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第6話

 かつて、お姉さんがまだニコラウス・エスペランサという名前の、魂が抜けた殺戮機械まぞくがりだった頃。撃ち殺した幾多もの屍、そして築かれた血腥い道の果てで、お姉さんはこの大魔族と出会った。

 亡くなった娘への手向け、或いは悲しみの果てに沈んだ狂気。いずれにせよ、正気ならざる心で91を構え、ニコラウス・エスペランサは海陵山の大悪童と対峙した。どんな表情をしていたかなど、最早覚えていない。しかし旧魔王軍でも屈指の実力者である大魔族を前に、どんなことを思っていたがだけは覚えている。

 無、だった。何も感じない。恐怖、怒り、興奮。これらだけではない、ありとあらゆる人間的な感情が、その時のお姉さんには存在していなかった。ただ対峙して、殺し合う。眼前で舞い散る花びらのごとく呪符を服の袖から展開し、妖艶に笑う花鶏千種を前にしてもお姉さんの脳内にあったのは、ただ己が力の限りを尽くして標的を狩ることだけであった。しかし作業というほど惰性に満ちたものではなく、使命というほど高尚な心を持って行っていたわけではない。

 では何故、無数の魔族を殺し、挙句の果てに人間では勝てないと言われたほどの大魔族へと戦いを挑んだのか。多分、あの時のお姉さんにとってはそれだけが、悲しみを忘れさせる方法だったんだ。

 目の前にいる標的へと意識を集中し、それを排除することに全てを注ぐ。そうすれば殺し合っている瞬間だけは娘を、希望を失った悲しみを誤魔化すことができた。そして同時に、娘が最期まで願っていたヒーローになろうとしているのだと、自分自身の心をも誤魔化すことができたのだ。信念も理想も抱かず、ただ現実から目を逸らすために戦う者が、ヒーローであるはずがないというのに。

 だが、そんな哀れな殺戮機械ですら、花鶏千種は満面の笑みを以て受け入れた。まるで、自分を愉しませる新しい玩具が見つかったと言わんばかりに。


 そして今、『海陵山の大悪童』の忌名を持つ花鶏千種は、お姉さんとクラベルの前で同じ様な笑みを浮かべて佇んでいる。こちら側の殺意や敵意など、頬を撫でるそよ風程度にしか思っていないようだ。

「お前がこのパーティに誘われていると知っていたら、もう少しおめかしをして来たってのに。随分と急な登場じゃないか」

「儂は誰かを驚かすのが好きでのう。その様子だと、随分肝を冷やしてくれたようじゃ。まこと、お主は儂を楽しませてくれる」

 馬鹿言え、冷えるどころかカチンコチンに凍りついて動かなくなりそうだっての。まったく冗談にしても性質が悪すぎる。あの花鶏千種とこんな得体の知れない部屋で戦うなんて、正気の沙汰じゃない。まぁ、屋外なら有利かというとそうでもなく、不可能がやや不可能に変わる程度の話なんだけどさ。

 目の前で呵々と笑う狐耳の童女は戦いの際、術式とはまた違った呪術を使う。もっとも、この呪術を使えるのは現存する魔族の中では花鶏千種だけらしく、その実態は魔族狩りもよく分かっていない。対峙したことのあるお姉さんも、その変幻自在な戦い方に死なないで食らいつくのがやっとだった。

 

 花鶏の戦いを一言で表すならば、優雅だ。東国に伝わる踊りの一種である舞、それを踊っているかのように緩急をつけて手と身体を動かす。時に空気をそっと撫でるかのように、或いは切り裂くように腕を振るい、戦いの最中だというのにゆったりとした足運びで踊るその姿は、頭のおかしい大魔族とは思えないほど儚げで美しい。

