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第12話

 最初の蹴りを喰らってからというもの、お姉さんと花鶏千種の戦い――。いや、戦いと言えるものじゃないな。

 お姉さんが一方的に殴られ、蹴られているだけ。ヤツの蹴りはその一発一発が内臓にまで響く。まるで、臓腑を強引にかき混ぜられているかのようだ。呼吸をする度に、肺の付近から鋭い痛みが走る。

 戦い始めてから、そう時間は経っていない。受けた打撃の数も、両手の指で足りる程度だ。それでも、人間ではなく、魔族であるヤツの打撃を喰らったお姉さんの身体は限界に近い。魔族の膂力は人間のそれに比べて、遥かに強い。怪力で知られるオークや獣人に比べれば、花鶏の筋力自体は大したものではないが、生身の人間が喰らえば内臓破裂すらあり得ることに変わりはない。

 身体中の至る所から血が流れており、とうとう立っていることすら難しくなったお姉さんは、思わず膝から崩れ落ちてその場に倒れ伏す。意識が朦朧としてきて、足や手に力を入れることも碌にできない。


「――主ら人間は、余分なものを求めすぎる。愛だの夢だの、ワケの分からぬものを追い求め、本来生物として持つべき強さを求めなんだ。生物としての強さ、即ち万物の頂点に君臨する剛力をな。真の強さに、余計な理屈など要らぬ」

 対する花鶏は無傷。戦いが始まってからというもの、ヤツはその場から一歩たりとも動いていなかった。

「其の強き故に、支配する。其の弱き故に、隷属する。世の理など、それで十分よ。それ以外の理屈など、所詮は力を持たぬ羽虫の戯言に過ぎぬ」

 おまけに、ヤツの魔術がどういったものかすら未だ分からない。分かっているのは、ヤツが詠唱文らしきものを唱え終えた後から、お姉さんの時間に対する認識が極めて曖昧になっていることだけ。花鶏から攻撃を受けたことは記憶しているのに、それに対してどう反応したのかがまるで記憶にない。

 とにかく、動かなければ。朦朧としている意識を叩き起こし、自らの両足で立たなければ、さっきからお姉さんを見下してご高説を垂れている化物(あとり)と戦うことができない。

「哀れな修羅よ。偽りの強さに目を眩ませた、己の蒙昧さを恨むが良いわ」

 黙って聞いていれば、随分と勝手なことを言ってくれるじゃないか。なるほど確かに、真の強さに余計な理屈はいらない。それは同意してやる。

 ただ、そこまでだ。


「……本当の、強さっていうのはな。光り輝いているものなのさ」

 まず両手に、そして次は両足に力を籠める。目の前で大層な御託を並べやがる、大馬鹿野郎を倒すため。そして、お姉さんの大事なものを偽りにしないため。

 立ち上がる。手も足もまだ動く、戦う覚悟は足りているんだ。なら、お姉さんはまだ戦える。

「誰よりも孤独で、誰よりも苦しくて、誰よりも世界を恨みたいはずなのに」

 あの子は結局、最期の時まで外の景色を、広大な世界を見ることはなかった。不治の病に人生の全てを滅茶苦茶にされ、苦しみながら亡くなった。あの子はただこの世を生きたかっただけだというのに、運命はそんなあの子に未来を与えなかったのだ。

「理不尽すぎる運命に翻弄され、飲み込まれて。自分の明日さえも不確かだというのに」

 ティオちゃんもまた、偶然一族の中で異端の力を持って生まれたがばかりに疎外され、挙句の果てには危険極まりない任務を引き受け、魔族に捕まった。あの時、お姉さんが助けなければ、きっと魔力を吸い尽くされて死んでいただろう。そして、今だって戦わなくてもいいはずの危険に立ち向かっている。

 彼女たちはいずれも、他人から見れば幸せとは言えない人生を送った。彼女たちの道は決して平坦なものではなく、その小さな背中に不釣り合いなほど多くの苦難を背負っていた。それでも――。

 

「それでも誰かのために笑って、今日よりも良い未来があると信じて進み続ける心。この世にある財という財をかき集めても敵わないほど、光り輝くそれこそが、本当の強さなんだ」

 それでも、彼女たちは笑うのだ。自らが出会う誰かのために、そして自身が生きる明日のために。

「お前や、お姉さんの持つものは、強さなんて大したものじゃない。これはただ、恐怖から逃れるために作り上げた、壁みたいなものさ。誰かを信じられず、困難に真正面から立ち向かえず、そして未来を信じて進むことができなかった者の、哀れな壁だ。お前の場合は、それが他のヤツよりちょっとばかし分厚いってだけさ」

 他者を拒絶し、誰かの未来を終わらせる。そんなものが強さであるワケがない。お姉さんが救われた強さってのは、そんなものじゃない。

 この輝きを、嘘にはさせない。どれだけ分厚い壁があろうとも、どれだけの困難が襲い掛かろうとも、もう二度とこの輝きを見失いはしない。世界が全て灰色に沈んだようなあの墓地に、娘を亡くしたあの日の自分に戻るのはまっぴら御免だ。

