第13話
お姉さんは今、笑っている。命を削る戦いの中だというのに、自分でも分かるほど笑っている。
花鶏千種も、笑っていた。何がそんなに面白いのか、歯を剥き出しにして笑っていた。
最早、嗤うしかないのだ。お姉さんも花鶏も、怒りや悲しみで殺し合いをする段階は、とうの昔に過ぎてしまった。今、こうして互いの命を奪い合うのは、そうすることでしか自分を貫く方法を知らないからだ。勝者が残り、敗者は去る。そんな単純で、無慈悲な理屈しか理解できなかったからだ。
自らの道理を通すために、それと相克する他者の道理を踏み倒すことしか、出来なかったからだ。
おっさんが、お姉さんになっても。海陵山の大悪童が、花鶏千種になっても。血塗れの過去を捨てきれなかったから、似た者同士の二人は今、こうして殺し合っている。変わることができない二人はずっと、こうして殺し合っている。
「駄目です、花鶏様――――!」
「そこまでです、お姉さん――――!」
地獄の底まで届きそうな、この声が届くまでは。
突如、お姉さんと花鶏の間に現れたティオちゃんと、花鶏が店で抱いていた女の子。お姉さんは慌てて二人を抱きかかえ、花鶏の呪符を躱すべく右へと跳んだ。まさに間一髪といったところで、お姉さんたちは鉄柱に変化した呪符を回避することに成功する。
おいおい、これはいったいどういうことなんだい。
流石の花鶏もこれには驚いたのか、目を丸くして女の子の名前を叫んだ。
「アヤメ! お主、どうやってここに……!」
「も、申し訳ございません、花鶏様! 花鶏様が遺した水晶に、ラーテルと刺し違えようとする花鶏様の姿が映り、例えこの命を盾にしてでも救わねばと、予備の呪符を使って……」
アヤメと呼ばれた女の子は、折角助けてあげたというのにお姉さんの胸元から礼のひとつも言わずに抜け出し、花鶏の前で平伏し始めた。
なるほど、どうやら向こうは向こうで込み入った事情があるみたいだね。
「お姉さん……。ワタシの方を、向いてください」
もっとも、込み入った事情があるのはこちらも同じだったみたいだ。今、お姉さんはティオちゃんに覆い被さる形になっている。そんな状態のティオちゃんから、聞いたこともないほど強い怒気を感じ取れる声が聞こえた。
何だか分からないが、とりあえず今はティオちゃんの方を向いた方が良さそうだ。
するとティオちゃんの小さく、白魚のような右手が、お姉さんの左頬を思いきり叩いた。
「お姉さんは、大馬鹿です……!」
怒っている。ティオちゃんの目はお姉さんの罪を責めるように、こちらを鋭く睨んでいた。そして、その目の端には今にも零れ落ちそうな涙を湛えている。前代未聞のティオちゃんの怒りに、お姉さんは呆然とすることしかできない。
「どうして、そう簡単に命を投げ出せるんですか! どうして、アナタの帰りを待つ人に背を向けるんですか! 死ぬことは、ヒーローの役目じゃありません!」
ここまでの剣幕で怒ったティオちゃんを、お姉さんは見たことが無い。
「ご、ごめんよティオちゃん。けどね、相手はあの海陵山の大悪童だ。命を惜しんでちゃ、アイツには勝て――」
「そうやって自分勝手に命を懸けて、一人で死地に向かう戦い方が! どれだけアナタの大事な人に、悲しい思いをさせてきたと思ってるんですか!」
ティオちゃんはその小さく綺麗な拳を固めて、お姉さんの胸を叩き、その怒りをお姉さんの肉体に、心に伝えている。だが、お姉さんの心に一番響いたのは、そのはずみでお姉さんの頬に落ちてきた、この子の涙だった。
「こんなに、ぼろぼろになって。こんなに、傷だらけになって。心配しないワケがないじゃないですか……!」
これは、効いた。これまで受けたどんな傷よりも深く、お姉さんの心を抉った。
