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第15話

 外から流れ込んでくる風の音と、恐らく地上から届いてくる銃声が、地下中心部のアスファルトで覆われた空洞で鳴り響く。吐息すら凍りつきそうな北国の風は、死闘で熱されたお姉さんの身体を冷ましていった。

「まさか、あの花鶏千種のあんな顔を見られる日が来ようとはね」

 戦いを終え、ティオちゃんが無事なことをまず確認し、ほっと胸を撫で下ろすお姉さん。一方のティオちゃんは、花鶏が掻き消えた場所を悲しげな目で見ていた。

「――寂しい人、なんだと思います。手段であるはずの力に、己の価値を見出すことでしか、己の存在を定義できなかった。いや、定義してくれなかった。あの女の子と出会うまで、多分あの人は誰からもその人格を、花鶏千種っていう人物を見られなかったんだと思うんです」

 恐らくティオちゃんは、魔力線を通して花鶏の精神、もっと簡単に言えば心のようなものに触れたのだろう。あの腹黒い化物女に『心』なんて綺麗なものがあるか半信半疑だが、少なくともティオちゃんはそれを感じ取ったようだ。

「自業自得、って言ってしまうのは簡単です。確かに、あの人の犯した過ちは、あまりにも大きすぎます。戦場だから、戦いだからという理由で、その罪過(ざいか)を肯定してはいけません。けど、それでも……」

 この子は、本当に優しい子だ。他者の痛みや苦しみを理解し、その者の過ちを許し、優しく笑みを浮かべて異なる道を示す。この日中の穏やかな陽光にも似た優しさを持つために、この子はどれだけ悩み、どれだけ苦しみ、どれだけ傷ついたのだろうか。

「それでもワタシは、あの人にも笑ってほしかったんです。あの人の魔力線を触った時、この人はそこまで悪い人じゃないって、そう思ったんですよ。何かが違えば、あの人ともネゲヴさんみたいに仲良くなれたはずです。なら、今からでもその何かを変えるきっかけを作ってあげたいって、思ったんですよ」

 あの小屋で、ティオちゃんは一人でも多くの人を笑顔にしたいと語った。その単純な理想がどれだけ難しいものであるかは、賢いこの子なら分かっているはずだ。世の中には反吐が出るほどの悪人や、とんでもないほどの理不尽に苦しめられている善人もいる。

 誰かを救う、誰かを笑顔にするということは、とても難しいことなんだ。

「いつか、そんな日も来るさ。花鶏だって、そこまで馬鹿じゃない」

 けれど、それでもこの子はその理想を目指して行くんだろう。それがこの子の決めた生き方(ヒーロー)であり、この子がいてほしいと願った希望(ヒーロー)なのだから。


「さてと。それじゃあ、とっととこんな物騒な場所からは――――」

 一息ついて、この場所から撤退しようと歩きはじめた瞬間、お姉さんは大きく体勢を崩してしまった。

「お姉さん、――っ!」

 そして、そんなお姉さんを支えようとしたティオちゃんも、お姉さんと一緒にその場へ崩れ落ちる。以前に魔力線を握った時もそうだったが、やはりあの技は肉体にかかる負荷が大きいようだ。気丈に振る舞っていたが、お姉さんと同様にティオちゃんも限界だったか。

 慌ててネゲヴがお姉さんたち二人を受け止める。こいつの太く逞しい腕が、これほどまでに頼もしく思えたことは無いな。元男じゃなきゃ、惚れていたね。

「無茶だ、二人共。君たちは本来なら、立っていることすら苦しいはずだ。特にソニアさんは身体中傷だらけで、骨すら折れているかもしれない」

 確かにネゲヴの言う通り、血を流し過ぎたか、あるいは骨が折れているか。いずれにせよ、これじゃあ戦うどころかまともに歩くことすら厳しいな。

 ネゲヴは何かを言う前に、お姉さんとティオちゃんを脇に抱きかかえる。

「すまないが、事態は急を要する」

 隆起する筋肉と、そこに浮かび上がる血管。抱きかかえられことで、お姉さんはネゲヴの肉体を覆う屈強な筋肉の鎧が、如何に屈強かを再確認した。自動車並みのスピードで道を走ったり、大きなベッドをいとも容易く放り投げたりすることも、この筋肉があれば確かに可能だろう。

