SLAYERS STRUT①
屋上へと続く階段を一歩、また一歩と上る。
何のことはない単なる一段を上る度に、何故かお姉さんの脳裏にはこれまでの旅の記憶が、映像として思い出されていた。
鎧の中に閉じ込められていたティオちゃんを、間一髪のところで助け出した瞬間。
クラベルと共に奴隷市場を潰し、カルフールの町でネゲヴが旅に加わった瞬間。
花鶏千種と再び対峙し、亡くなったルシアが遺してくれた言葉の意味を噛み締め、強くなったティオちゃんの背中を眺めていた瞬間。
そして今、失ったと勘違いしていたものと、世界の命運をかけて、過去に縛られた亡霊どもと対決しようとしているこの瞬間。
どれひとつとっても、この旅がなければ決して経験できなかった。おそらく、こうやってお姉さん自身の過去に決着をつけることも、ティオちゃんと出会わなければできなかっただろう。
「――大丈夫です。きっと、勝てますよ」
隣で、ティオちゃんが微笑む。
この、小さくて純粋で、けれど心から溢れ出すほどの光と優しさ、そして勇気を持つこのエルフの女の子に出会っていなければ、きっとお姉さんは永遠にラーテルのままだった。
ティオちゃんの過去に何があって、こんな子に育ったのかをお姉さんは知らない。あの、ロジェフスク陸軍基地跡に向かう車内で、お姉さんがコイントスに勝てば聞けたのかもしれないが。
ただ、今となってはそんな些事はどうでもいい。ティオちゃんがお姉さんの過去を気にしなかったように、お姉さんもこの子の過去は気にしない。
そして、もしティオちゃんが過去を語ってくれる時が来たら、その時はこの子がしてくれたように、お姉さんもティオちゃんの過去を受け止めてあげよう。
何よりも。
今こうして、お姉さんと共に戦い、その隣で力強く笑って前に歩いてくれている。
それだけで十分だ。
それだけで、臆病者のお姉さんもしっかり前を向いて、胸を張って戦える。
向き合うことが怖くて、辛くて、苦しかった過去と向き合うことができる。
天国のルシアに、今も階下で戦ってくれている仲間たちに、そして今も囚われているソニアに胸を張れるヒーローでいられる。
これから、自らの手の内を知る強敵と戦うっていうのに、おっさんだった頃では想像もできないほど、晴れやかな気持ちだ。
ルシアが死んでしまってからずっと目を瞑り、光に背を向けながら戦い続け、花鶏千種との死闘を経て、ソニアに瓜二つのお姉さんになって。
それでもまだ中身はおっさんのまま、ティオちゃんと出会うまでの間、心を蝕んでいく流血と暗がりに身を委ね続けていた。過去や周りにいてくれた人たち、何よりも自分と向き合うこともせずに。
そんな、単なる魔族狩りのおっさんが、今や世界を救おうとしているヒーローのお姉さんなんだから、とんだ数奇な運命もあったものだ。これじゃあ、ほとんど生まれ変わったようなモンだ。
そういえば、東国の宗教には『転生』という考え方があったっけ。
生まれ変わりが云々と、昔ルシアから教えてもらったけれど、あの時はそんなことがあるワケないって言ったっけな。
けど、今なら分かる。
お姉さんはあの時、確かに生まれ変わったんだ。
あの時っていうのは、花鶏の薬を被っておっさんがお姉さんになった時じゃない。そんな外側だけ、上っ面だけの変化じゃない。
ティオちゃんと出会って、しっかりとルシアの言葉を思い出して、それから噛み締めて。おっさんが、お姉さんとして、前を向いて歩き始めた時のことだ。
これまでの人生でできなかったことや、やれなかったこと。逃げ出してしまったことや、くじけてしまったことは、例え生まれ変わっても帳消しにできるワケじゃない。
ただ、それでも。やり直せる可能性をくれたのは、お姉さんにとっては間違いなくあの時だったんだ。
もしかしたら、言葉だけじゃ分からなかったお姉さんを見かねた天国のルシアが、プレゼントしてくれたのかもしれないな。
――――パパ……? パパはね、私のヒーロー。だから、これからも、誰かのヒーローであってね? 私との約束、だよ?
そうか。今、ようやく気づいた。
ルシアのこの言葉は、お姉さんのこれまでをあの子なりに肯定して、自分がいなくなってもお姉さんが迷わないようにしてくれていたんだ。
学も無くて、意気地も無い、ただ戦うことしかできない馬鹿な父親に、あの子は最後まで大切な光を残そうとしてくれていたんだな。
ひょっとしたら、ルシアはお姉さんが魔族狩りなんていう、アコギな稼業をやっていることに気づいていたのかもしれない。
勘が良くて、理解も早いあの子のことだ。自分の父親が、少なくともまともな人生を歩んできた人間じゃないってことは、気づいていたんだろうな。
それを分かった上で、そして段々と自らのまだ幼い身体を病魔が着実に蝕んでいくのを悟った上で、それでもずっとお姉さんに笑顔と言葉を向けてくれていたのか。
まったく、なんて馬鹿な父親で、なんて賢くて優しい娘なんだ。
空想の世界じゃあ、最終決戦を前にバラバラだった物語のピースがパチリとはまっていく、というのが定番だけど。
まさかそれが、お姉さんの身にも起こるなんて。
これじゃあまるで、この戦いでお姉さんが死んじゃうみたいじゃないか。
「あぁ、必ず勝とう。……でないと、下で頑張ってる連中から、何を言われるか分かったモンじゃない。ネゲヴはともかく、後の2人は怒らせると地獄の果てまで追ってくるからね」
冗談じゃない、死んでたまるか。
コートのポケットにあった煙草の箱、その中にあった最後の一本を咥えて、お姉さんはそれに火を点けた。
いつものように軽口を叩いて。
いつものように煙草を咥えて。
いつものように、勝ってやるさ。
なんてったってお姉さんは、魔族狩りの。
いや、ヒーローのお姉さんなのだから。
◇
そして、迷いの雲など欠片も無い、晴天の心を抱えた胸を張って、お姉さんとティオちゃんは屋上に繋がる階段を上りきり、そこにある扉を開け放った。
開けた瞬間、突風がお姉さんたちを包み込むが、そんなことぐらいで目を閉じるお姉さんたちじゃない。
「……のこのこと現れたな。ラーテル」
「人の物を盗ったらどうなるか。教えてやるさ、タコ頭」
風の吹き荒ぶる屋上という舞台に、四人の役者が揃う。
お姉さんと、ティオちゃん。
タコ頭の魔族と、ソニア。
お姉さんとソニアは、服装から顔立ちに至るまで瓜二つ。違うのは、瞳に宿る光だけ。
多くの人たちがくれた光を宿すお姉さんの目と、光を無くしてしまったソニアの目。
人の嫁さんをこんな風にしやがって、絶対に許しはしない。
両手に構えた91を、ゆっくりとタコ頭に向けるお姉さん。
それに呼応するかのように、一挺の91を持ったソニアもまた、お姉さんにその銃口を向ける。
さぁ、ケリをつけよう。