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第14話

 二人の少女が対峙している。

 片方は、『海陵山の大悪童』の忌名で知られる大魔族。その見た目こそ東国の人形みたいな童ではあるが、中身は幾千幾万の戦いに勝利してきた歴戦の猛者である。ヤツがどれほどの時を闘争の中で過ごしてきたかなんて、お姉さんのような単なる人間には想像もつかない。

 もう片方は、エルフの里の箱入り娘。魔術師が術式や魔術を行使する際に放出される魔力線を見ることができるだけで、流血を見れば卒倒するし、誰かが傷つけばそれを悲しむ優しい女の子だ。


 勝てるわけがない。少なくとも事情を知らない者なら、そう思うだろう。


「――与えずして、乞うなかれ。ワタシの村に伝わる諺です。お姉さんがこのままアナタと戦えば、アナタもお姉さんも無事では済まない。ワタシは、お姉さんに生きてほしい。ワタシから、お姉さんを奪わないでほしい。だから、ワタシはまずアナタに与えます」

 ただ、ティオちゃんは怯えていない。普段のおっとりとした眼差しから一転、対峙する花鶏千種を鋭い目つきで視界に捉えている。いや、それだけではない。彼女は、その小さな右手に何かを持っている。お姉さんの目には何も見えないが、確かに細い何かを持っているようだった。

 そして、ティオちゃんはその右手を胸の前に上げて、花鶏に見せつける。

「これ、アナタほどの魔族なら何だか分かりますよね。――この空間のあちこちに張り巡らせた、アナタの魔力線です。多分、アナタの魔術や術式は、空間そのものに干渉する強力なものなんでしょう。ワタシも、一本の魔力線からこれほどの魔力を感じ取ったことはありません」

 まさか、花鶏と向かい合うまでのあの短い時間で、魔力線を見つけて握ったっていうのか。

 魔力線を掴まれるというかつてない経験に、花鶏の眉が僅かに動く。なるほど、確かに呪符を使って魔力線を方々に張り巡らせる花鶏と、その魔力線を掴んで逆にその魔力を操ることができるティオちゃんの相性は最悪だ。

 見えない糸を指で弾くように、ティオちゃんが右手の親指を動かす。すると、あの花鶏が眉をひそめて、露骨に不快感を示した。

「……己が思考(こころ)に指を挿入され、掻き回されておるかのような感覚よ。もし、この瞬間に魔力線へ直に術式を流し込めば、貴様は儂の思考すらも焼き切れるというワケか」 

「アナタを、見逃します。いま握っている魔力線は離しますから、その女の人と一緒に帰ってください。つまり、ワタシはアナタに明日を与える、というワケです。その代わり、お姉さんも見逃してください。この勝負は、引き分け――」


「戯言はそれだけか、小娘」


 低く、そう呟いた花鶏の言葉に、遊びの色などまるでなかった。

「儂は、この童の身体になってからずっと、この時を待っておった。儂の身体に初めて傷をつけた強者との闘争を、識別符号『ラーテル』の名を持つ狩人との殺し合いを、待ち焦がれておった!」

 世界の全てを掌でこねくり回し、あらゆる者を嘲り笑う花鶏がここまで必死の形相を浮かべたことが、これまであったのだろうか。いつもは妖艶さと冷酷さの霧に包まれた花鶏の顔には、その霧でも隠しきれぬほどの悲しみが浮かび上がっていた。

 花鶏は怒りを帯びた声で誤魔化そうとしているが、お姉さんには分かる。あれは、悲しんでいる表情に他ならない。魔力線を触られている影響か、花鶏は波立つ自分の心を隠しきれないでいた。

 その慟哭にも似た言葉を、花鶏は続ける。

「儂が死ぬか、奴が死ぬか。この闘争に終わりが来る時、立っておる生者は一人で良い! 勝っておる強者は、一人で良いのだ! この瞬間のために全てを用意し、この刹那のためにあらゆるものを利用した! 勝利以外に、何も要らぬ! 勝つことのみが、儂という存在の証明なのだ!」

