第5話
基地内へと無事に潜入したお姉さんたちは、まず倉庫の周りで雑談に興じていた兵隊2人から地下施設へ行く方法を訊ねた。後ろからクラベルと共に忍び寄って拘束してから、優しく耳元で囁いたのだ。地下にはどうやって行くのか教えてほしいなぁ、と。お姉さんはもちろん、クラベルだってまぁ容姿は良い。そこに兵隊さんの背中へ押しつけたおっぱいと銃口も手伝って、2人の兵隊さんは入口や排気ダクトの場所、警備体制に兵隊たちの噂話まで教えてくれた。兵士たちは地下施設に魔族が出入りしていると噂しており、ティオちゃんも地下から嫌な感じの魔力を感じると言っている。どうやら、ほぼ当たりってことで間違いないみたいだ。
それらの情報も踏まえて、お姉さんたちは目立たぬよう二手に分かれて地下へと潜入することにした。ティオちゃんとネゲヴは、時折倉庫から地下施設に搬入される何やら複雑そうな器材に紛れこんだ。ティオちゃんをお姉さんの傍から離すのは不安でたまらないが、ネゲヴの大きな図体ではお姉さんやクラベルと共にダクトからこっそり入るなんてことはできない。かといってネゲヴを単独で向かわせるのは危険だとティオちゃんが言い、お姉さんの猛反対を押し切ってティオちゃんはネゲヴと行動することとなったのだ。
あぁ、不安だ。例え両手両足がもげようとも守るとネゲヴが言っていたので、恐らく心配ないとは思う。いざとなったら、ラーデンでも使った無線も持たせているから、きっと大丈夫なはずだ。
そう思うのだが、納得できるかと言われるとそれはまた別なワケで。くそぉ、大丈夫かなティオちゃん。冷静なネゲヴと、情熱的というか多少向こう見ずなティオちゃんで、釣り合いはとれているけど。大丈夫かな、大丈夫かなぁ。
そんな風に、そわそわとしながらダクトの中を匍匐前進しているお姉さん。我が愛銃であり、魔族狩りになった時からの相棒である91を握る手にも、ティオちゃんのことを思うと不必要な力がつい入ってしまう。
そして、そんなお姉さんの目の前にあるのは、左右に振れている尻だ。
「……その黒装束。いや、外套の方はともかく、ぴっちりとした革タイツと下着みたいに布面積が小さな黒い服は、お前の趣味かい? ダクトに入ってからずっと、お前の太腿と尻が激しく主張してく――」
直後、お姉さんの顔面にクラベルの履いているブーツの底が衝突した。痛みのあまり思わず大声を上げそうになるが、どうにか堪える。
「時々、忘れる。中身、おっさんのまま。黙って、早く進む」
この褐色暗殺娘め。ろくに振り向きもしないで、こんな美人の顔面に蹴りを放つとは。確かに中身こそおっさんのままだが、容姿は立派な美女なんだぞ。蹴られた鼻面をさすりながら、お姉さんはクラベルに続いてダクトを進む。ダクトの下から時折、野太い声や何かを運ぶ音が聞こえてくるので、もう地下施設の内部には入っているだろうな。
問題は、施設内が何やらとても慌ただしいことである。ここに運んで来いだの、それは燃やしておけだの、まるで夜逃げしようとしているみたいだ。まさか気づかれたのかとも思ったが、それなら今頃は警報が鳴り響いているはず。魔力検知機にも細心の注意を払い、クラベルやティオちゃんは魔力を一切使っていない。
となると、まるで見当がつかないのだ。
「――連中、えらく忙しいみたいだ。借金取りに追われているワケでもあるまいし、何やら嫌な予感がするな」
「ひどく、慌てている。けれど、とにかく今、予定通りに進む」
そう言って、クラベルが手近なダクトの蓋を力任せにこじ開ける。おいおい、いくらなんでも強引すぎやしないか。こいつのことだから、蓋の隙間から様子を見た上でやってるんだろうが。
先頭のクラベルが安全を確認し、お姉さんもダクトを下りる。どうやら、器材などを運び入れる倉庫のひとつみたいだ。段ボールに入ったよく分からない道具から空の木箱まで、色々な得体の知れないものが保管されている。剥き出しのコンクリートで作られた壁が四方を囲み、お姉さんたちから少し離れた正面には、風情もお洒落さもない鉄製のドアがあった。
「侵入成功、っと。しっかし、殺風景極まりない部屋だこと。せめて花のひとつでも飾ればいいのにねぇ」
「花なら、ある」
そう言いながら、クラベルがブリキ缶を近くの木箱から拝借し、お姉さんに向けて後ろ手で投げてきた。ちょっとした冗談も通じないのか、この褐色暗殺娘は。しかし、投げられた缶に描かれたある花を見て、お姉さんはクラベルが言わんとしていることに気づいた。
オルペアの花。裏社会に関わりのある者ならば、この不細工な花がつけた実を傷つけた際に出てくる汁、その効能を知らぬ者はいない。
