第13話 〜聖女の血が流れ〜
狂気を放つ殺人鬼からとかと鬼ごっこする羽目になったって人は、この世に何人かはいると思う。
でもさ、私みたいに吸血鬼と鬼ごっこする事になったって人は居ないと思う。居たら、吸血鬼が実在するのを先に知っちゃってるしね。
私だってちょっと前までは吸血鬼なんて空想の何かかと思ってたからね……でも、今はそんな事言ってもいられないんだ。
ヴォルフ以外の吸血鬼と鬼ごっこしてるから──。
「はぁ……! はぁ……!」
やっぱ私の肺じゃすぐに逃げ切れなくなるし、今回の相手は他の吸血鬼と違って堂々と皆の前でも丸出しだった。
だから人の家だって簡単に壊したりするのを躊躇いもしないと思う。だから家には入らない。
荒らされたくねーし。
「飛ぶスピードはそんな無いのか!? 背後にも姿が見えない!」
本当にそうなら良いんだけど、梟みたいに気付かない位置から一瞬で狩に来るんだとしたら止まってる余裕は無い。
応戦も出来ずに終わるのなんて絶対嫌だし、もっともっと学校から離さなきゃ。アイツが生徒達を襲わない保証なんて無いんだし!
だとしたらどこに行けば良い? 一先ず少しでも休憩しなきゃ死ぬしな。
公園があるので、車道を越えて反対側の路へ渡る。
「見えるまではここで休む……はぁ、はぁ。水飲んで、脚も休めなきゃ」
水道水を少量飲み、ジャングルジムの近くにある中央の電灯に寄りかかる。見た感じまだ姿は見えない。
360度全体を見渡し続ける所為で酸素の回復は遅いけど、ここはまだ学校から近いからもうちょっと頑張らなきゃ。
そういえば、由奈は無事だろうか。ヴォルフは今どうなってるんだろう。二人が段々心配になってきた。
でも学校に戻って他の生徒を巻き込む訳にはいかないからな……何とか無事であって欲しい。
気付くと、私の影は大きく変わっていた。
この状況、少し前にもあったような──
「休憩は終わったか? 聖女ミルフィの生まれ変わり」
「!! クソ……!」
反射的に逃げようとしたけど、空中から襲いかかって来た奴にジャングルジムに押さえつけられる。
このままじゃ間違いなく私の血が吸われる。そしてこんなのに血が渡ったらまた戦争が起きるかも知れない。
それだけは絶対、ダメだ。何とかして逃げられないか!?
「……先に聞いて良いか? 香恋はどうした!?」
「もう一人の聖女か? なら知らん。狙ったのは俺じゃないからな」
「え────?」
コイツじゃない? でも狙った奴はいる? だとしたら今回は二人いるのか!? 最悪だ。
このことを知ってる人間は私以外居ない上、今こんな状況だし絶望的だ。
今回は手も脚も出ずにやられておしまいか。せめて17歳になってからが良かった。
──いや、成人してから、それよりも仕事出来てから……いやいや、結婚したかったなぁ。心残り多いな。
奴の牙が剥き出しになり、妖しく光る。その牙は私の首筋を目掛けてゆっくりと接近。完全に詰んだと諦めるしかない。
さよなら、由奈。ヴォルフ。香恋。
「ん……?」
「え……」
突如握力が弱まり、私とは別の方向を睨みつける吸血鬼。一体何がどうした? 助かったけど。
「汚い牙を彼女に触れるんじゃない。言っただろう、彼女に唾をつけていたのは僕だ……!!」
「ヴォルフ!」
ボロボロの姿をしたヴォルフが私の背後から奴の腕を引き剥がした。
ヴォルフ、そんなになってもまだ……。
私が心配して近寄ると、ダメージが酷いのかフラフラし始めるヴォルフ。
そして私の肩に両手を置き、頭を下げる。何で?
「お願い凌菜ちゃん、血を吸わせて。アイツを倒すには、君の血が必要なんだ」
「あ……」
そういえばコイツ、ここのところ何でか私の血を吸おうとしてこなかったんだった。だから弱ってるんだ。
でも、本当に血を吸うだけでコイツに勝てるのか? 吸ってない時は物凄い圧倒されてたのに。
そんな変わる?
