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過去からの銃弾

 褐色の肌が殆ど返り血に染まっても、クラベルは手に持つ刃に憎悪と憤怒を載せ、只管にそれを振るった。

 彼女の肉体は、とうに限界を超えている。より(はや)く駆けるために、雲霞のように襲い掛かる敵の目を眩ますために、背中の刻印を使い続けたためだ。

 しかし、崩壊寸前の肉体と精神をなおも酷使して、彼女は敵を殺し続けた。

 敵、彼女の敵。それは、エルフという種族を迫害し、己が欲のために利用するもの全てだった。

 幼き日の彼女に突然襲い掛かった、暴力という名の理不尽。親も友人も、自らの世界の全てを無惨に壊され、小さく無力だったクラベルは逃げることしかできなかった。

 共に逃げ出し、きっと助かると互いに励まし合った者も、やがて己の背で息絶え、その死体に蠅が群がる。耳障りな蠅の羽音と、背中から漂う腐臭は、今もなおクラベルの心にじくじくと痛む傷跡として残っていた。

 自分たちが、何をしたというのか。ただ、体内で魔力を精製できるというだけで、ただ耳が長いからという理由だけで、何故こんな惨い目に遭わねばならないのか。

 村を焼かれ、世に出れば差別され。ただ平穏に暮らしていても、魔工学などというものを研究するための材料代わりに使い捨てられる。現在に至るまで、クラベルたちエルフは人魔双方からの迫害と差別の歴史を歩んできた。

 許しはしない。死んでいったエルフたちの苦しみを、奴らに理解させる。私たちの怒りを、奴らに身に叩き込んでやるのだ。地獄と化したこの雪原を、切り裂いた奴らの血肉と臓腑で染めてやるのだ。

 乗り捨てられた連邦陸軍のトラックの影に隠れ、次なる獲物を仕留めるために彼女は機を窺う。その姿はさながら、茂みの中で牙を剥く肉食獣だった。

「殺す! エルフの敵、クラベルから全てを奪った敵、全員殺す――――!」


 ◇


「そこまでだ。それ以上はお前の体も、心も持たないよ」

 そんなクラベルの肩を掴んだのは、彼女の兄弟子、もとい今は姉弟子である狩人だった。満身創痍であるはずの狩人の目には、しかし確かな意志の光が宿っている。

「邪魔! 奴ら、殺す! 飼い犬、兵士、魔族……、全部殺す!」

「お前がそれで満足するなら、そうすればいいさ。ただ、残されたマルゴアの里はどうなるんだ?」

 狩人の腕を振り払おうとしたクラベルの動きが止まった。

「コトがここまで大きくなった以上、もう魔族狩りは終わりだ。そうなった時、あの里が頼れるのはお前の力だけだろう。そんなお前が昔の復讐なんて自己満足で勝手に死んだら、里の連中はどうするんだ? 過去の痛みはもう忘れろ。でないと、また失う羽目になるぞ」

「昔のこと、引っ張ってるの、貴方も一緒!」

 クラベルは怒りの感情が剥き出しになった目で、狩人を睨み据える。瞳が赤く燃え滾っていると錯覚するほどの怒りの熱量は、極寒の地に吹く凍てついた風すらも消し飛ばす勢いだ。

「あぁ、そうだ。今の今までずっと、もう戻らないものに囚われて、今あるものを見なかった。その間に、どれだけのものを失ったかすら、お姉さんには分からなかったんだよ」

 だが、狩人の目にあるのは、灰色の悲しみだった。雨が降る墓地のように、暗く沈んだその悲しい瞳で、狩人はクラベルを見ている。

「――そんな大馬鹿野郎に、なるんじゃない。過去の清算はもう充分だろう。失った過去じゃなく、今あるものとこれから得たいものを見るんだ。お前にはまだ、あの里がある。いま守りたいものがあるなら、それを守ることに集中するんだ」