「――悪いがお姉さんは、煙草しか吸わない主義でね。こういう危ないお薬は嫌いなんだよ。特に、この不細工な花から作られる『天国昇り(ドリムル)』はね」
この実が出す汁、それを精製して作られる違法薬物を『天国昇り』という。効能はその名の通り、天国に行けるのだ。こいつを使用した場合、初めにこの世では味わうことが出来ないと言われているほどの快楽や多幸感に包まれ、意識が空高くへと飛んでいってしまう。これが『天国昇り』と呼ばれる所以だ。しかし、招かれてもいないのに無理矢理天国へと昇った代償は、とても高くつく。この薬物は非常に強い依存性でも有名だ。天国を一度見た者は、そこが病みつきになり、やがて心が壊れて廃人になる。
そんなワケで、違法薬物の中でも最悪の部類なものなのだが、何故こんなものがここにあるのか。
「こんな物を持って来れる組織といったら、ラーデンの魔族マフィアか。となると、この地下施設は『天国昇り』の精製所ってことか? いや、たかだか薬物の密売程度が目的なら、軍隊や魔族狩り内部にまでツタを絡めにいかないな。ティオちゃんが異常な規模の魔力を感じたのもおかしい。となるとこいつは内職みたいなもので、本命は別か……」
だが、こうしてお姉さんが考えている間に、クラベルはずかずかと部屋の探索を終え、ドアの方へと向かっていく。そしてまず手始めにドアを僅かに開けて様子を窺った後、お姉さんに手招きしはじめた。はいはい、いつもの考えるより行動しろってやつですね。分かりましたよ。
「まったく、せっかちなヤツだねお前は。師匠にも、もう少し落ち着けって言われただろう?」
「敵、何かに向けて準備を急いでいる。悠長なこと、していられない」
その後、お姉さんたちは廊下に出て、めぼしい部屋がないか注意深く探っていた。今のところ、ティオちゃんたちとは合流できていないし、探ったのは何処も大して重要そうなものや書類もない部屋ばかりだ。
最初の方こそ、クラベルが足音に気づくや否や、手近な部屋へと飛び込んでいたが、今はその足音すら聞こえない。時折廊下に響いていた魔族のものと思われる声も、今やまったく聞こえなくなっていた。
「静かすぎるな。さっきまでうるさかったのが嘘みたいだ。引っ越しはもう済んだのかな」
「足音、まるで聞こえなくなった。嫌な予感、する」
お姉さんもクラベルも、肌に纏わりつく嫌な空気をひしひしと感じていた。それなりに場数を踏むと、所謂勘ってものが身につき始める。ふと一歩を踏み出そうとした時や瞬きをした時、まぁ要するに何かをしようとした瞬間に、その勘ってヤツの知らせが脳で引っかかるのだ。もっとも、それを察知して対処するためには、それ相応の訓練や経験が必要なのだが。お姉さんは愛銃の91をホルスターから抜いて、安全装置を解除する。クラベルも、マチェットを背中の鞘から抜き放ち、右手に構えた。
しかし、今は敵の出方を待つ他ないのも事実。ここで無闇に仕掛ければ、ティオちゃんたちを危険に晒すことにもなりかねない。
「今はとにかく連中の目的を探るか、ティオちゃんたちと合流するのが先決だ。ここでおっ始めたら、ティオちゃんたちが危ない」
「分かっている。突き当りのドア、開ける」
そう言って、クラベルはドアの脇にある壁に背中を貼り付け、室内への突入に備える。どうやら、お姉さんがドアを開けろってことらしい。
そんな褐色暗殺娘のご要望にお応えして、お姉さんはこいつに視線を送り、それにクラベルが頷いた瞬間、ドアをゆっくりと開けて活きのいい暗殺者を室内に放ってやった。もっとも、これまでにこの開閉作業を何回も行っているが、いずれもはずれで終わっている。まったく、ホテルマンよりもドアの開け閉めを行ってる気がするよ。
だが、次の瞬間。そんな冗談は言えそうにない状況となった。ドアの向こう、室内から金属と金属がぶつかったと思われる甲高い音が聞こえたのである。
お姉さんは急いで室内に入り、ひとまず拳銃を正面に向けて構えた。
まず視界に入ったのは、マチェットを構えたクラベル。
そして、空の培養槽らしきものを背に、笑みを浮かべる『海陵山の大悪童』の姿であった。その笑みはお姉さんがお姉さんになった時、つまりはかつてヤツと戦った時の笑みと似ている。
「……おいおい、お前に招待状は送ってないはずなんだがな。もしかして、そっくりさんかい?」
「そう無粋なことを言うでない。折角の狂宴だというのに、儂も混ぜてくれねば拗ねてしまうぞ?」
残念ながら、パーティの余興に呼ばれたそっくりさんでもなさそうだ。
まったく、早速予定外の極みみたいな事態になったぞ。