。俺の転生して初めての感想は、そんな簡単なものだった。
いや、これを簡単と言うのは少し違うか⋯⋯??
──うん。今は、そんな事はどうでもいい。
ただ、この世界、この光景を目に焼き付けて置きたい。
「悪く⋯⋯無いかもな」
思わず、ポツリと、呟く。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯ううん? ちょっと待てよ?
今、俺は日本語を口にしたか? 確かに日本語に聞こえたが、日本語を喋った様な感じがしなかったぞ?
何か⋯⋯喉が僅かに震えた様な⋯⋯
「⋯⋯あ、い、う、え、お」
同じだ⋯⋯何かが違う気がする。
言葉を発せられているのか? 人間相手にこれは通用するのか?
色々考えた結果『叫んでみる』という答えに行き着いた。
1つの音を強く発してみる事で、正しく感覚を掴みたかったのだ。
「スゥゥ⋯⋯」
──深く深く、息を吸う。
当たり前の様にある空気も、よく澄んでいてとても美味い。
行動の一つ一つが新鮮で『楽しい』とも感じる程だ。
少なくとも、自分でいうのもなんだが、感情が他人より薄かった俺がそう感じているのだ。本当に凄いのだろう。
「──グルオォォォォーーッッ!!」
辺りの山々や、森林から一斉に鳥が飛び立つ。
足元の小石が微弱に揺れ動き、前身にま震動が伝わった。
──心地良い──
自分という存在を知らしめている。
それは野性的で、己の中で爆発する、理性の付け入る余地の無い感情だった。
「⋯⋯っ」
暫くは言葉を失った。
人間では無い。ゲームなどでしか聞いた事の無い様な、モンスターや魔物と呼ばれる類の咆哮だった。
得体の知れない高揚感が、脳裏に色濃く焼き付く。
俺は、自分が自分でなくなってしまう様な気がして、恐怖心に駆られた。
少し、歩こう⋯⋯。
そうしながら、考え事はしよう。
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「──面白い子が来たね。これは⋯⋯もしかしたら、諦めるのはまだ早かったかも♪」
未知の場所。
狭く、音も無く、僅かな光も届かない洞窟の奥深くで、1人の少女が呟く。
方向も分からない様な暗闇の中、少女は唯一点を見つめながら独りでに微笑んだ。
この世界は終焉が近い。
まさか、こんなタイミングで現れるなんて誰が考えたか?
もう少し早く来ても良かったんじゃないか?
様々な思いを胸に、少女は立ち上がった。
「さぁて、挨拶をしに行こうかな。私の──いや、『この世界』の希望となる者にね♪」
少女は笑う。
求めていた者が漸く来た。どれ程の時間待った事か。
遂に動き出した大きな歯車。もう止められない。
真紅の瞳が、暗闇の中で光る。
崩れゆく洞窟の瓦礫の合間で、白い龍は咆哮するのだった。
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「⋯⋯⋯ハッ!?」
な、何だったんだ? 今の寒気は⋯⋯?
身体全体の細胞が沸騰する様な極度の緊張感、本能が訴えてくる恐怖感。何かとんでもない事が起きたという直感⋯⋯。
言葉では到底言い表せない、この気持ちの悪さ。
早く心を落ち着かせたい。そうでないと俺は気が狂ってしまいそうだ。
「スゥ⋯⋯はぁっ⋯⋯」
深呼吸を何度も繰り返す。
心拍数の上がり方が尋常ではなく、まともに息が出来ない。
非常に苦しく、自分でも察知出来る程度には呼吸困難に陥っていた。
──────⋯⋯⋯
暫く経ち、落ち着きを取り戻した俺は、急いで水場を探した。
冷や汗を流し過ぎた挙句、過度の深呼吸で水分を大量に失ったらしい。
口の乾きによって、舌が口内に張り付く気持ちの悪い感覚がある。
「はあ"⋯⋯っ」
呼吸が掠れる。
かなり深刻な状況なのだろう。急がねば。
しかしどうする? あの湖までは軽く2~3kmはありそうだが⋯⋯。
流石にそこまでは身体が持たないし、着く前に死んでしまうかもしれない。
──ピチャン⋯⋯
不意に、水が滴る音が聞こえた。
意識が朦朧としていて、本当に聞こえたのかは分からない。
だが、あまりに喉が乾いた。一か八か行ってみようという考えに至るには時間はそう掛からなかった。
少なくとも、音がした方向は分かっている。
俺は力を振り絞って歩き出した。緊張と恐怖で力が入らず、脚が震えて上手く歩けない。
しかし、それでも進まねば。
ゆっくりと着実に、俺は歩を進めていった。
──────⋯⋯⋯
ゆっくりと動く小さな生き物。
それは、弱肉強食の世界では強者の格好の的だ。
背後から相手に気付かれない様に歩み寄り、仕留める──。
自然の世界に『卑怯者』などという言葉が通用するのだろうか?