「……ワタシだって、戦えるんです。ワタシだって、戦いたいんです。お姉さんの隣で、ヒーローになりたいんです。守られる側じゃなくて、守る側になれるんです」
ティオちゃんが笑う。それは、ただの笑顔じゃなかった。
お姉さんや花鶏のような、何かから目を逸らした笑顔ではない。
そして、いつも彼女が浮かべていた、無邪気な笑顔でもない。
「――こんな馬鹿らしい喧嘩は、ワタシが終わらせます」
その笑顔に宿っていたのは、他者を安堵させる優しさと、如何なる困難をも打ち破る真の強さ。
あぁ、これこそが本当の強さだ。こんなにも輝いているものが、偽物なワケがないじゃないか。
ティオちゃんが立ち上がる。その立ち姿はどこまでも毅然としていて、お姉さんよりひと回りも小さいはずのその背中は、とても大きく見えた。
「……さぁ、話をしましょう。花鶏、千種さん」
「貴様と話すことなど何もないわ、小娘……」
倒れたまま呆然とティオちゃんの背を眺めるお姉さんを後目に、彼女は花鶏と対峙する。戦いを中断させられ、不機嫌になっている花鶏を前にしても、ティオちゃんは全く臆していない。
お姉さんのように、飄々とした風な態度で恐怖を隠すこともせず、堂々とその場に立っている。
「――その瞳は、闇夜を切り裂く灯火に似たり。その背は、万民を守る堅固な城壁の如くなり。まさに、今のあの子に相応しい言葉だとは思わないか、ソニアさん」
「……ニル=ミゼトの詩、第10章かい。古代の英雄譚まで知ってるとは、大したものだよネゲヴ」
いつの間にかお姉さんの隣にいた紳士なオーク、ネゲヴに手を差し伸べられ、お姉さんはその屈強な腕を掴んでどうにか立ち上がる。
「……あの子なら、もう心配ない。問題なのは、クラベルさんの方だ。警備兵とは別の部隊と戦っているんだが、ティオちゃん曰く刻印を二重で使っているらしい。並のエルフなら、たちまち衰弱死してしまうほどの負荷が、身体にかかっているそうだ」
あの大馬鹿娘。いくら自分の同族が、魔族狩りと魔族の双方から実験動物みたいに扱われていたからって、怒りに振り回されたら相手の思うつぼだぞ。
「クラベルを連れて、とっととこの基地から脱出しないとね。さて、となると一番の障害になるのは花鶏だけど――」
今のお姉さんに、魔力線妨害が無くなった花鶏と戦うだけの力は残っていない。つまり、頼みの綱はティオちゃんだけ。
普通に考えれば、彼我の実力差は圧倒的だ。得体の知れない魔術を使い、海陵山の大悪童と恐れられた大魔族と、ちびっ子で食いしん坊なエルフの女の子。一匹の子猫が、獰猛で狡猾な肉食獣に挑むようなものだ。
そうなんだ、普通に考えれば、ティオちゃんの勝率はゼロに近い。
ただ、それでも。
「お姉さんも、今のティオちゃんなら何にだって勝てる気がするよ」
どうしても、お姉さんには今のティオちゃんが負ける未来は見えなかった。
さて、2019年も残すところ後わずかで終わりです。2019年も、この牛歩のごとき更新速度のお話にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。さて、いよいよ物語も佳境。2020年こそは、少しでも早く読者の皆々様へ、お話をお届けできるようにしたいところです。……、えぇ善処しますとも。
感想を下さった方、各種ptやブックマークなどをつけて下さった方、とても励みになりました。更新する度に跳ね上がるPV数を見て、小躍りしたこともあります。この一年、このお話を更新し続けたことは、私にとって素晴らしい経験となりました。
重ねて、篤く御礼申し上げます。
お姉さんとティオちゃん、そしてそれに関わる者たちの物語は、ついに最終局面を迎えます。2020年も、より一層の面白さを表現できるように邁進いたしますので、よろしければお付き合いください。
それでは皆様、良いお年を。