第5話
「お姉さんたちの目標は三つ。まずは、あの得体の知れない魔力の巨像を破壊すること。旧魔王軍の残党とそれに扇動された魔族の暴徒たちは、巨像をこの暴動の旗頭にしてる。連中が魔王の再来だとぬかしてるあの巨像を破壊すれば、この暴動は鎮静化するはずだ」
暴徒と治安部隊が至るところで衝突し、黒煙と悲鳴が充満する街の路地を、お姉さんたちは走り抜けていく。その先頭を行くのはクラベル。刻印を使用しているあの褐色娘に追いつける者はいない。そのすぐ後ろをお姉さんと、ティオちゃんを肩に担いだネゲヴが追いかける。
「次の目標は腹黒副局長、ヒューリアス・ラムズフェルドを捕えること。あの食えない爺さんが野放しにしている限り、魔族狩りって組織が変わることはない。ネゲヴとクラベルのために、それとこれ以上うっとおしい追手を放たれないために、ヤツとは交渉しなきゃならない」
前に魔族狩り本部を訪れたのは、かなり前だ。それでも、この街の大きさに圧倒されたことをはっきりと覚えている。一服ついでに立ち寄ったダイナーの窓から見たこの街の風景には、もっと生気が漲っていたはずだ。多くの人々が笑ったり、泣いたりしながら暮らしているこの街の風景は、もっと色鮮やかだったはずなのだ。
しかし、今この街にある色は赤と黒、そして灰色の三色だけ。それは、かつてお姉さんが抜け出そうと必死にもがいていた地獄と同じ色だった。
そして、この地獄の中心、暴徒と残党たちが攻め込んでいる魔族狩り本部で、お姉さんにとって大切な人が待っている。
「……最後の目標が、お姉さんにとって大事な人。つまり、ソニア・エスペランサの救出だ。ティオちゃん、助っ人を頼めるかい?」
「――はい! 任せてください!」
ネゲヴの肩に乗っているティオちゃんは、お姉さんを勇気づけるように元気よく返事をしてくれた。
本来ならこれは、お姉さんだけの問題だということは分かっている。けれど、そんなことを言ったらティオちゃんはきっと怒るだろう。いや、怒ってくれるのだろう。
それに、あのタコ頭の魔族がソニアを操っているのなら、洗脳に関する魔術をどうにかする必要があった。最も簡単な方法は、魔術を展開している術師を殺すことだが、あの陰湿なクソタコ頭は必ずソニアを盾にしてくるはずだ。
ソニアは、お姉さんの手の内を殆ど知っている。あの魔術が意識を操るものなのか、はたまた身体そのものを乗っ取るものなのかは定かじゃないが、いずれにせよお姉さんは苦戦を強いられるだろう。
そうなると、魔力線を感知して相手の魔術に干渉できるティオちゃんの助けを借りないことには、お姉さんの勝ち目はないに等しい。
そのための計画は、既にティオちゃんへ伝えている。後は、お姉さんの頑張り次第だ。
「まずは巨像を……、と言いたいところだけど、それだと副局長にとって有利すぎる状況になる。お姉さんたちは戦局の天秤がどちらにも傾かないうちに、ケリをつけなくちゃならない。だから、まずは副局長をどうにか説得して、あの忌々しい飼い犬連中を引っ込めさせるんだ」
正面きって戦えば、いくらお姉さんたちでも一瞬にして数の暴力で押し切られてしまう。少数精鋭といったら聞こえはいいが、戦いの基本は大人数で囲んで殴ることだ。しかし、その基本ができないとなると、どうにか策を弄して絶望的な数的不利を誤魔化すしかない。
だが、それはとても危険な賭けだ。ましてや今回は、敵か味方か分からない魔族狩りの連中と、先の大戦の復讐に燃える魔族たちが戦っている本部の中を突っ走り、副局長の元へ辿り着くというのだから尚更である。
「了解」
「後ろは任せてくれ」
「大丈夫です、ワタシたちならできます!」
もっとも、お姉さん以外の三人からは不安なんてちっとも感じ取れない。いや、そうすることでお姉さんを安心させてくれているのかも。
いずれにしても、頼りになる仲間だ。お姉さんには、勿体ないくらいにね。
そうこうしているうちに、お姉さんたちは魔族狩り本部の近くにある小さな公園へと辿り着いた。この公園は普段、休憩中の魔族狩りが多数出没することで有名だ。しかしそんな公園も、いまや魔族狩りと旧魔王軍が入り乱れる戦場となっている。
迂回することも考えたが、ここ以外の場所でもおそらく衝突は起こっているだろうし、今はそんな時間的余裕もない。
であれば、敵中を突破していくしかないわけだ。
「もし散り散りになった時は、とにかく本部の方へ走るんだ。恐らくダグラスは、もう本部の中に入ってる。副局長の居場所はアイツが知ってるから、まずダグラスと合流するんだ」
そう言いながらお姉さんは、二挺の91をホルスターから抜く。
左手には直衛官時代に使っていた、鈍いステンレスの輝きを放つ91。そして、右手には執行官になってから使っているいつもの91。
最後にこの二挺を構えたのは、いつだったろうか。かつての自分、その記憶と愚かさが銃把を握る手から流れ込んでくる。
だが、それでも前を向くんだ。かつての情けない自分よりも、大切な人たちへ少しは胸が張れるように、戦うんだ。
さぁ、行くぞ。
「――大丈夫ですよ、お姉さん。きっと、大丈夫です」
その時、お姉さんの右手を、ネゲヴの肩から降りたティオちゃんの両手が包んだ。知らぬ間に余計な力が入り、強張っていた手がゆっくりとその緊張を解く。
「必ず救えます。この世界も、ソニアさんも。そして、お姉さんの過去も」
ティオちゃんだって、戦うのは怖いはずだ。今から向かう場所には、一筋縄ではいかない敵が雲霞のごとく群がっている。困難という名の巨大な壁が、お姉さんたちの前にその姿を現していた。次の瞬間には死んでいてもおかしくないほど、この場所には殺意と暴力が満ち満ちている。
それでも、この子は笑うんだ。その壁を踏破した先にある未来を夢見て、楽しかった過去を己の糧として、一歩でも前に進もうとするんだ。
本当に。本当に、強い子だ。
良いとも、一緒に進もう。
誰に合わせるわけでもなく、四人が同時にその一歩を踏み込む。地獄の渦の真ん中へと入っていくその一歩は、しかし不思議なほど軽やかだ。
恐怖や後悔という重荷を取っ払ったお姉さんの五体は、まるで空に浮く羽根のように軽い。これならば進める、これならば戦える。
殺し合いに興じていた魔族狩りや暴徒の何人かが、こちらに気づいた。
「――さぁ、ラーテルのラストダンスだ。せいぜい振り回してやるから、覚悟しとけよ大馬鹿野郎ども」
お姉さんたちは、それぞれの得物を構える。
目指すは未来。今よりも誇れる未来だ。