第2話
お姉さんたちが基地跡から脱出して、五日ほどが過ぎた。
旧魔王軍の残党と巨大な魔力人形は、魔族狩り本部の目と鼻の先まで迫っているという。そして、各地で暴れまわっている過激派の魔族たちは、残党共が作りだしたその魔力の巨像を見て、総主様の力が再臨なされたと歓喜しているのだという。
当然、各国も軍隊を差し向けようとしたが、まるで誰かが計ったかのように世界各地で魔族による暴動が激化し、魔族狩りの支援云々にまで手が回らない状況となっていた。まぁ、元よりアテにはしてないけどね。
魔族狩りも、ただ指を咥えて自らの喉元まで刃が達するのを見ていたわけではない。選りすぐりの直衛官で討伐部隊を編成し、巨像の破壊を試みている。しかし、全五回の攻撃で巨像まで到達できたのは、たったの二回。そして、その二回も巨像にかすり傷ひとつ与えることなく部隊は全滅していた。今のところ、知り合いが死んだという話を聞かないことが、不幸中の幸いだ。
人類と魔族の大戦。世界からあまりにも多くの命が消え、勇者の活躍によって終結した数十年前の昔話が、いま再び起ころうとしていた。
◇
『――――どうやら、迷いはなくなったみたいだな』
「あぁ、色んな人のおかげでね。ただ、代わりにとんでもない騒動に巻き込まれて、何度か死にかけちゃったけど、これはこれで悪くないモンさ。……で、支部長サマの返答は?」
今、お姉さんはかつての戦友であるラーデン支部長、ダグラス・モントリオールに電話をかけている。電話越しだと、ひと睨みするだけで人を殺せそうなあの厳めしい顔を見なくて済むのが良い。アレで妻子持ちの恐妻家なんだから、人間というのは分からないものだね。いや、それに関してはお姉さんも人のことを言えた義理じゃないな。
『良いだろう。妻と娘は既に田舎へ避難させているし、このまま連中を好きに暴れさせておく道理もない。そろそろ、書類や上司とにらめっこするのも飽きてきたしな。――何より、完全復活したラーテルをまた見られるってんなら、魔族狩り冥利に尽きる』
言ってくれるよ、まったく。お姉さんの脳裏に、馬鹿な戦友のしたり顔が浮かんだ。
「……分かったよ。特等席で、心行くまで見とくといいさ。識別符号ラーテルの、ラストステージだ」
『期待してるぜ、相棒』
「そっちもね、相棒」
そう言うと、お姉さんは受話器を置いた。
時刻は昼過ぎ。ソファーもベッドもあまり柔らかくないし、椅子もがたついている安宿だが、お姉さんたちの部屋にはテレビと電話があった。もっとも、電話は回転ダイヤル式で、テレビも画面の小さい安物だが。
「とうとう、始まりましたね……」
そのテレビに映されたニュースを、テレビの近くに置かれたソファーに座るティオちゃんが、神妙な面持ちで見ている。ニュースが伝える内容は、お姉さんたちが把握している情報と同じものだ。魔族による反差別、反人類を掲げた暴動が各地で発生。旧魔王軍の残党を名乗る勢力が、魔族狩り本部に向けて侵攻中。世界各地で魔族の暴徒と、それを鎮圧しようとする人類の治安部隊による衝突が起こり、多くの死傷者が出ている。
まぁ、そんな感じだ。
「必ず止めましょう、お姉さん」
隣に座ったお姉さんへ、ティオちゃんは真剣な眼差しを向けてくる。すっかり覚悟は決まったようで、その瞳に輝く光はお姉さんに、彼女が花鶏と対峙した時と同じ頼もしさを感じさせてくれた。
「あぁ、もちろんさ。――ただ、ただね」
もっとも、その両手いっぱいに双剣のように細長いパンを持っているから、何とも締まらないわけだけど。
「……ティオちゃん、そのパンで何本目だっけ。リハビリついでに買ってきたお姉さんの記憶が正しければ、花束みたいな数があったと思うんだけどな。今じゃもう、花束というにはあまりにも寂しすぎることになってるけど」
「きっと、すごく厳しい戦いになると思うんです。反乱を起こした魔族の方にも、それなりの覚悟はあるでしょうから。だから、今のうちに力を蓄えておかないと」
何か、良いこと言ってるみたいな雰囲気で流そうとしてるけど、そのパンの代金は全部お姉さん持ちなわけで。この麗しい見た目のおかげで値引きしてもらったとはいえ、お財布の中身がとても寂しくなったことに変わりないからね。