 そして今、ネゲヴはその筋肉を駆動させ、この危険地帯からの離脱を開始した。

 疾駆、跳躍、また疾駆。峻険な断崖を悠然と昇る四足獣のように、ネゲヴは地上へ向かう。至るところに、基地の警備にあたっていた連邦兵のものと思われる死体があった。撃ち殺され、斬り殺され、焼き殺されているそれらに覆われたこの地下は、まさしく地獄そのものである。

 自らの前に広がっている惨状に表情を曇らせたティオちゃんが呟いた。

「……これほどの血を流してでも、手に入れる価値があるものなんて、この世界にあるんでしょうか」

「価値ってものは、人によって違うんだよ。ここを地獄に変えた連中にとって、命の価値なんて弾丸一発の値打ちよりも安くて、取るに足らないものなのさ」

 次の瞬間、ネゲヴが大きく跳躍し、遂にお姉さんたちは地上に戻ってきた。

 しかしそこで見た光景は、お姉さんたちが基地の地下へと入っていった時とは、大きく異なっていたのだ。


「なんだ、こりゃ……」

 地下の地獄から抜け出したお姉さんたちが目撃したのは、降り始めた白雪を死と炎が掻き消す新たな地獄だった。

 装甲車や戦車、そして格納庫や兵舎といった建造物。それらが全て壊され、燃やされている。金属の薬莢や使い手がなくなった銃火器と同じ様に、惨殺された連邦兵の士官や兵卒の死体があちこちにあった。

 戦争でもあったのかと疑いたくなるような光景。副局長の飼い犬どもめ、いくらなんでもこれはやり過ぎだ。

 しかし、そんな感想など即座に頭から消し飛んでしまうほど、非現実的で絶望的なものがお姉さんたちの視界に入った。

 それは黒い靄のようなものをまとった、人型の大きな何か。この世にある邪悪ってものが目に見えるものならば、それをありったけ集めて歪に固めたようなものだった。

 魔族狩りなんてクソッタレな稼業をしていると、反吐が出るような光景を幾らでも目にする。人の命や尊厳が、道端の紙屑よりも軽く扱われる世界の光景だ。この世界に()()()()()ものなんて()()()()()のだと、否が応でも理解させられた。

 だが、そんな光景を見慣れたお姉さんですら、自分の目を疑った。

 基地の格納庫を優に超える大きさの、邪悪な巨像。旧魔王軍の残党であろう魔族たちを率い、何処かへ進むその存在をお姉さんも、そしてティオちゃんやネゲヴも目を丸くしてしばらく眺めていた。


「……あれが恐らく、ティオちゃんが地下で感じ取った汚れた黒色の魔力だろう。この基地で行われていた旧魔王軍の実験の目的がアレを作りだすことで、その完成に呼応して各地で息を潜めていた残党がこの基地に押し寄せた、といったところか」

 あんなものを見ても、冷静に現状を整理しているネゲヴ。お姉さんはニコチンの力を借りて、ようやく事態を飲み込んだってのに。大した胆力だよ、まったく。お姉さんとティオちゃんをその場に下ろしたネゲヴは、近くにあった連邦製の軽機関銃を肩に担いでいる。

「だろうね。とにかく、目的はさっきと変わらない。何処かで暴れているクラベルを探して回収、それから安全な場所まで撤退だ」

 紫煙を吐き出し、満身創痍の状態でどうにか拳銃を構える自分の言葉を、お姉さんは心の中で笑った。

 なにが、安全な場所だ。そんなものなど、どこにあるというのか。あんなものが動き出して、旧魔王軍の残党が決起したとなれば、昔話でしかなかった人と魔族の戦争が再び起こりかねないのだから。

 そして、昔話に登場する勇者など、もうこの世界にはいない。これから先に起こるのは、どちらかを滅ぼすまで延々と殺し合いを続ける、絶滅戦争。互いに互いを不倶戴天の敵とみなし、殺し尽くすまで戦いを続ける、無限の地獄。これまで以上に悲惨で、残酷な世界がどうしようもないほどすぐ目前まで迫っていた。


