第10話
ロジェフスク陸軍基地跡の地下中心部には、大きな空洞がある。螺旋階段のように各階層と通じているその空洞からは各階層にアクセスが可能であり、真ん中に一本の大きな芯を持った植物の根を彷彿とさせる構造だった。
そんな地下中心部に入るべく、鉄製のドアをお姉さんは左手で開け、銃口を前に向けながら進む。ドアを開けた瞬間、突風がお姉さんの全身を包み込んだ後、通路の奥へと抜けていった。お姉さんのコートがばたばたとはためき、あまりの風の勢いに思わずお姉さんは目を細めてしまう。
氷を全身に押しつけられたような感覚が、服を貫いてお姉さんの肌に突き刺さった。しかし、そんな寒さに身を震わせている場合ではない。中心部の様子を見たお姉さんは、即座に搬入途中のものと思われる貨物の影へと飛び込む。
絶え間なく鳴り響く銃声と悲鳴は、地上まで繋がっている巨大な空洞で不気味に響き渡っていた。飛び散った鮮血と斃れ伏した死体は、コンクリートで覆われた施設を禍々しく彩っている。もっとも、その血や死体の全てがこの施設の警備兵たちだ。世界各地の地域紛争に介入し、その悪名を轟かせているタルナーダ連邦陸軍とは思えないほど、連中は副局長の飼い犬どもに蹂躙されていた。
十人が見れば、十人全員が地獄と答える風景。これまでの人生で嫌というほど見てきたそれが、お姉さんの前には広がっていた。
しかも、その物騒な飼い犬どもは、お姉さんが想像していたよりも数段賢いみたいだ。これだけ派手な騒ぎになっているというのに、基地内では警報のひとつすら鳴っていない。この感じだと、無線機が使えないのもコイツらの仕業か。おまけにどういう手品を使ったのか、クラベルと同じ刻印のようなものまで使うし、まったく骨が折れる相手だこと。
あの腹黒副局長め。厄介なネタを揉み消すために、飼い犬どころか狼の群れを放ったみたいだ。この基地にいるヤツを、片端からあの狼どもに喰わせる算段か。人狩り専門の部隊なんて、とんでもない切り札を隠し持ってたな。
だが、お姉さんとて一応は『ラーテル』なんて大層な識別符号で呼ばれているんだ。ここの警備兵みたいに、容易く片付くとは思うなよ。
「……と意気込んだは良いものの。このお祭り騒ぎに拳銃と最終兵器だけ、ってのは心もとないよなぁ。何か他に派手な道具とか落ちてないかな」
そう呟きつつ、お姉さんは物陰から物陰へとこそ泥のように移動していた。流石のお姉さんでも、自動小銃をバンバン撃ちまくっている場所に飛び込めば死ぬ。なにせ連中は東国の祭りで爆竹を投げ合うような感覚で、バカスカ鉛玉を飛ばし合っているのだ。
まったく、おっかないったらないね。花鶏もまだ追いついていないみたいだし、ここは少し様子見。
「あっ」
などと思っていたのは、お姉さんだけではなかった。
お姉さんと同じようにおっかなびっくり姿勢を低くした警備兵と、僅か三歩ほどの間隔で顔をつき合わせてしまったのだ。
ここで下手に騒がれてはマズい。即座にお姉さんは警備兵に飛びかかり、その後頭部を柔らかい胸で包み込んでやる。無論、それは単なるサービスじゃあない。そのまま左腕で警備兵の首を絞め、大きな音を立てることなく眠ってもらった。こんな豊満で形も良い胸に後頭部を預けて締め落とされたのだから、さぞ幸せだったろう。しばらくして目を覚ました時には、良い夢だったとさえ思ってくれるかもしれないね。
お姉さんはそのまま警備兵をゆっくりとその場に横たわらせ、安眠サービスの代金がわりに警備兵が装備していた自動小銃を頂戴する。
だが、これでもまだ心細いくらいだ。何せ、今この場所には魔族狩りの邪魔者処理部隊にタルナーダ連邦陸軍、そして何より海陵山の大悪童サマがいる。可能なら一個師団が欲しいくらいだよ。
「まったく、厄介事のフルコースを味わってる気分だ」
そうぼやいて、自動小銃の弾倉を抜いて残弾数を確認。どうやらこの警備兵は、一発も撃たずに逃げ出したようだ。まぁ、この状況なら普通はそうするよなぁ。お姉さんはティオちゃんがまだ残っている以上は逃げるわけにいかないし、そもそもあの花鶏が逃がしてくれるワケもないけど。
さて、未だ銃声と断末魔が織りなす最悪の二重唱は続いていたが、そろそろ耳も慣れてきた。いや、少しずつ収まってきたのかな。
