第9話
魔族狩り本部ビル、59階。
屋上まで、残すところ一階層。ここを制圧できれば、屋上での決戦に全力を注げる。59階に繋がる扉の脇で、お姉さんとクラベルが互いにアイコンタクトをとった。
お姉さんが扉を足で蹴り放ち、クラベルがフロアの内部に突入する。クラベルは姿勢を低く保ち、マチェットを横に構えて放たれた弾丸のように入っていった。
お姉さんもその突入から一拍をあけ、両手に91を構えてフロアに入る。ネゲヴとティオちゃんには、非常階段で待機してもらった。
58階ですらあの有様だ。もうフロア中に触手系の魔族が蠢いていても驚かないよ。ただ、そうなったら最悪の場合、フロア全てをふっ飛ばさないといけなくなるぞ。
さて、箱の中身はなにかな。
「おぉ、やっと来よった。久しぶりやんかぁ、ラーテルぅ」
触手よりも最悪だ。
59階にいた魔族を血祭りにあげ、死体と血だまりの上に立っていたのは、芸人と元副局長の飼い犬である執行官ども。
お姉さんたちが来るのを、よほど心待ちにしていたんだろう。突入したクラベルとお姉さんには、執行官どもの装備している最新式自動小銃の銃口がずらりと向けられていた。
イーレンは見たところ丸腰だが、あの女は曲芸師や手品師みたいに、どこからともなく武器を取り出してくるので油断できない。
精神衛生上、あまりよろしくない展開だ。
「いやぁ、大変やったんやで? あの基地跡から抜け出すのも、この本部ビルに侵入するのも。エレベーターシャフトをよじ登る経験なんて、そうできるモンでもないからなぁ」
しかし、連中には何か目的があるみたいで、イーレンは目を細めてニタニタと笑いながら、こちらに語りかけてきた。
「そりゃ、ごくろうさま。で、もう給料なんて払われないってのに、こんな場所に何をしにきたんだい?」
「ニカカッ。そんなもん、火事場泥棒が目的に決まってるやんか」
まぁ、そうだろうね。この性悪女が人類のために魔族と戦いにきた、なんて大真面目な顔で言い出したら、お姉さんは腹を抱えて笑っていたよ。
「まだ持っとるんやろ? ラーデンの奴隷市場にあった、例の書類」
なるほど、狙いはそれか。
「アレがあったら、結構な数の国の官僚に集れるからなぁ。しばらくは楽して美味い飯が食える。魔族狩りを潰してウチの職を奪ったんやさかい、それくらいしてくれてもええやろ?」
イーレンが、背中に隠し持っていたであろう柳葉刀をするりと抜く。あのスカートに大きなスリットが入ったきわどい服装の何処に、そんな長物を仕舞っているんだ。
「正義の味方になるんは結構やが、正義で腹は膨れんねん。――せやから、あの書類ちょうだい?」
わざとらしく小首を傾げつつ、こちらへと刀を向けるイーレン。
お姉さんは、両手の91を改めて握り直す。クラベルの方も一歩踏み込んで、マチェットを構えているところを見るに、いつでも始められるようだ。
59階は事務用品や雑多な書類なんかを置いておくフロアだったみたいで、金属製のラックや本棚、お姉さんの背丈より大きな備品棚がフロア中に点在していた。
これなら、遮蔽物には困らないだろう。
「生憎と、正義なんて曖昧なものの味方になった覚えはないよ。確かに、柄でもないことをやってる自覚はあるけどね」
イーレンと会話をしながらも、お姉さんは撃ち合いになった瞬間、身を隠せる場所に大方の見当をつけた。こういう手合は、結局のところ話し合いでどうにかなるものじゃない。
「魔族はもちろん、同僚からも恐れられたラーテルが、えらい情けない話やないか。ひょっとして、死んだ後が怖いんか?」
こちらを小馬鹿にしたようなイーレンの笑みは、より一層いやらしさを増している。
「安心せぇ。ウチもオマエも、死んだら地獄行き確定組や。だったら、せいぜいこの世におる間は好き勝手に楽しんだ方が、賢ないか? オマエほど強いヤツなら、裏社会でも引っ張りダコやで」
まぁ、そういう生き方もありだろうさ。
確かに死後の世界があるとしても、生きている間に手に入れたものは持っていけないし、お姉さんみたいな人種は天国になんて行けない。