「――止めましょう。あの化物を」

 だが、ティオちゃんの目にはまだ、希望の光が煌々と灯っている。その言葉に驚いているお姉さんとネゲヴを後目に、ティオちゃんは話し続けた。

「あの人形はまだ不完全なんです。だから、色んな魔力を無理矢理にくっつけた()()()が、まだ残っています。それを解けば、後に残るのはあの化物の人形としての核だけのはず」

「いや、しかしだなティオちゃん。あの化物もそうだが、大陸全土から集まっている旧魔王軍の残党もある。そう簡単に事は運ばないだろう」

「アレをこのまま放っておけば、とんでもない数の人が――。いいえ、人も魔族も、この大陸で暮らすみんなが不幸になります。そんなこと、許せるワケがありません」

 一点の曇りもない瞳でそう語るティオちゃんの顔は、まさに勇者(ヒーロー)そのものだった。恐怖を押し潰すほどの、優しい強さ。これまでの、そしてこれから起こり得る困難をものともしない、真の強さがお姉さんの目の前で開花していた。

「――それに。ワタシはまた、あの楽しい世界で、お姉さんたちと美味しいご飯をお腹いっぱい食べたいんです。色々と嫌なこともあって、悲しいこともある世界だけど、やっぱり美しくて楽しいあの世界で、もっといっぱい色んなことを見たいんです」

 そして、ティオちゃんはにっこりと、あの小屋で見せてくれたものと同じ笑顔をお姉さんに向ける。人懐っこくて、何処か危なっかしくて、見る人もつられて笑ってしまうような、眩しい笑顔を。

「だから、お姉さん。一緒に、ヒーローになりましょう。世界とか、人類とか、そんな大層なものじゃなくて。ワタシたち自身の未来を守る、ヒーローになりましょう」


 まったく。勝てないな、ティオちゃんには。

「……今度の食事代は、流石に自分で払っておくれよ。でないと、お姉さんは魔族狩りから風俗嬢に転職する羽目になっちゃうからね」

 不思議と、身体に力が湧いてくる。もう動かないと思っていた四肢も、今ならまだ戦えると確信できる。

 そりゃそうだ。ヒーローは、こんなところでへこたれているワケにはいかない。

「――魔族狩りの一部からも狙われて、おまけに旧魔王軍の残党も相手にするなんて。ふっ、正気の沙汰じゃないな」

 まったく、このキザで知的な変わり者のオークは、素直じゃないね。

 そう言いながら、意気揚々と軽機関銃を構えている時点で、やる気満々なのは丸わかりだってのに。

「ただ、嫌いじゃない考え方だ。そのヒーローとやらに、俺もなってみようじゃないか」

 これで、ヒーローは少なくとも三人になった。

 

 さて、全員の腹も決まったところで、改めて状況のおさらいだ。

 恐らくこの基地には今、四つの勢力が入り乱れている。

 第一勢力はタルナーダ連邦陸軍、ロジェフスク陸軍基地跡警備隊。残存兵力は、多く見積もっても数十名ほど。副局長の飼い犬どもと旧魔王軍の残党に追い込まれ、今や連中の命は風前の灯火だ。この連中は最早、戦っているかすら疑わしい。敵として勘定する必要はないだろう。

 第二勢力は高位魔族取締局、副局長直属の人狩り部隊。残存兵力は、不明。ただ、地上に出た途端にその姿を見なくなったところから推測するに、そう数は多くないはずだ。どういう仕組みか知らないが、クラベルと同じ様に刻印での魔術を行使する、厄介極まりない連中である。何より、この一件の真相を知るお姉さんたちを消そうとしているのだ。戦闘は避けられそうにない。

 第三勢力は旧魔王軍もとい獄軍、その残党。こちらも残存兵力は不明。というか、まだ増え続けている可能性が高い。人間との戦いに負けて数十年、よくもまぁしぶとく生き残ってたもんだ。忌名つきからそうでない雑魚まで、まるで魔族の見本市だね。こいつらは恐らく、この基地内にいる人間は全員殺す算段だろう。

 そして、第四勢力はお姉さんたち、自称ヒーローの寄せ集め集団。残存兵力、クラベルを入れてもたったの四人。武装も貧弱、各方面から命を狙われ、その内二名は満身創痍ときたもんだ。


 まったく、最高だ。負ける気がしないよ。

 

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