まぁ、それだけ元気で頭も回ってるってことにしておこう。
「……。とりあえず、この戦いが終わったら、ティオちゃんにはバイトしてもらうからね」
「はい! ところで、人間の社会では飲食店でバイトをすると、賄いというものが貰えるらしいですね! それは、余ったお店の食べ物は全部食べていいってことでしょうか?」
間違っても、ティオちゃんを飲食関係のお店でバイトさせないようにしなければ。でないと、こちらが逆に損害賠償を請求される羽目になりそうだ。
「――クラベルさんもそうだが、君の回復力も尋常ではないな。何か、そういった修行でも積んでいたのかな?」
「違う。この人、無駄にしぶといだけ」
そこへ、各々の仲間に連絡をとっていたネゲヴとクラベルが戻ってきた。
「しぶといのはお互い様だよ。それで、どうだった?」
お姉さんが入口に立つ二人に顔を向ける。すると、万年仏頂面のクラベルはともかく、ネゲヴの方は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「こちらはあまり良くないな。オークの社会も、単純なようで複雑でね。都市部に住むオークは人類への徹底抗戦派が、俺と同じようにゆっくりと社会構造を変えようとしている穏健派の数を上回っている。そして、地方の集落に住んでいる者たちは、今回の一件に関して中立の立場をとるようだ」
となると、オーク側の援軍は望めないな。
「まぁ、ネゲヴがこちら側で戦ってくれるだけでも嬉しいよ。もしかしたら、オーク同士で戦うことになるかもしれないってのに」
「構わない。君たちは放っておけないし、俺個人としてもこうした暴力による世界の変革は望むところではないんだ。剣によって得た王冠は、剣によって壊れされるというヤツさ」
相変わらず、頼りになる知的な変人だ。
「……里の皆、一応、協力する。優秀な戦士、現地で合流」
クラベルの方は、マルゴアの里に連絡をとっていたようである。しかし、その言葉には何かしらの含みがあった。
「やっぱり、あの里の長老連中が反対してるのか?」
お姉さんも、かつてはあの里で師匠から訓練を受けていたから、ある程度の内情は知っている。人間社会と融和せず、山や森で集落を形成しているエルフたちは、基本的に人間を嫌っていた。いや、エルフがこれまで人間から受けた仕打ちを考えれば、武装蜂起しないだけ温厚だと思うんだが、それでも偏屈で説得など難しいというのが個人的な感想だ。
「それも、ある。けど、何より里の皆、人間を助けること、疑問持ってる」
クラベルの言葉を聞いたティオちゃんが、パンを食べる手を止めて表情を曇らせた。ティオちゃんも最近までエルフの里で暮らしていたのだから、思い当たる節があるんだろう。
「けれど、こんな風に世界を壊してしまったら、人間にもエルフにも、魔族にだって良いことはありませんよ! まずはみんな、落ち着いて話し合うべきです!」
「うん、分かってる。里の人たち、クラベルが説得する」
ティオちゃんの言うことは正しい。ネゲヴが古典から引用した箴言通りだが、暴力によって興ったものは暴力で滅びる。力があるからそれを振るい、今ある世界を壊そうとする者は、必ず同じ思想を持った者に倒されることなど、歴史が幾らでも証明していた。
それに、片方を根絶やしにして勝利しようとするには、人も魔族も増えすぎた。そんなことをしようとすれば、この大陸にある大半の文明というものが滅んでしまう。
気に喰わないから滅ぼす。恨みがあるから殺す。そんな感情だけで片付くほど、事は単純ではなくなってしまったのだ。
「まぁ、クラベルとそのお仲間が加勢してくれるってだけでも有難い話さ。――いいじゃないか、少数精鋭。わらわらと群れるよりは、お姉さんの性に合ってるよ」
とにかく、事前に使える手札は全て切ったんだ。後は、本番でどうなるかさ。こればっかりは、その時になってみないと分からない。
そしてこういうのは、案外どうにかなるものさ。まぁ、どうにかならないっていうんなら、無理矢理にでもどうにかしちゃうんだけどね。