敵中突破 ―Side:Demons―
ついに、この時がきた。
『切り裂き小隊』の忌名で知られる魔族、ロブルーマは魔族復権という歓喜に打ち震えながら敵を斬る。
彼の忌名の由来、それはロブルーマという人格が小隊規模の数の肉体を操っているからだった。ロブルーマという単一の自我が、50体近くにもなる同様の構造で作られた肉体を操る。一個体だけを見るなら何ということはないゴブリンの亜種的存在であり、特徴は矮躯に見合わぬ高い身体的能力と、細長い両手に持った切れ味の鋭い鉈くらいのものだ。
しかし、それが50体。それも、単一の自我による己が手足の如き緻密な連携が可能となれば、話はまるで違ってくる。ただ眼前にいる獲物を切り裂くために、50体のゴブリンで構成された軍隊が、寸分違わぬ連携をとり、全体の勝利のために個を躊躇なく犠牲にしてくるのだ。敵となる者にとって、これほど恐ろしいものはないだろう。
その強みを存分に発揮し、ロブルーマは魔族復権の邪魔となる魔族狩りを斬って、斬って、斬りまくった。対魔族の精鋭と謳われた魔族狩りも、所詮は人間。生物的な強さで到底魔族に及ばぬ人間など彼にとって、そして彼の小隊にとって、紐で吊るされた家畜の死骸と同じ。
そしてそれは、ロブルーマの周りで戦う魔族たちにとっても同様であり、圧倒的なまでの膂力と不可思議な魔術を行使する彼ら魔族側は、この公園という戦場を完全に掌握しつつあった。
眼前で不敵に踊る、たった一人の黒い狩人が現れるまでは。
「既に……、10体も……ッ!」
一体、また一体と、四肢をもがれるような痛みと共に小隊を構成する肉体が、ロブルーマの意識から切り離されていく。痛み自体は問題ではない。だが、たった一人に自らの小隊が潰されていく様は、ロブルーマにとって耐えがたい屈辱だった。
そしてその驚くべき事実は、ロブルーマがいま戦っている黒い狩人は凡百の魔族狩りでないことを、何よりも雄弁に語っている。
侮れば、殺されるのはこちらだ。ロブルーマ、小隊を構成する核たるその個体は、依然として恐ろしい速度で小隊を殺し続ける黒い狩人と刺し違える覚悟を決めた。
先の人魔大戦に敗北し、安っぽい人間賛歌のための引き立て役とされてきた魔族の復権のために。生物として遥かに劣る人間を滅ぼし、世界を魔族のものとするために。
この黒い狩人は、生かしておけぬ。
ロブルーマは、両手に構えた鉈をより強く握り直す。彼の敵を倒さねばという決意を固め、まだ残っている小隊を操りながら、自身も狩人との距離を詰めた。
狙いは、狩人の包囲。
どれほどの猛者であろうと、囲まれて一斉に斬りかかってしまえば、それで終わる。寸分の狂いもない一斉攻撃など本来は存在し得ないものだが、ロブルーマにはそれが可能であった。
一瞬にして、包囲は完了。狩人はじわりじわりと、小隊によって形成された円陣の中へと入っていく。その過程で更に何体かの小隊や、彼の同胞たる魔族が仕留められはしたものの、ここまではおおよそロブルーマの予想通りであった。
漁師に追い込まれ、網の中へと入っていく魚のように、狩人はあっさりと包囲されてしまう。ロブルーマは何か企みがあるのかと疑うが、狩人の周りにいる魔族狩りは未だ他の魔族との乱戦の只中であり、とてもではないが狩人を救える状態ではない。
小隊の五感は全て、その核たる本体にも伝わっている。故にロブルーマは、周囲に罠はないと判断した。
「無理もない。この数の小隊を、完全に統率された小隊を、我が誇るべき小隊を前にして、むしろ人間風情としては健闘した方だろう」
そして、まんまと包囲された狩人に、無数の鉈が振りかざされる。付け込まれる慢心も、僅かな誤差も存在しない、完璧にして完全な状況の一斉攻撃。これを避けきれるものなど、凌ぎ切れるものなど、この世にあろうはずもない。