 狩人の言葉と眼差しは、クラベルに問うていた。いつもの飄々とした狩人の言葉には無い、重く冷たい悲しみの色を感じ取り、クラベルも幾分か落ち着きを取り戻す。

「見失うんじゃない。今、お前の手の中にあるものを。失ったものに、守るべきものに、胸を張れる戦いをするんだ。ティオちゃんが見せてくれた光を、お前を頼ってくれている人たちの祈りを、無駄にするんじゃない」

 お前にとって最も大事なものは過去か、それとも未来か。

 里で帰りを待つ人たちを見捨ててまで、お前は自らの怒りと過去の痛みを無くそうと戦うのか。

 彼女の身を焦がしていた、怒りの熱が引いていく。そして、それと同時にクラベルは自らの意識を手放し、その場に膝から崩れ落ちた。

「……手のかかるヤツだよ。まったく」

 そんなクラベルの身体を抱きかかえて、狩人は静かに笑いながら彼女の頭をゆっくりと撫でた。


「――ネゲヴ、その馬鹿な褐色娘を頼むよ。そんなヤツでも一応、同じ釜の飯を食った仲間なんだ」

 手分けしてクラベルを捜索してたネゲヴとティオの二人と合流した狩人は、クラベルをトラックの荷台に乗せると、拳銃をホルスターから引き抜いた。

「二人は、このトラックを動かせるか試してほしい。あの化物を止めるにしても、この状況じゃあ無理だ。一旦、態勢を立て直さないと」

 残弾を確認し、これだけでは心もとないと、狩人はトラックの助手席にあった連邦製短機関銃を引っ張り出す。兵員輸送車などに搭乗する兵士でも取り回しやすいように設計されたその銃は、銃火器の扱いに慣れている狩人ならば片手で撃てるほど小型のものであった。

 拳銃弾を使用するその短機関銃の残弾を、狩人は無駄のない手つきで確認する。

「こういう図体のでかい車は、お姉さんの趣味じゃないんだよ。お姉さんが、できるだけ時間を稼ぐからさ」

 ふと、狩人は痛みと疲労で自らの手が小刻みに震えていることに気づくが、一度深呼吸をして半ば無理矢理に身体と精神を落ち着かせた。

 そんな狩人の様子をティオは両手を胸の前で組み、祈るような仕草をして見ている。

「大丈夫ですよね、お姉さん。ワタシたちのために、命を捨てに行くワケじゃないですよね」

 今にも泣きだしそうな顔でそう言った彼女に、狩人は今の自分にできる精一杯の笑顔を向けた。

「死ぬワケないじゃないか。お姉さんはこれからも、ティオちゃんのヒーローなんだから。……大丈夫だよ。妹弟子にあれだけご高説を垂れたんだ。自分でもそれなりに格好つけなくちゃ、目を覚ましたクラベルに何を言われるか分かったモンじゃない」

 ティオの綺麗な金髪を撫でる一方で、狩人はネゲヴにウィンクをした。

 自分にもしものことがあった時は、この子を頼む。

 静かに、しかし強い意志を宿した狩人の瞳を見たネゲヴに、それを断ることなど出来なかった。悲痛な顔をしながらも、ネゲヴはゆっくりと頷く。

「大丈夫、大丈夫だよティオちゃん。また、一緒にご飯を食べに行こう」


 ◇


 狩人の頭に、亡き娘が遺した言葉がよぎった。

 ――パパ……? パパはね、私のヒーロー。だから、これからも、誰かのヒーローであってね? 私との約束、だよ?

