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流血の予兆

「本国から何度も、成果を提出しろと急かされている! まだ研究は完成しないのか!」

 ロジェフスク陸軍基地跡、地下研究施設。この大陸を揺れ動かさんとする陰謀の渦、その中心で一人の将校が怒鳴り声をあげた。紫色の液体が満たされている培養槽、そしてコンクリートで覆われた部屋に、その怒鳴り声が響く。

 将校の名は、ヨシフ・ルキーヴィチ・アルマゾフ。この基地に駐屯する部隊を指揮する将校で、口ひげを生やした中年の男であった。

「魔力の抽出及び結晶化と、人工的な魔力回路の技術自体は既に完成している。だが、安定化の問題がまだ残っているのです。貴方とて、自分の部下が持つ結晶が唐突に魔力爆発を起こし、獄界ごくかいと通じてしまったら嫌でしょう。もう少しだけ、時間をいただきたい。……そうすれば、この国の軍隊は世界で唯一、魔力を行使する軍隊となる」

 一方、その将校により詰問を、のらりくらりと回避しているのはタコ頭の魔族である。どういうワケか、いつも偽装のために着ていた軍服ではなく、研究者然とした白衣を着ていた。彼の後ろで何やら慌ただしく動く他の魔族と同様に、ヨシフの怒りなどまるで意に介していない。丸い双眸を細めながら、タコ頭の魔族はその言葉でヨシフの心を、出世欲を揺さぶる。

「考えてごらんなさい……。ダークエルフのように刻印を使い、ハイエルフのように術式を使う兵隊を。また、それらに関わるものは全て、他の科学技術と同様に体系化、先鋭化され、それら魔工学技術の使われたものが工場で量産されていく。武器や兵器と同様に、魔術もまた、貴方がた人類の管理下に置かれるのです。そして、歴史にはこう記される。それを世に出したのは、ヨシフ・ルキーヴィチ・アルマゾフだと……」

 それは、まさに悪魔の囁きであった。うだつのあがらない部隊の指揮官は、どんな蜜よりも甘いこの言葉に何度も騙されている。そして、今回もまた騙されるのだった。


「人間とは、愚かなものだな。いや、あの男が特に愚かなだけなのか。魔族狩りのラムズフェルドとかいう奴は、もう少し頭の切れる輩だ。――よし、お前たち! この基地から撤収する準備を急ぐのだ!」

 タコ頭の魔族は、顎についた触手を震わせながら、部下の魔族たちに指示を送る。彼らを取り巻く情勢は、かなり剣呑なものとなっていた。ヨシフはまるでそれを察せていなかったが、タコ頭の魔族はそれを嫌というほど感じ取っている。

 『海陵山の大悪童』と呼ばれた花鶏千種はこの陰謀に加担せず、数日前から魔族狩りとの連絡が取れない。おまけにタルナーダ連邦の中央からは再三の催促が行われ、研究材料の供給源であるラーデンの奴隷市場は、あの腕利きの魔族狩りであるラーテルに潰されたのだ。

 タコ頭の魔族はぶつぶつと独り言を呟き、この一触即発ともとれる状況を整理する。

「特に警戒すべきは、ラーテルとあの副局長だ……。チグサ様すら退ける力を持つあの執行官と、腹の底が見えないあの策略家。決して油断していい相手ではない。幸いなことに、研究はほとんど完成している。後は、アレを何処で起動するかだけだ……」

 

 そう、先ほどの未だ研究は完成していないという言葉は嘘。そして人工的な魔力回路や、魔力の抽出と結晶化などは、彼ら本来の目的を果たすための研究、あくまでその副産物なのである。

 今、彼の丸く黄色い双眸は、ひとつのものを眺めていた。それは彼ら魔族、特に人類からは旧魔王軍と呼ばれている者たちの悲願。このために、彼らは多大な犠牲を払い、幾多もの屈辱に耐えてきた。一時は人界を恐怖のどん底へと突き落とし、その手中に収めかけた魔族。しかし人類側の抵抗、特に勇者と呼ばれた或る男とその仲間によって、旧魔王軍は壊滅的な被害を受け、多くの魔族が人間社会の陰へと潜ったのだ。