仕留めた。
そう確信した瞬間。ロブルーマは、ただ一人の小隊となってしまっていた。彼の小隊は突如、ロブルーマという核から切り離され、彼の制御を受け付けなくなってしまったのだ。
彼のこれまでの生涯では、起こり得なかった事態。ロブルーマは何が起こっているのか、把握すらできずにいる。
一瞬にして、小隊が全て倒されたのか。
――否、あり得ない。何より、今もなお狩人を取り囲む小隊は、まるで訓練用の木偶がごとく敵を前にして硬直し、ロブルーマの意思に反してぴくりとも動いていない。
では、何が起こった。先ほどまで自らの手足同然に動いていた他の小隊を見ながら、ロブルーマは困惑する。
そんなロブルーマの慌てふためく様を見て、黒い狩人が笑った。
「……なるほど。同じ格好をしたこの連中が魔力線で繋がっているってのは、本当だったのか」
そして、狩人が自らの右手に持つ拳銃の銃口をロブルーマへと向ける。絶対に外すことのないよう、ゆっくりと彼に近づきながら。
「悪いね、切り裂き小隊さん。アンタは忌名つきの中でも、相当な有名人だったんだけど……。いかんせん相手が悪かったな」
仕留めることばかり考えていたロブルーマは、自分が何者と戦っていたのか、ようやくここで気がついた。戦場の熱気に、魔族復権の熱狂に駆られていた彼の頭脳が、急速に冷やされていく。
「――貴様、ラーテルか。あの偉大なる海陵山の大悪童、チグサ様を倒した魔族狩りと、こんなところで会えるとはな」
「その台詞、本人の前で言わない方が良いよ」
やがてぴたりと、狩人がその歩みを止めた。それは、この距離ならば必ず殺せるということを意味している。
「で、どうする。ここでその物騒な得物を捨てて逃げるなら、それを追う様なことはしない。……けど、あくまでお姉さんと戦うって言うなら、話は別だ」
理由はどうであれ、ロブルーマは最早その忌名の由来となった小隊を使えず。そして、相手はあのラーテル。幾多の強大な魔族を殺し、魔族狩りという組織でも実力は五指に入ると言われる強者。
たった一体のゴブリンが、勝てる相手ではない。
しかし。
「侮るなよ、人間! 魔族の悲願達成のため、忌まわしき人間殲滅のため、元よりこの命など惜しくはないわ―――っ!」
ロブルーマは、狩人へと勢いよく飛びかかる。
そのまま魔族の悲願を、人間への恨みを、そして自らの持てる力の全てを両手に構える鉈へと籠め、狩人の脳天めがけて振りかざした。
そこで、ロブルーマという魔族の命は終わった。小隊を相手にたった一人で立ち回り、魔力線を切断する前から何体もの小隊を倒した狩人に、孤立したロブルーマが勝てる道理などない。
あっさりと渾身の一撃を躱され、着地するよりも先に脳天と心臓を含む6ヶ所以上を撃ち抜かれていた。
「……馬鹿だよ、アンタは」
ロブルーマの死を目撃した魔族から、動揺が伝播する。動揺は恐怖に、恐怖は逃亡へと繋がり、魔族狩りを圧倒していたはずの魔族たちは、ロブルーマの死体を踏むことすら何ら躊躇わず、我先にと潰走を始めた。
四方から魔族狩り本部へと侵攻していた魔族の内、公園方面の者たちを撃退することに成功した魔族狩りは、生き残った安堵と勝利した喜びのままに鬨の声を上げている。
その傍らで、黒い狩人は踏みつけられたロブルーマの死体を見ていた。
「……結局、アンタは最初から独りだけの小隊だったのさ。火事場泥棒や、勝ち馬に乗ろうと蜂起した連中に、アンタのような気概なんてあるワケないだろう。ただ、ティオちゃんがいなければ、アンタの勝ちだったかもしれないな」
そう言い残し、狩人は先に待つ仲間と合流する。
もうすぐ、夜明け。しかし、今にも雨が降りだしそうな曇り空に、輝くべき太陽も月も覆い隠されてしまっていた。
そんな中、狩人たちは魔族狩り本部に突入する。