SLAYERS STRUT④
お姉さんが強引に作った、僅かな反撃の機会。
それを逃すことなく、ティオちゃんは魔力線の切断へと向かった。
ソニアとタコ頭の間に突然飛び込んだティオちゃんを見て、お姉さんの足元で仰向けに倒れているソニアや、彼女を操っているタコ頭がその動きを止める。
切れたのか。
瞬きをすることすら躊躇われる刹那。運命はどちらに転んだのか、お姉さんは何をするでもなくただティオちゃんを見ていた。
もし、魔力線が切れていなければ、お姉さんはソニアに反撃を受けて死ぬだろう。
拘束を解かれたソニアは起き上がり、何らかの手段でお姉さんを殺すはずだ。それがナイフか、はたまた隠している武器か、お姉さんが手を伸ばしている彼女の91かは最早どうでもよかった。
ただ、そうなった時は意地でもタコ頭と刺し違えてやらなければ、今度はティオちゃんが危ない。
必ず生き残ると約束した手前、この方法だけは避けていたが、事ここに至っては仕方がなかった。このタコ頭をここで撃ち殺せば、少なくともソニアとティオちゃんは助かる。
そんな考えを巡らせ、心の中でティオちゃんに謝りながら、お姉さんは無限とも思える一瞬を耐えていた。
「……長耳の亜人が、何をしている! 黙っていれば、最後に殺してやったものを!」
タコ頭が耳障りな声で叫ぶ。
一方、勢いよく飛び込み、地面に倒れたティオちゃんは動かない。
その瞬間にお姉さんは、ソニアが起き上がろうと放った右足の蹴りを顔面に喰らって、彼女の91を手放してしまった。
駄目か。
「――――アナタにはもう誰も、殺させません」
だが、ゆっくりと起き上がりはじめたティオちゃんは笑っていた。
不敵に、そして勝ち誇った顔で。
その直後、お姉さんの落とした91を再び拾おうとしていたソニアが、文字通り糸の切られた操り人形のように、その場へ崩れ落ちる。
蹴りを喰らってよろけていた体勢をどうにか持ち直し、お姉さんはソニアを受け止めた。
「何故、洗脳が……!」
魔力線を断ち切られたことを理解したのか、タコ頭の魔族がその顎についている触手を硬直させて驚いている。ざまぁみろ。
「アナタは、ワタシがこれまでに会った中で最も卑怯な人です。イーレンさんや花鶏さんも、例え酷いことをしても自分の命を懸けて、自分の血を流して戦ってました」
怒っている。
タコ頭と対峙しているティオちゃんは、その小さく白い手を精一杯の力で握り締めていた。
魔力線の発見と切断で、体力は相当に消耗しているはずだというのに。
「だけど、アナタは違う。自らは血を流さず、誰かの思いを踏みにじり、誰かの人生を自分勝手に弄り回しています」
ティオちゃんは肩を大きく上下させながら荒い息を吐き、その場に立ちつくしてどうにか呼吸を整えている。
にも関わらず、その立ち姿には花鶏と対峙した時と同じような、頼もしく勇ましい雰囲気があった。
「アナタは、絶対に許せません。けれど今ならまだ、魔族狩りや民警に投降できます。殺し合いと憎しみ合いは、もうここで終わらせてください」
それでも、ティオちゃんは決してタコ頭を殺そうとはしなかった。
ティオちゃんには、戦う力がないからではない。お姉さんたちとは違う、殺し合いの輪の外にいる者として、ティオちゃんは自らの命を懸けて戦っている。
ただ、本心から殺し合いと憎しみ合いの連鎖を終わらせたいその一心で、今ティオちゃんはタコ頭と対峙しているのだ。
「抜かすなよ、小娘! 劣った人類などに顎で使われ、鼻で笑われてきた我ら魔族の屈辱と悲願を、貴様風情が知ったふうな顔で語るな!」
「アナタの憎しみや思い込みで、他の誰かの世界を壊すなんて、絶対に許しません!」
タコ頭が、白衣の内側から小さな錫杖のような棒を取り出す。
先端にどす黒い輝きを放つ石を備えたその棒を、天に向かって振りかざすタコ頭。
嫌な予感が背筋を這ったお姉さんは、左腕でソニアを支えながら、右腕で91を取り出す。
「我ら魔族の、崇高なる使命を邪魔する愚か者ども! 総主様の力の前に、為す術なく滅ぶがいい!」
怒り狂ったタコ頭は、巨像に本部ビルを破壊させようとしていた。
既に本部ビルは、あの巨像の攻撃を何発も喰らっている。ここに来るまで、何度か地震のような強い揺れを感じたが、おそらくあれが巨像の攻撃だ。