だとしても、たった1ミリくらいしか勝機が無いんだとしても二人共助かるにはその1ミリに賭けるしかないんだ。
私はヴォルフの前に立ち、襟をずらす。
「ヴォルフ、大サービスだぞ。その代わりしっかりアイツ倒せよな!」
「ありがとう凌菜ちゃん、約束だ」
ヴォルフの牙が私の首を貫き、優しく血を吸い上げる。最初の頃のあの容赦の無い激しい吸い方とは全く別物だった。
痛みは少しだけ、後は力が入らなくなっていき私は座り込んだ。頭がクラクラする。
逆にヴォルフの目つきは鋭く眼光を放ち、ボロボロだった身体も気を取り直しつつある。
頼んだよ、あとは。私は酸欠な上貧血で休んでるから。
「貴様、その聖女とはどういう関係だ? 普通に血を渡すとは……」
「そうだね」
どんな関係……か。ヴォルフのことだし、『遊び相手』とか言うのかも知れないな。
掌を胸に当て、眼を閉じたヴォルフはぎゅっと拳を握り締め大きく眼を開く。
そして真の姿へと変わっていく。
「彼女と僕は、300年前からの関係だ。僕にとって、この上無く大切な人なんだよ!」
「ヴォルフ……」
変化したヴォルフは初めて見る程素早い動きで相手に近づいていく。強風を巻き起こしながら。
ついさっき圧倒的にやられていたのが嘘のように高速で打撃を与えて行くヴォルフだが、その攻撃は長くは続かず、相手の翼により吹き飛ばされる。
やっぱり相手の吸血鬼も只者じゃない。
自身の古い爪を構え、今度も高速で向かって行くヴォルフ。
「バカか貴様。そう何度も同じことが通用すると思うな」
「うおっ!」
またも吹き飛ばされるヴォルフを見て何となく思ったんだけど、相手側の奴、攻撃方法が翼で吹き飛ばす以外してなくね? 気のせい?
向かって行く度吹き飛ばされてたらスタミナだって保たないし、消耗するだけ。
いや、例え吹き飛ばすしかしないんだとしても、アイツが強いってことは変わらないんだけど……。うーん。
私はフラフラしながらも急ぎで水道のある場所へ向かって行く。
もしかしたら私も役に立てるかも知れないから。
「何度やっても同じだ! 俺には近付けもしないぞ」
「そんなこと! 分からないだろう!」
水道に着き、水をフルに放出させる。
お願い、私だって指咥えて見ていたくないんだ! 役に立ちたいんだよ!
「こっちだ吸血鬼ーーー!!!」
「凌菜ちゃん!?」
「おめーじゃねぇよ!」
私は放出した水を水道の口に指を半分だけ当てて敵の吸血鬼へ噴出させる。皆も小さい頃やった事あるんじゃないかな? ホースとかで。
私これ得意なんだよ。
「それがどうした聖女。割り込んで来ると言うことは、怪我をしても知らんぞ!」
「うおあ!」
水を弾き返す為はためかせられた翼の風によって私は水もろとも吹き飛ばされた。
──でも、この時間さえあれば良かったんだ。
「はぁ!!」
「ぐお!?」
翼を別の方向へ向けていればヴォルフは追い返される事なく近づける。だから私が代わりに食らったんだ。
その隙にヴォルフの爪が奴の首に刺さり、何やら動いてる。多分血を吸い上げてるんだと思う。怖。
でも、予想通りすぐに爪は抜かれ、再びヴォルフは吹き飛ばされる。
だけど大丈夫だよねヴォルフ。もう勝機が見えてる。
「血が足りなきゃ吸血鬼は大した力を出せない。終わりだ、えーと、誰?」
「終わるか!!」
「いやだから誰?」
ヴォルフに突っ込んで行く吸血鬼は血が減って血迷ったのか頭に血が上ったのか、血相変えている。
そうなれば、もうヴォルフの勝ちだ。
「さらば吸血鬼……の、誰か知らない人!」
心臓に刺さった爪が魂でも吸収してるかの様に敵を異形に変えて行く。
全身の力が抜け、大口を開けて眼やそこから粉の様な光が出ては消えて行く。多分、終わったんだ。
にしても怖いな……そこにはさっきまでいた敵は居なくなり、着ていた服のみが落ちている。
あれが吸血鬼の死に方なら途轍もなく恐怖なんだけど。もっと何かねぇの?