 何故だかお姉さんは、この不老不死の強大な魔族の心中を、少し理解出来そうな気がした。

 いや、この哀れなほど強い魔族は、娘と、そしてティオちゃんと出会う前のお姉さんに酷く似ている。花鶏もお姉さんも、永遠とも思える時を戦いに費やしてきた。きっとその中で対峙した敵も、背を預けた友も、守るはずだった者も。全て、或いはその殆どが自分より先に去っていったのだろう。

 その隣に立つ者はなく、その前に立つ者もいない。その後ろには勝利という虚飾に彩られた骸が(うずたか)く積まれ、地の底からは己への怨嗟の声が滲み出す。

 それでもお姉さんの周りには、幸いなことにまだ心を通わせた人が何人か残ってくれた。こんなお姉さんの隣にいると、言ってくれる人たちが残っていたのだ。

 だが、この魔族は違った。悠久の時を闘争の中で生き、数多のものが己の掌中から零れ落ちていったはずだ。そして最後に残ったのは、勝利をもたらすだけの圧倒的な力のみ。ふと立ち止まった時、それがどれほどの孤独と後悔を生み出すかなど、想像もつかない。

 だからこそ、花鶏はその過去から目を背けるために、一瞬の後悔すら許さぬ死闘へと身を投じるのだろう。刹那の勝利に酔い、その酔いが醒めて孤独が襲い掛からぬよう、また次なる闘争へと向かうのだろう。例え、その結果が更なる孤独を生み出すことになろうとも、他者と戦うことしか知らないのだ。


 孤独からの逃避。愛されぬことからの逃避。過去からの逃避。

 それが、この花鶏千種という魔族の根本にあるもの、なのかもしれない。そして何かから逃げるために戦っていたのは、お姉さんも同じだ。


「そんなこと、ありませんよ」

 しかし、このエルフの女の子は。お姉さんに本当の強さという輝きを見せてくれた女の子は、その輝きを敵であるはずの強大で、哀れな魔族にまで向けた。

「アナタには、その女の人がいるじゃないですか。この女の人が先に転移してきた時、まだワタシは魔力線を触っていなかったんです。だから、やろうと思えばこの人諸共、お姉さんを倒せたはずなんですよ」

 花鶏は言葉に詰まっている。相手の心を嘘と詭弁で絡めとり、色気と狡知で全てを占有すると恐れられた花鶏千種が、反論する気配すら見せない。

「今、アナタの手には確かにその人への愛が、アナタにとって大事なものがあるんです。それを捨ててしまったら、きっとアナタはもっと後悔することになります。だから、こんな戦いはもう終わりにしませんか?」

 まるで先生が教え子を諭すように、あの大魔族に向かってティオちゃんは柔和な笑みを浮かべて話していた。そして、ティオちゃんのこの言葉は、お姉さんの胸にも深く突き刺さっていた。

 分かってるはずだ、花鶏。お姉さんもお前も、随分と長い時間を戦いの中で過ごしてきたけど、結局大事なものはいつも戦い以外のところにあった。

 消え去っていったものはある。消し去ったものは、もっとある。無数の敵を殺して、幾多の銃弾と白刃を切り抜けてきた。けれど、生み出したものは何ひとつない。燃え盛っていたはずの怒りや憎しみさえも、いつしか消え失せた。

「哀れむのか……、長耳風情が……! この儂を! この海陵山の大悪童を!」

 だが、花鶏はまだそれを認めない。いや、認められないのかもしれない。己が数百年の闘争を、過ちを、弱さを認めることなど、容易ではないのだろう。

 同じだ。ラーテルという自分を嫌いながら、それ以外の自分を探そうとしなかったお姉さんと。血塗られた道を外れたいと思いながら、それ以外の道を探す勇気がなかったお姉さんと、こいつは同じなんだ。