砲撃ですら傷つかないと言われたこの本部ビルを揺らすほどの一撃を、もう一発耐えられる保証はどこにもない。
止めなければ。
これまでの戦いが、今もこの階下で戦う仲間が、折角救ったソニアの命が、全て瓦礫の中に消えてしまう。
「――――お姉さんっ! あの杖は、魔力線を放ってません!」
ティオちゃんの声が、満身創痍の身体で91を構えるお姉さんに届いた。どういう仕組みか知らないが、それじゃあティオちゃんにはどうすることもできないってワケか。
つまり、お姉さんの出番だ。
タコ頭は、巨像を操作することに専念している。ソニアの洗脳は解かれ、彼女は今お姉さんの左腕にその身体を委ねていた。
狙い撃つしかない。そう、瞬時に判断した。ティオちゃんもそう思ったのか、お姉さんの射線から移動している。
問題は、狙う標的だった。
猶予は僅かに数瞬。瞬きを2、3回してしまえば、巨像の攻撃が本部ビルに当たるだろう。そうなると撃てる弾は、もう一発だけだ。
確実に当てるなら、あの禍々しい錫杖めいた棒ではなく、タコ頭本体を狙うべきだろう。距離は僅かに数リーネア。例え意識が薄れはじめ、91を構える右手が震えだしていても、お姉さんなら外しはしない。
幾度となく撃ってきた拳銃、幾度となく奪ってきた命だ。今さら、逡巡することはない。
だが、それは即ちティオちゃんの今の言葉を嘘にすることになる。
狩人でなくなり、ラーテルでもなくなり、魔族狩りのおっさんでなくなっても、お姉さんの手はずっと血に塗れたままだ。
別に、これまでに流した血や奪った命、犯した罪から目を逸らしたいワケじゃない。その償い、報いはいずれ受けることになるだろう。
ただ、その罪は消えないからといって、これから先もずっと血を流し続ける理由にはならない。
もう、おっさんはいない。過去は戻らず、記憶の奥へと過ぎ去っていくから過去なのだ。
クラベルやネゲヴ、ダグラスといった仲間たちも。
花鶏千種や、このタコ頭といった敵たちも。
そして、これまでのお姉さん、いやおっさんも。
思えば、ずっと過去に縛られ、囚われてきた。
――この戦いで、魔族狩りのお姉さんは終わるんじゃなかったのか。
お姉さんは自らに問いかけ、そして答えを出した。
奇しくも、ティオちゃんを肉の蔦から解放した時と同じだ。あの時も、わざわざ命中させにくい方を、困難な方を選んだっけ。
天国のルシアに胸を張れるように、と。
まったく、なんて数奇な運命だ。
構えている91は執行官になった後、つまり肉の蔦を撃った91と同じもの。見慣れた照門と照星で狙いをつけ、肉抜きした引き金を引く指に力を籠める。
標的である棒、その先端にある石の大きさは、赤ん坊の握り拳より少し大きい程度。
狙えるのか。
一抹の不安が心をよぎり、それが向かい風となってお姉さんの視界を遮ろうとする。まだ迷っているのか、こんな時に。
そんなことじゃあ、ヒーローには――――。
「――できるよ。だって、パパはヒーローだもん」
耳元でルシアの声が、聞こえた気がした。
そして、向かい風が止んだ。
ティオちゃんが魔術で止めてくれたのか。或いは、本当に天国のルシアが止めてくれたのか。
それを考える時間はない。
ただ、これだけは言える。
ありがとう。最後まで、支えられっぱなしのヒーローだ。
これまでに聞いたことがないほど心に響く銃声が、一発だけ鳴った。
嫌というほど聞いてきたはずの薬莢が地面に落ちた音ですら、まるで福音の鐘のようにお姉さんの心の中で鳴り続けている。
巨像の攻撃による揺れはない。
石を壊され、巨像の操作が不可能となったタコ頭は、力なくよれよれとその場に座り込んだ。
その光景を見たティオちゃんは、飛び跳ねるほど喜びながら、お姉さんの元へと駆け寄ってくる。
これで、旧魔王軍の残党も戦意を喪失するだろう。
奴らの象徴。担ぎ出してきた遥か昔の憎悪と破壊の象徴は、単なる馬鹿デカい像になったのだから。
階下の死地で戦っている仲間も、これで助かる。
あぁ、まったく。本当に、疲れた。しかし不思議と、戦った後にくる熱は感じない。心地良い達成感と、力を奪っていくような冷たさだけだ。
またティオちゃんと旅を始める前に。
少しだけ、眠るとしよう。
お姉さんの意識は、そこで絶えた。