 額からは血が流れて、お姉さんがさっきまで倒れていた地面へ雨漏りのように落ちていた。折れているのか定かではないが、左の脇腹にのたうち回りたくなるほどの鋭い痛みもある。両足だって、気を引き締めていなければ即座に力が抜けて、その場に崩れ落ちてしまいそうだ。

 だが、そんなことは問題じゃない。

 今、目の前にはお姉さんの希望を否定し、他者の希望をへし折ってきた悪者がいる。傲岸不遜に力を振るい、その比類なき剛力を以て暴虐の限りを尽くしてきた魔族がいる。

 それだけでお姉さんが立ち上がるには、十分すぎるんだ。

 なにせ、お姉さんは魔族狩りの――。

 いや、あの子たちのヒーローだからな。ヒーローってのは、誰かの希望の傍に、笑顔の傍に立ってるものだろう。


「――来いよ、悪餓鬼。お姉さんが、しつけてやる」

「……その目。良いぞ、儂はその目が見たかった! 諦めも恐怖も、絶望をも踏破し、ただ敵に向かって挑み続ける修羅の目を!」


 花鶏の表情が一変する。こちらを見下した、失望したような顔から、喜びを隠しきれないと言わんばかりの満面の笑みへと豹変した。

 上等だ。お姉さんの識別符号(スレイヤーコード)が『ラーテル』になった理由を、花鶏千種にも教えてやる。

 右脇の秘密兵器を使えば、ヤツは一瞬でも隙を見せるはずだ。この切り札自体は花鶏の店で調達したものだが、ヤツがこれを知っていたところで、どうこうすることはできない。

 しかしこれを使うとしても、まずヤツの魔術の謎を少しでも解き明かさなければ。

 考えろ。認識は出来ても、動けないあの時間のことを。花鶏に受けた攻撃も、その痛みも現実だ。ただ、その瞬間の記憶だけが曖昧。或る上位存在は時間を意のままに停止させられるらしいが、そもそも時間を止められたなら、お姉さんにその瞬間を認識することはできないはずだ。花鶏の攻撃を、お姉さんは認識している。

 花鶏千種の使ってきた術式を、魔術をもう一度思い出せ。

 石柱や鉄杭を突如として空間に出現させる。こちらが認識しかできない時間を利用し、一方的に攻撃を仕掛ける。どうやら制限時間があるようなのは、唯一の救いか。もし制限がなければ、お姉さんにトドメを刺すまで延々と、一方的に攻撃を食らわせればいいだけだからね。

 そうだとしても、まるで世界を無理矢理、自分の法則に従わせているような感じだ。まったく、大した我が儘女だよ。一般人が列に並んでいるところを、VIP待遇の金持ちが悠然と列の先頭へと割り込んでくるような理不尽さだ。


 ――割り込む。この言葉が、お姉さんの思考の端に引っかかった。割り込む、違う。もっと他に何か、よりこの違和感を表現できる言葉があるはずだ。更に思考の幅を広げろ。もっと()()()()()を考えろ。荒唐無稽を念頭に入れろ。相手はあの海陵山の大悪童だ。生半可な忌名つき、凡百の魔族とは強さの格が違う。どんな魔術を行使しても、不思議じゃない。

 介入ではなく、妨害でもなく。

 干渉。そうだ、干渉だ。あの四方八方にばら撒かれた呪符による、干渉。魔術、或いは術式行使のために必要な準備ではなく、呪符(アレ)を撒かれた時点で既に魔術が発動していたのだとしたら。

 その考えに至った瞬間、お姉さんの脳内でパズルのパーツが次々と収まるべき箇所に収まっていく。花鶏の呪符は、魔力線を延長させるための道具。その延長した魔力線から魔力を放ち、ヤツは自身が認識している物質や空間に干渉するのだ。

 だからこそ、花鶏は何もないはずの空間に鉄杭や石壁を突然出せたのだろう。何らかの方法で、瞬時に魔力をそれらへと変換していたワケだ。そして、お姉さんの推測が正しければ、花鶏はそれと同じ要領で自分だけの時間すら創り出している。時間を創るという表現が正しいかはさておき、それしかあの一方的な攻撃を可能にする方法が思いつかない。

 なんてこった。それじゃあ、ヤツの魔術は空間、それどころか時間すらも己が所有物のごとく、自由自在に操れるってことじゃあないか。ますます勝てるかどうか、怪しくなってきたぞ。


「さぁ、互いの殺意に心ゆくまで溺れ、互いの強さを飽きるまで堪能しようではないか! 思考すら燃やし尽くす闘争の灼炎の中で、儂と踊り明かそうぞ!」

「まったく、度し難いヤツだよ……。お前は!」

 だが、目の前の化物は待ったなしだ。逡巡する暇も、思考する余裕もありゃしない。とにかく、手品のタネは分かったんだ。後は、それにどう勝つかだけ。

 お姉さんは眼前の絶望に立ち向かうため、91の銃口を向けた。


 


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