SLAYERS STRUT③
この屋上へと続く階段を上っている時に、ティオちゃんと考えた作戦はこうだ。
タコ頭の魔族がお姉さんを警戒している以上、ソニアをお姉さんに向かわせることは間違いない。なら、お姉さんが囮役を引き受けている間に、ティオちゃんがタコ頭の魔力線を発見して、それを切断するって具合だ。
ただ、魔力線切断のためにタコ頭へ接近する必要があった場合、ティオちゃんはある合図をお姉さんに送る。
その合図は、お姉さんを呼ぶこと。
「――――お姉さん!」
満身創痍の身体を、どうにか奮い立たせようとしていたお姉さんの心に、ティオちゃんの声が確かに届いた。これの意味するところは、ひとつしかない。
しかし、この状況でソニアという壁を突破して、ティオちゃんをタコ頭の元にまで接近させることができるだろうか。
いや、思案したって仕方がない。ティオちゃんだって一所懸命になって、魔力線を見つけてくれたんだ。
なら、お姉さんだってもうひと頑張りするさ。
血を流し過ぎて、そろそろふらついてきた足や頭も。呼吸をする度に鋭い痛みが走る胸も。
まだ戦える。ティオちゃんの声は、いつもお姉さんにそう思わせてくれるんだ。
「我ら魔族の仇敵であって魔族狩り、そして人類はこの夜明けと共に滅び去る! 魔族狩りが無くなれば、総主様の力の顕現であるこの巨像を止める者はこの世にいない! 忌まわしい人類の文明は消え失せ、魔族2千年の悲願はようやく叶う!」
幸いなことに、タコ頭の魔族はお姉さんたちの作戦にまったく気づいていない。早くも魔族の悲願とやらを果たせたと勘違いして、その歓喜に顎の触手を震わせていた。
まったく、おめでたい頭だ。こっちはまだまだ、やる気満々だってのに。
「――ほほう、まだ向かってくるか。だが、そんなボロボロの身体で何ができるというのだ」
お姉さんにまだ戦意があることを確認したタコ頭は、余裕そうにくちゃくちゃと顎の触手を動かしている。
嘲笑でも浮かべているつもりか。
「最早、何もかも終わりだ、ラーテル。夢や希望などという、儚い灯火に吸い寄せられた哀れな狂人よ。矮小で薄汚れた狩人なりに、身の丈にあった生き方をしていれば、ここまで苦しむことはなかったものを」
狂人、か。なら、お前の定義する正気ってのはなんだ。
目の前で横行する悪事に冷笑を浮かべ、これが世界の常だと皮肉屋を気取ることかい。
終わりゆく命を前にして、両膝をついてこれが運命だと諦めることかい。
「……まだだ」
それならお姉さんは、狂人で良い。夢見がちで、諦めの悪い狂人でいい。
「まだ、何も終わっちゃいないよ」
痛い。
苦しい。
死にそうだ。
そんな言葉なら、さっきからずっと頭の中で反響している。今のも、うっかり口から色んなものと一緒に噴き出しそうだよ。
けど、だからこそ笑うんだ。
ティオちゃんや、ルシアがそれを教えてくれた。そして、お姉さんの背中を守るため、死地に残ったお姉さんの仲間たちも皆、笑っていた。
自分を、そして誰かを安心させるため、希望を届けるために。
「さぁ、かかってこい。ヒーローはここにいる。何ひとつ失わず、何ひとつ諦めず、胸を張ってここに立っている」
なら、お姉さんだって笑ってやる。背負うものに誇れるように、支えてくれた人たちに報いるために、精一杯笑ってやるさ。
吹く風がお姉さんのコートをはためかせ、夜明けの前の空で星が最後の輝きを見せていた。
最終決戦には、文句なしの舞台じゃないか。
「そうか。なら、何度でも終わらせてやろう」
そう言うと、タコ頭はうねうねと動く腕の触手をこちらに向ける。同時に、ソニアの虚ろな目と91の銃口がお姉さんを捉えた。
このままいけば、お姉さんの身体にまた弾丸が撃ち込まれる。
こちらは既に満身創痍。次に鉛玉を喰らおうものなら、いくら防弾ベストを着用していると言っても、立ち上がることはできないだろう。
なら、避けるしかない。
弾丸が発射された後では、もう遅い。幾らお姉さんが腕利きの魔族狩りでも、所詮は人間。近距離で発射された拳銃弾を見切るなんて芸当は、人間じゃあ不可能だ。
だから、撃たれる瞬間に動く。
これが、見ず知らずの相手ならば、お姉さんだってこんな狂った対抗手段はとらない。相手が自分の長年付き添った妻だからこそ、かつて背中を預けた相棒だからこそ可能なのだ。
ソニアがお姉さんの技を全て習得しているというのなら、お姉さんだってソニアのクセを覚えている。
例え洗脳を受けていても、ソニアの肉体に刻み込まれた技は消えなかったというのなら。
肉体に染みついたクセもまた、消えていないはずだ。
そのクセが生み出す、ほんの僅かな予備動作の間隙を突くしかない。
自らの足音が。
屋上に吹く風が。
この空間に流れている時間が。
何もかもが、ゆっくりに感じられた。
そんな中で、お姉さんは瞬きひとつせず、ソニアの方を見る。
ソニアのクセ。
それは、銃を撃つその瞬間に、僅かながら構えている方の肩が強張ること。
見切れるはずだ。あの灰色の墓場の時のように、ソニアから目を逸らさなければ。
ソニアの虚ろになってしまった目も、生気の無くなった顔も、こちらに銃口を向ける姿も。
全てルシアが亡くなったあの時、残された何もかもから目を背けてしまったお姉さんが生み出したものだ。だからこそ、今度こそ逃げずに向かい合うんだ。
今度こそ、間違えはしない。
避けた。
思考よりも先に、身体が動いていた。自らの意識よりも先に、お姉さんの足は右に。
銃口から放たれた弾丸を、いつの間にか避けていた。
機を逃がさず、ソニアとの間合いを詰める。
お姉さんの左腕で、ソニアが右手に構えていた91の銃口を反らし、これからタコ頭に接近するであろうティオちゃんに、万が一でも銃弾が当たらないようにする。
そこから、右足をソニアの股の間に入れて彼女の片足を引っ掛け、体勢を崩した。
そして、伸びきったソニアの右腕を掴んだまま背負い投げ、地面にソニアが衝突すると同時に、その右腕を捻って91を放させる。
民警が武装した犯人相手に用いる、逮捕術のひとつだ。ティオちゃんになるべく血を見せないよう、ラーデンへ向かう前に習得していたのが、まさかこんな場面で役に立つなんて。
3つ数える間もないほど素早く動けた自分に、何よりも驚くお姉さん。重傷を負っているとはいえ、この若返ったお姉さんの肉体だからこそ、できた芸当だろう。
あの、しょぼくれたおっさんの身体では、まず不可能だった。
「――銃弾を、避けるだと!?」
驚いているタコ頭に銃口を向けようと、ソニアを拘束する手を離して、彼女の落とした91に手をかける。
当然、拘束を解かれたソニアはすぐさまお姉さんを攻撃するだろう。
それでいい。タコ頭もソニアも、お姉さんだけを見ていた。あと数瞬もすれば、反撃されたお姉さんが一転して窮地に陥るだろう。
だが、そんなことなど考えなくていい。今はただ、ティオちゃんのために、囮としての役目を果たすのだ。
そして、お姉さんの視界の端に、タコ頭とソニアの間に飛び込んでいくティオちゃんの姿が映った。