つうか意外と吸血鬼って打たれ弱いよね? 爪で二発食らっただけだぞ? 血を吸われたから? そしたらヴォルフが強いってこと?
分かんね。
「凌菜ちゃん大丈夫?」
「ああ、クラクラすっけどな」
笑顔で差し伸べられた手を掴み、立ち上がる。けどまだフラフラする。貧血だ。
ヴォルフはどんな敵を倒した後も同じく優しい笑顔をくれる。これは吸血鬼としての本能で殺したから、なのかそれとも私の為なのか。
それも未だに分からないままだなぁ。
「さてと、帰ろうか。どうせ今日はもう学校行けないでしょ。僕も凌菜ちゃんも」
「確かにな……お前どうするんだ?」
「ん、どうしようね」
少し寂しそうな顔を見せたヴォルフの事を、私は見逃さなかった。
だって、何人かには吸血鬼って事がバレちゃったんだもんな。いつも通り過ごそうなんてムリだよな。
「明日皆に伝えて、さよならかな」
「そっか……」
さよならって言っても、多分この街からは出て行かないだろうしまあ大丈夫か。
問題は由奈が私に対してどうなるか。ずっと騙してた様なもんだもんな。
私も覚悟決めて本当の事教えるしかないだろうなぁ。
──ん? 由奈以外に何か忘れてるような気がするんだけど……何だっけ。ダメだ疲れた。
私は家に帰ると、すぐにベッドに倒れ込んだ。
朝起きると、メールが届いてた。『僕から言っておくから休んでて』だってよ。
冗談じゃねぇよ。私だって由奈に本当の事を言わなくちゃなんねぇんだ。
学校に着くと、ヴォルフとは会わなかった。もしかしたらもう来ないつもりなのかな。
皆にまず話して、その後由奈を呼び出した。やっぱ由奈には真剣に、伝えないと。
「りょーちゃん、そんな事になってたんだね。だからヴォルフ君には近づくなって言ってたんだ」
「ああ、理解早くて助かるよありがとう由奈。でも、アイツがいなきゃ私はもう死んでるんだ」
由奈は真剣に話を聞いてくれた。少しも疑おうともせずに……いや、疑えないだけかもしれない。
自分だって他の吸血鬼に連れ去られたんだもんな。
「ごめん、もっと早く言ってあげられたら良かったんだけど」
「ううん。多分私も他の皆も、あんな目に遭わなかったら本当だと思えなかったと思う。だから今でむしろ良かったと思うよ、りょーちゃん」
他の……皆? あれ? 今日何人いた?
私は由奈に一言謝ると、すぐに職員室前に向かった。そうだ、忘れていたのはこの事だったんだ。
本日の私のクラス出席人数、『18人』。
「終わってない、まだいるんだ、後一体吸血鬼が! そうだよ、香恋がまだ帰ってねぇじゃんか! 他の皆だって!」
「りょーちゃんどうしたの!?」
「まだ後一体吸血鬼が私を捜してるんだよ! どうにかして止めないと……!!」
私は由奈に生徒達に伝えるよう言うと、ヴォルフを捜す為に校外へ出た。
ヴォルフは家すらも無くなっていて、本当に別れるつもりなのかも知れない。お願いだよヴォルフ! まだ、まだ────!
「りょーちゃん!!!」
「え……?」
追いかけて来た由奈に呼ばれて漸く気付いたけど、私の背後に浮いている生物が一体。いや、ちゃんと言うと生きてはいない……かな。
それと眼が合った刹那、聖なる血が視界に入り込む。
私の首には鮮血が流れ落ちていた。
「りょーちゃあん!!」
最後に聞こえたのは由奈の私を呼ぶ声で、最後に眼に映ったのは遮られていく空。
私は吸血鬼に血を吸われてしまったのだ。
どうしようミルフィ、私、死んじゃうのかな────。