「……大丈夫だよ、ルシア。パパはまた、誰かのヒーローになれたんだ。ヒーローの紛い物じゃなくて、本当のヒーローに。だからもう一度だけ、呆れずに天国で見守っていてほしいな」

 今、囮役を買って出た狩人は、短機関銃を持ってトラックから離れた場所に立っている。

 その視線の先には、逃げ惑う連邦兵を遊戯感覚で殺している旧魔王軍の残党たちがいた。

「ハハハ! 何と弱く、脆いことか! このような劣等生物が、誇り高き魔族を支配できるわけがない! 総主様も復活された今、人間共は残らず殺し尽くしてやろう!」

 勇者に敗北し、各地で隠れ潜んでいた残党たちは、今こそ好機と暴虐の限りを尽くしている。そして、そんな残党のうちの一体が堂々と立つ狩人を見つけた。

「おい。あの黒いコートは――――」

 言い終わるより先に、その魔族が狩人によって撃ち倒される。旧魔王軍の残党、その殆どの視線が狩人に集まった。

 狩人を睨み、じりじりと距離を詰めていく魔族たち。六本の腕を持つ者や、狩人の二倍近い巨躯で大刀を携える者。とてもではないが、生身の人間では太刀打ちできないような怪物の群れが、狩人を取り囲み始めた。

 だが、狩人は不敵に、そして不遜に笑う。

「さぁ、どうした。人間は残らず殺すんだろ?」

 自らの前方に展開している魔族の一団に向かって、狩人は走り始めた。それと同時に狩人はその一団に向かって短機関銃を撃ち、敵の頭数を幾らか減らそうとする。

 しかし、一部の獣人やオークなどの屈強な肉体には、拳銃弾ではかすり傷しかつけられない。

 そして狩人が一段の至近距離へと近づいた瞬間、引き金を引く音だけがカチカチと虚しく鳴り、弾切れを悟った狩人は短機関銃を投げ捨てた。狩人の眼前には、打ち寄せる荒波のような数の屈強な魔族が群れを成している。ホルスターに仕舞っている91の残弾は心もとなく、残る武装はナイフ一本。


 だからどうした。


 黒い獣が、地獄を走る。刹那の闘争に酔い、過去の悲しみから逃れるためではなく。大切なものを壊させないため、少しでも光の差す未来へと向かうために。

 まず、狩人は雑兵二体の間にするりと潜り込み、左手で構えていたナイフで首を切り裂いた。

 鮮血が噴き出すよりも先に、そのナイフを視界に入ったオークの眼球めがけて投擲。それが突き刺さると同時に、横合いから振るわれた巨大な斧の横薙ぎの一撃を少し屈んで回避する。そして、渾身の一撃を躱されて呆けた表情を浮かべていた獣人の顎へと、身体を伸ばした勢いをのせて右掌底を放った。

 狩人の左側にいたバッタ頭の魔族が、掌底で怯んだ獣人ごと殺す勢いで槍を突く。しかし、槍の穂先は狩人のコートを掠めた後、獣人の腹を抉るに至った。それと同時に、狩人は神がかった速さで抜き放たれた91を両手で構え、バッタ頭の魔族を撃ち倒す。

 はためく狩人の黒いコートは、魔族たちに死神の鎌を彷彿とさせた。先ほどまで前線で武器を構えていた魔族たちが一歩、二歩と後ずさる。

 今、自分たちが対峙し、圧倒的な物量で囲んでいるこのたった一人の、それも満身創痍であるはずの魔族狩りは本当に人間なのか。そう疑わざるを得ないほどに、『ラーテル』の識別符号(スレイヤーコード)を持つ狩人の動きは、人間のそれを凌駕していたのだ。

「あ、あれがラーテル……! あれが、魔族狩りの最高戦力と呼ばれる一人……!」

 恐怖が魔族の一団に伝播し、個々の動きが鈍化してきたことを狩人は敏感に察知する。そして、この状態こそが狩人の狙いだった。

 狩人の体力も、精神も、武器も残り僅か。ならば、残った力を振り絞って機先を制し、魔族たちを恐怖させることで撤退までの時間を稼ぐ。それこそが、この危機的状況において狩人に残された唯一の活路であった。