 その舞と共に得体の知れない札がヤツの周りにぺたぺたと貼られ、何処からともなく攻撃を加えてくるのだ。あちこちに貼られた札からは、多種多様な種類の攻撃が放たれる。火球や雷撃、真空波に似た斬撃のようなものや太い石柱。戦った時は、性質の悪い幻覚を見ているかのようだった。だが、なにより不気味なのは、一度舞を踊った後にその場から花鶏がまったく動かないという点だ。

 これまでお姉さんが見てきた魔術師は、どいつも術式を使った後に何かしらの詠唱か動作を行っていた。手のひらを標的に向け続けたり、術式の発動に必要な言葉を羅列したり、そんなところだ。しかし、花鶏にはそれらの動作が一切無かった。敵に向かって暴風雨のごとく攻撃を加えているというのに、本人はその暴風雨の中心で涼しい顔をして立っている。おまけに攻撃を凌ぐこちらの様子を、ショーでも見るかのように楽しそうな笑みを浮かべて、だ。結局その手品のタネが分からなかったお姉さんは、その時の花鶏が武器兵器の類に関する知識をあまり持っていなかったという弱点を突き、所持していた手榴弾や閃光手榴弾、短機関銃などを使って強行突破したのである。


「で、どうするかえ。そこの長耳ながみみ娘は、儂と遊びたくてうずうずしておるようじゃが」

 クラベルは今でも花鶏に飛びかかりそうな勢いで右手に持ったマチェットを左脇で構え、前足となる右足へ力を入れている。さながら、敵の喉笛を噛みちぎろうとしている猟犬みたいだ。

「初撃、避けられた。次、当てる」

「威勢が良いな。長耳でこれほど活きのよい輩は初めてじゃ」

 おいおい、こんな所で花鶏と戦うなんて、正気の沙汰じゃないぞ。薄暗い照明と、ヤツの背後に幾つも並べられた空の培養槽らしきもの。床には鉄製のタイルが敷き詰められている。既にこの空間の至る所に、花鶏の呪符が貼られているかもしれないのだ。だとしたら、何処から何が飛び出してきても不思議ではない。

「まぁまぁ、一戦交える前に少しお話しでもしよう。ここはパーティ会場なんだから、踊る前にお喋りのひとつでも挟まなきゃ。それに、幸い目の前にいる大悪童サマは、話のタネ明かしが大好きなタイプだ。きっと、魔族連中が培養槽まで使って何をしていたのか教えてくれるだろうさ」

 何とかしてここでコトを構えるのは避けたいお姉さんは、花鶏に話を振ってやる。お姉さんたちの前で余裕綽々という具合に佇んでいるこの大魔族には、喋りたがりという弱点があった。事実、お姉さんが薬の効果でこうなった時も、べらべらと聞いてもいないことを喋ってくれたのだ。要するにこの花鶏千種という魔族は、自分しか知らない事実を他人に教えることで、そいつが狼狽したり驚愕する様を見るのが大好きなのである。その実力と同じくらい、性格の悪さも化物じみてるってことか。

 そして、お姉さんの思惑通りに事は運んだ。よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、花鶏はいやらしい笑みを浮かべて話し始める。お姉さんも攻撃を加えようとするクラベルを片手で止めて、花鶏の話を聞く素振りを見せてやることにした。

「そうか、そうか……。聞きたいというのであれば、教えてやろうではないか。仕方ないのう」

 花鶏は大仰に右手を後ろへと振るい、その手で花鶏の背後にある培養槽を指し示す。タネ明かしが楽しくて仕方ないのだろう、こちらを見てにやにやと嘲るように笑っていた。

 こうなってくると、花鶏に対するせめてもの抵抗として意地でも驚いてやるものかと思ってしまうのは、人の性だろうか。


「これはな、魔族どもの愚かな夢。彼奴きゃつらはかつて勇者に倒された魔王を復活させ、この世を再び魔族の手に取り戻そうなどと考えておるのよ」

 しかし、こんな驚天動地の事実を伝えられれば、目のひとつでも丸くしてしまうのもまた人の性だ。魔王の復活だって。まったく、冗談じゃないぞ。



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