 知らず、お姉さんの口から言葉がもれ出す。

「この一件が終わった時、お姉さんは狩人を止める。()()()()として戦うのも、これが最後だ。ラーテルと呼ばれたおっさんの狩人は、もういないからね。……お前は、いつまで()()()()()()()でいるつもりなんだ?」


 何故、こんな言葉が出たのかは自分でも分からない。ただ、この二人のよって紡がれた言葉が、このままではいけないとお姉さんに思わせてくれた。あの子がなってほしかった、そしてティオちゃんがなってほしいお姉さん(ヒーロー)になるためには、変わらなければならないのだ。

 それに、これ以上ここで花鶏と戦うのは得策ではない。得体の知れない部隊と戦うクラベルや、この基地にいた筈の旧魔王軍残党。この状況は不安要素が多すぎる。花鶏がここで退いてくれれば、お姉さんたちも無事に脱出できる可能性が高くなるのだ。

 歯ぎしりをして、花鶏はお姉さんに向けて()える。

「死ぬまでだ、ラーテル! 儂もお主も、戦いしか知らぬ! 他者を殺すこの力こそが、自らの存在理由であろう! 力のない儂らなど、何の意味があろうか! 積み重ねてきた屍が、流してきた鮮血が、儂らという存在の価値よ!」

 まったく、お前もお姉さんと同じで、本当にどうしようもないヤツだよ。無駄に意固地で見栄っ張りで、いつまでも過去の自分を引っ張ってる。花鶏がお姉さんに執着していたのは、多分心の何処かでこいつもお姉さんと自分が似ていると気づいていたからじゃないか。

「……なら、その女の子に聞いてみればいい。その子が、お前の何に惹かれたのかを。何故、自分の命を懸けてまで、お前を助けたのかを」

 お姉さんの問いに、女の子は自らの前にいる花鶏の瞳をじっと見つめながら答えた。

()()()は、私に光をくださったのです。世界のどん底で首輪に繋がれ、ゆっくりと死んでいくだけだった名も無き奴隷に、アヤメという新たな名前と人生を授けてくださったのです。暗闇の中で朽ちていく哀れな人形に愛と心、そして未来を与えてくださったのです」

 アヤメという女の子は、やがてぼろぼろと涙を流し始める。

「だからこそ。そんな花鶏様が自ら死に急ぐように戦う様を見て、胸が締め付けられたのです。我が身を削られるよりも、花鶏様が血を流し戦う姿を見ることが、何よりも苦しかったのです。……帰りましょう、花鶏様。私は、貴方様の強さなどいりません。花鶏千種という存在が、いてくださるだけでいいのです」

 花鶏千種。その名を呼ばれ、かつて海陵山の大悪童と呼ばれた魔族は、自らの前で泣きじゃくる女の子へと近づいた。

「――もうよい、泣くな。その真珠より美しい涙をこれ以上、儂以外に見せるでない」

 花鶏の前で大粒の涙を流す女の子の頬を、まるで脆い陶器を触るかのように、花鶏はゆっくりと優しく撫でる。その顔に浮かぶ柔和な笑みは、まるで我が子を慈しむ母親のようだった。悪名を四海の果てにまで轟かせたあの海陵山の大悪童にも、こんな顔ができるのか。

 自らの胸の中で泣く女の子の頭を抱きかかえた右腕で撫でながら、花鶏は左の裾から舞い散る花弁のように呪符を展開する。

「此度は退こう。愛する女が泣き止むまで、あやさねばならぬ故な。だが、その前にひとつ言っておく」


「長耳娘、儂は貴様が嫌いだ」

「ワ、ワタシは嫌いじゃありませんよ!」


 捨て台詞を吐き捨てた花鶏は、女の子共々その奇怪な魔術で何処かへと消え去ってしまった。

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