 そしてそこへ、一台のトラックが魔族の群れをはねとばして現れる。

「お姉さん、早く!」

 荷台に乗っていたティオが、目の端に涙を溜めながら狩人へと精一杯手を伸ばす。狩人も、ふっと微笑んでその手を掴もうと、拳銃を持っていない左手を伸ばした。

 活路が開き、絶望に一筋の光明が差す。

「まったく、何とかなった――――」


 そんな二人の間を、一発の銃声が裂く。


 背後から何者かの銃撃を喰らった狩人が、その場に倒れ伏す。

 薄れていく意識と、動かない身体。狩人はそれでも必死に拳銃の銃把(グリップ)を握り、自らを撃った者に一矢報いようとする。

 しかし、魔族の群れの中から現れたその者の姿を見た瞬間、狩人は握っていた銃把を驚きのあまり離してしまった。


「ソ、ソニア……?」


 狩人が、その女性を忘れたことはない。

 肩口の上辺りまで伸びた短めの黒髪と、少し垂れた目尻と眉、そして服の上からでもはっきりと分かる魅力的な身体つき。今の()()()()になった狩人の姿と、眼つき以外が酷似した存在。

 そこに立っていたのは、彼の妻だった女性であり、希望の一部であったはずの女性。

 ソニア・エスペランサだった。

 生気を失った瞳と、狩人と同じツェゲール社製91式拳銃の銃口を狩人へと向けるソニア。

「――ラーテル。貴様を仕留めるには、これが一番だと思ってな。花鶏様はこの基地を混乱に陥れ、貴様との対決を他勢力が邪魔できぬようにすれば良いと仰られていたが……。やはり、自らで手を打っておくに越したことはない」

 そんなソニアの後ろで、タコ頭の魔族が顎の触手を蠢かせて得意げに笑う。

「この女は、かつてお前と共に戦った者であり、貴様の伴侶だろう。ラーデンでの一件を聞いた時、貴様への備えとしてこの女を探し出し、洗脳しておいたのだ。幸い、洗脳はエルフの小娘どもで慣れている。……さて、では我々魔族の野望の礎として死んでもらおうか」

 ソニアがゆっくりと、倒れている狩人に拳銃の照準を合わせながら近づいていく。トラックの周りを、態勢を立て直した魔族たちが囲み始めた。状況は一転し、絶体絶命。

 歯を食いしばり、どうにか力を振り絞ろうとする狩人だったが、最早その身体には指一本動かす力すら残っていない。

「に、逃げるんだ……、ティオちゃん。早く……!」

 血反吐を吐きながら、狩人は未だに荷台から手を伸ばすティオに向かって叫ぶ。

「いやです! またお姉さんと一緒に、ご飯を食べるんです!」

 ここまでか。狩人は自らの死を悟った。

「ネゲヴ! 頼む!」

 その言葉が意味するものを理解したネゲヴは、ハンドルを握りつぶしそうになる自分を必死に抑え、アクセルを踏み込もうとする。

「何を……。――ダメです、ネゲヴさん! まだお姉さんは――――」


 ティオの声を遮るように、荷台から何かが飛び出した。


 その影は地面へと素早く降り立つと、狩人とソニアの間に立ち塞がる。それは、気を失っていたはずのクラベルだった。

「帰る。全員で、必ず」

 突然現れたクラベルに、操られているソニアが拳銃を三発撃つ。内一発がクラベルの頬を掠めるが、彼女は動じることなくソニアを蹴り飛ばし、ラーテルを担いで荷台へと跳び乗った。ラーテルもまた、その瞬間に抜け目なく愛銃である91を回収する。

「二人共、乗った! 早く!」

「分かっている!」

 そして、全員が荷台に乗ったことを確認してすぐに、ネゲヴはアクセルを踏んでトラックを急発進させた。

 ティオ、クラベル、ネゲヴ、そして狩人の四人は、どうにかして死地からの脱出に成功したのだ。

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