そう思った矢先、今度は扉を勢いよく蹴り破ったような音が聞こえてきた。まさか、もう花鶏が追いついたのか。だとしたら、早く先手を打たねばこの場所さえもヤツの呪符が貼られてしまう。
花鶏の得体がしれない術式は、とにかく手数が多い。幾らある程度開けた場所とはいえ、四方八方から鉄杭やら石の壁やらが飛び出してきたら、最早手の打ちようがないのだ。また、あの海陵山の大悪童サマはそんな術式を使わずとも、人や並みの魔族を遥かに凌駕した身体能力を有している。
ならば、こちらの居場所が掴めていない今が好機だ。いくら花鶏千種でも、不意にこの自動小銃やお姉さんの秘密兵器を撃ち込まれては、ひとたまりもない。いや、そう信じたい。
お姉さんは上層の渡り廊下を見渡せるよう、貨物の影から少し身を乗り出した。自動小銃の銃口を上に向け、いつでも発砲できるように安全装置を外す。もしかしたら、別の経路からこの場所に辿り着いたティオちゃんたちかもしれないが、希望的観測というものは往々にしてアテにならないものだ。
この場所なら、渡り廊下に出てきた敵は何であれ撃つことができる。さて、何が出てくるのか。
一閃。何かがお姉さんの視界の端に映ったかと思うと、そのまま凄まじい速度で視界の外へと飛んでいった。そして、今のはなんだと思考する間もなく、見知った顔が姿を見せる。
クラベル。銃火器万歳の時代で一振りの刃を手に戦う酔狂な女が、上層の渡り廊下に突然現れた。まさか、さっきお姉さんの視界に一瞬映ったのはヤツで、上層の入口から渡り廊下の中央まで跳躍してきたのか。だとしたら、間違いなくヤツは身体能力を強化する刻印を使っている。
しかし、その手に握られていたのはヤツの愛刀だけではなかった。
切断面から夥しいほどの血が溢れ出しているそれを、お姉さんが見間違えるわけもない。
あれは、敵の首だ。黒い目出し帽を着けていることから察するに、ここの警備兵ではなく副局長の人狩り部隊だろう。
大方、花鶏に追われてお姉さんと別れた後、地下中心部への入口前で基地を掃討するあの人狩り部隊と遭遇。そこでヤツは行く手を遮る敵の首を瞬時に切断して、扉を開けるために蹴り飛ばしたってところか。少なくとも、お姉さんがヤツだったらそうする。
「絶対に仕留めろ! ヤツはラーテルと同じく、最重要目標のひとつだ!」
その声と共に、クラベルのいる渡り廊下の両端から、寒冷地迷彩の戦闘服を着た人狩り部隊の皆さまがヤツを囲んだ。渡り廊下の幅は大人が数人、横に並んで通れる程度。クラベルに向けられた銃口は全部で10。あの馬鹿、完全に囲まれてるじゃあないか。
ヤツなら透明化の刻印を使えばすぐに離脱できるだろうが、透明になってからすぐに撃ち込まれてはひとたまりもないぞ。
仕方ない、同門のよしみでちょっとした手助けくらいしてやるか。そう思い、自動小銃の銃口を人狩り部隊の方へと向ける。
だが、それよりも先にクラベルの姿が視界から消えた。それと同時に人狩り部隊の一人の首と胴体がお別れする。あの褐色娘、確実に冷静さを失ってるな。ここで魔工学の研究を行っていた魔族を殺すまで、邪魔者は一人残らず始末する気か。あの人狩り部隊を一手に引き受けるのは、流石のクラベルでも厳しいはずだ。
「仕方ない、まだ花鶏は追いついて――」
「儂が、どうかしたかえ?」
ぞく、とお姉さんの背中に寒気が走った。それと同時にお姉さんは貨物の影から飛び出し、背中に向けられた殺気の方向へと銃口を向ける。
そこにはクラベルと同じ様に、人狩り部隊のものと思われる、血の滴る生首を持った花鶏千種が悠然と立っていた。おいおい、最近の女の子の間では生首を手に持つのが流行ってるのか。
新雪のように白い頬、そこについた返り血を親指で拭う花鶏は、銃口を向けるお姉さんを見て笑顔を浮かべた。
「羽虫が何匹か、纏わりついてきおってのう。お主との楽しい時間を邪魔されるのも癪じゃったから、駆除してきたのよ」
口角を上げて犬歯を見せ、三日月のような口をして満面の笑みを浮かべる花鶏。まったく、何がそんなに楽しいんだか。
「これだけ場が乱れると、ムードも何もあったものじゃない。楽しいデートは、また次の機会ってことにしてはくれないかな?」
「馬鹿を言うな。お主に銃弾を一発もらったあの日から、儂はこの時を楽しみにしておったのよ。楽しもうではないか、ラーテルよ。義に狂い、情に酔った愚かで、愛すべき宿敵……」
やれやれ、どうやら向こうはやる気みたいだ。