答えはNO。『卑怯』とは最適解の『選択肢』であり、寧ろ称賛される程の合理性がある。
故に、自然の摂理は試練を課そうとしていた。
ただ一つの生命として、弱肉強食の世界に生きる者として、避けては通れぬ道を示そうと。
無数の黒い影が忍び寄る。
自然は、いつ何度であっても美しく、理不尽なのである。
生き残るには、力を示し、二度と立ち上がらせない様に捩じ伏せるしか方法は無いのだ。
己を『弱者』と主張し、強者に逃げる背を見せつける──。
それは、大自然を生き抜く方法とはいわない。
これは避ける事のできない自然の絶対な摂理。
運命を変えるには、勝ち、喰らい、力を示す、ただそれだけの事。それ以外に無い。
自然に生きる者として、自然を生き抜く為に。
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一滴、一滴。
したたる水は、ある程度の大きな水溜りとなっている。
それを見るや否や、俺はほぼ無意識に走り出していた。
鼻っ面から水溜まりに突っ込み、口を大きく開けたまま喉を動かして水を飲む。
冷たい水が喉を通っていくと同時に、生き返ったと心の底から思った。
「⋯⋯ん?」
存分に水分を補給した俺は、ふと水面に目をやった。
映っていたのは、やはり人間の姿の俺では無い。
碧色の鋭い瞳を持った小さな竜が、そこには立っていた。
身体は銀色で、光が淡く反射している。
姿勢が低く二足歩行形のようだが、残念な事に翼は無い。
腰の下辺りには尻尾があり、全長の3分の1程をしめている。
特に棘など武器になる様な物は生えておらず、鞭の様によくしなるのが特徴だった。
骨も砕けそうな牙、鋭利そうな鉤爪、長くしなやかな首に、頭の先から僅かに伸びる直角に曲がった二本の角──。
まとめるとそんな感じだな。
中々悪くない姿で安心した。貧弱そうで不細工な生物にでもなっていたらヤだからな。
そんな事を考えてる内に、不意に大変な事に気が付く。
来た道を忘れてしまった。無我夢中でここまで来たので、道を記憶している余裕がなかったのだ。
しかも、ここは鬱蒼と木々が生い茂った森の中。
こんな所にいて大丈夫なのか? と、自分に問いかけた。
勿論、そんな筈が無かった。
野生の勘──という物だろうか? 背後から寒気を感じた俺は、向かって右の林に飛び込み、すかさず振り返る。
──バシャーーンッ!!
大きな水しぶきが上がっていた。
俺を襲った何者かが、飛び掛った拍子にあの水溜りに飛び込んだのだろうか? 馬鹿な奴だ。そう思った。
だが、そんな簡単な話ではある筈も無い。
「⋯⋯!!」
飛び込んだであろう何者かの姿が無かったのだ。
一気に緊張が身体を駆け巡る。
──後ろ!! と瞬時に感じ取り、俺はまた飛び退いた。
「グルルル⋯⋯」
獲物を取り逃した様子で、『ソレ』は苛立っていた。
此方と向きあっている『ソレ』から強い寒気を感じる。
⋯⋯そうか。これが『殺気』か。あと2つ⋯⋯いや、3つか。
殺気がする。背後に2つ、左の林に1つ、そして正面のこいつの計4体。
分析を終え、チラリと右の林を──最も安全性のある方向を見る。
俺には『逃げ』の一択しか頭の中に無い。
戦い方なんて知らないし、傷付きたく無い。痛いのは嫌だ。
殺気が薄れたごく一瞬の隙に、俺は勢いよくへ走り出した。
数秒遅れて奴らも走って追い掛けてくる。
この俺の意識がある竜は、脚が発達した種族なのかかなりの速度が出ている。
翼が無い分、地上での活動に特化してるのだろうか?
感覚だが、原付バイクの最大速度くらいは出ているんじゃないか? すれ違いざまの木々が横線に見える程、景色の移り変わりが早いぞ。
それでも俺が正確に木々を避けられているのは、この肉体の基礎的な運動能力が高いからだろう。
「「「⋯⋯⋯!! ⋯⋯⋯!!」」」
奴らの唸る声や、足音が遠くなっていく。
逃げ切った、助かったと、俺は溜息をついて一安心した。
──林を抜けるまでは。
「な⋯⋯ッ!?」
思わず、声が漏れた。
個人的には『NA』と発音したし、俺もそう聞こえた。
多分、人には通じないが。
いや、そんな事はどうでもいい。そんな事を考えてる暇は無い。
俺は勢いよく鉤爪を地面に突き立て、急停止を試みる。
しかし爪が鋭いのか、中々止まらない。砂煙があがり、小石が弾け跳ぶ。
右前脚を地面に叩き付けてドリフトする様に踏み込み、ようやく停止するに至った。
その時。ふと、左後脚の踵辺りに地面が触れていない事に気が付く。
俺は、勢いよく振り返った。
──ドクン⋯
自分の心臓が鼓動する音がはっきりと聞こえる。
額に大粒の汗が流れ、視界が一回転する様な気持ち悪さに襲われる。
大地が真っ二つに割られ片方だけ残った様な──。明らかに異様な光景は、まさに断崖絶壁。
一歩踏み出せば奈落の底。絶対に生きては帰れないと、直感的に思った。
落ち掛けた左足をゆっくりと大地に引き戻し、首を伸ばして影の底を覗いてみる。
唸り声の様な音を立て、風が地の底から地上へ吹いている。
ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうな程に、深い深い暗黒の世界がそこには広がっていた。
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