ただ、お姉さんはまっぴら御免だ。
天国で見てくれているルシアに。こんなろくでなしを支えてくれる仲間たちに。そしてもう一度光を見せてくれたティオちゃんに、胸を張ってヒーローと名乗れるお姉さんになると決めたんだ。
暗い世界の底で這い回っていた、哀れなおっさんを照らしてくれた幾つもの光。その光が無駄ではないことを、その光がどんなものより価値があることを証明するために。
「――悪いね、そういうのに興味はないんだよ」
お姉さんは、ヒーローになるんだよ。
「なら、用無しや」
イーレンのその言葉と共に、執行官どもの自動小銃が火を噴く。
お姉さんとクラベルはそれぞれ左右に跳び、金属の棚に身を隠した。フロアをまっすぐ貫いて非常階段に繋がっている通路を挟んでお姉さんは右、クラベルは左に。
さて、まいったぞ。
この連中を相手にするくらいなら、まだ魔族の群れを相手にした方がマシだ。迂闊に顔を出せば、その瞬間に蜂の巣。
ただ、各国政府のスキャンダル辞典と化しているあの書類を、こんな悪党どもに渡すワケにもいかない。折角、魔族から人類を救っても、今度はその世界で革命とデモの嵐が吹き荒れたら、救い甲斐もないってモンだ。
こうしている間にも時間は、刻一刻と過ぎていく。
魔族にソニアさんを人質にとられ、魔力の巨像がこの本部ビルを破壊しようとしている以上、時間はお姉さんたちの敵と考えるべきだ。
そうした内心の焦りを誤魔化しながら、お姉さんが次に打つ手を考えていると。
「基地跡の借り、返す! 早く、屋上!」
普段の声量からは想像できないほどの大声で、お姉さんに向かってクラベルが叫んだ。
馬鹿言え。ダグラスと違って、今のお前はたった1人。おまけに敵は、下手な忌名つきが束になっても勝てないレベルの精鋭殺人部隊だぞ。
なんだかんだ言っても、この褐色エルフ娘はお姉さんの妹弟子だ。見殺しにしたら、あの世の師匠に祟り殺される。
「その気持ちだけ受け取っておくよ! 流石にイーレンや執行官相手に、お前1人だけ――――」
その瞬間、非常階段に繋がる扉が軋みを上げて外され、その分厚い金属製の扉を盾にしたネゲヴが猛牛のような勢いで突入してきた。
勢いをそのままにフロアの中央までネゲヴは突進を続け、それは自動小銃を撃っていた執行官2人に直撃。その2人をフロアの壁まで、吹き飛ばしてしまったのである。
「な、何や!?」
あまりに突拍子もない事態に、イーレンや執行官はもちろん、お姉さんやクラベルも驚いて手が止まってしまう。
一瞬の静寂。
依然、執行官たちに盾を向けながら、ネゲヴはお姉さんたちの方を振り返ると、親指をぐっと立てて笑った。
「銃声が聞こえて、加勢にきた。どうだい、この重厚な盾。ついさっき、そこで拾ったんだが」
「……よく似合ってるよ、ネゲヴ」
まったく、大したもんだよ。
「ありがとう。さて、これで君も安心して屋上に行けるだろう。ティオちゃんが非常階段で待っている」
「元から、こうするって、決めてた。邪魔だから、早く」
確かに、非常階段まで続く通路はネゲヴが盾を構えている限りは安全になった。
連中の自動小銃に使われている小口径高速弾も、分厚い金属製の非常用ドアは貫通しないだろう。
ただ、それでも状況が不利なことに代わりはないのだ。できることなら、お姉さんもここに留まって執行官どもと戦いたい。
「そう苦々しい顔をしないでほしい。折角、助けにきたんだ。いつものように不敵で、素敵な笑みを浮かべて、行ってくれ」
「借り、返す。でないと、後、怖い」
もっとも、無駄に意地っ張りな2人が、それを許してくれるワケもないが。誰に似たか知らないが、まったく困った連中だ。
「……頼んだ。必ず、全部に決着をつけてくる」
ダグラスに続いて、この2人も死地に残すことになる。
だが、それでも進まないワケにはいかないんだ。
こうして、またも仲間たちに支えられ、お姉さんはいよいよ屋上への階段を上り始める。
今、隣にいるのはティオちゃんだけ。
息を大きく吸って、吐き出す。
あぁ、必ず決着をつけるとも。