 エルフと同じように、魔族もまた人間とは比べものにならぬほどの寿命を持っている。タコ頭の魔族は、その長い時の中で経験した栄光と屈辱を思い返し、寄せては返す波のように触手を動かした。

「旧魔王軍などという陳腐な名で、下等な人間共が酒場で話す英雄伝説の踏み台にされ……。抵抗を試みた多くの同胞が、無惨に殺された……! この積年の恨みを晴らす時が、ようやく来たのだ……! 我ら獄領軍ごくりょうぐん、その偉大なる大元帥にして、魔族の頂点に立つこのお方が、復活なさるのだからな……!」

 獄領軍。かつて人間界を征服せんと目論んだ魔族たちは、自らが所属する軍勢をそう名乗っていた。

 彼ら魔族は太古の昔、人間界を支配する存在であった。しかし各地で蜂起した人間や亜人種たちがとある大術式を使い、並行世界である獄界へと彼らを追放。人類と魔族の対立は、そこから始まったのであった。もっとも、この時代から生きている魔族は流石に貴重で、これらの話は神話として人魔双方に多少の差異はあれども、脈々と語り継がれているだけである。

 そしてその神話の中で魔族は、その狡知と剛力を以てこれまでに二度獄界から這い出し、人間界を再征服せんと試みたと言われていた。

 一度目は、人間界全体がいがみ合い、大戦争となった隙を突いて。二度目は、ついに大術式の効果が切れ、獄界と人間界の扉が完全に開いた時を見計らって。

 二度に渡った人類と魔族の戦いは夥しい流血を伴い、しかしいずれも人類側の勝利で幕を閉じていた。

 だがその戦いも、もうすぐ魔族側の勝利で終わる。タコ頭の魔族はそう信じ、その感動に打ち震えていた。


「――神とは創造するものではなく、想像されるものである。人間の哲学者が遺した言葉じゃが、なるほど。存外、正鵠を射ておるわ」

 ふとタコ頭の魔族の後ろで、ある少女がその感動を嘲笑う。否、少女ではない。少女などという、可愛らしい存在ではない。

 姿形こそ童のようだが、纏っている風格と堂々たる立ち居振る舞い、そして何よりその比類なき魔力が、彼女が単なる少女であることを否定していた。その瞳は水面に広がる流血のごとく、綺麗で儚い紅の色で染まっている。はだけた黒い着物から覗く肌はこの北国に降り積もる雪のように白く、その腕や指は触れれば崩れ落ちてしまいそうなほどにか細い。

 だが、少しでも彼女という存在を知る者ならば、彼女のことを少女などとは呼ばないだろう。少女などというか弱い言葉は、彼女の対局にあるようなものだからだ。

 花鶏千種、またの名を『海陵山の大悪童』チグサ。獄領軍において一軍を任されるほど、強大な力を持った存在、獄界の諸侯。その中でも屈指の実力を持つと言われた、伝説の魔族であった。

「魔王……、主ら古い頭の魔族は獄界の総主そうしゅと呼んでおるか。主は直接会うたことがない故、分からぬのかも知れぬがな。あの者はそこまで崇め奉るほどの器ではない、といっても主らには通じぬか」

 花鶏は今、飽きた玩具を見るように、まるで興味がないという視線をタコ頭の魔族に向けている。

「ち、チグサ様。かような時に、何用でこちらへ……」

「なぁに、気が変わったのよ。同族のよしみで、主らがこの基地から退く手助けを、してやろうと思ってな」

 慌てて頭を下げるタコ頭の魔族に、いかにも何かを企んでいるという、意味深な笑みを浮かべる花鶏。しかし、この基地の陸軍は大した足止めにならないだろうと踏んでいた彼にとって、この申し出は渡りに船であった。

 魔族である彼が見ても、思わず後ずさりをしたくなる埒外の存在。魔王、もとい獄界の総主すら完全に彼女を従えることは叶わなかった。そんな存在が、足止め役を買って出てくれたのだ。

「……それは、大いに助かります。では、我々は――」

「ただし、幾つか条件がある。案ずるな、主らにとっても利のある話よ……」

 悪魔の囁きを行う側だった彼は、いつの間にかそれを受ける側へと回っていた。花鶏千種という、妖艶で狡知に長けた、悪魔よりも性質の悪い者の囁きを。

 

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