第3話
そんなワケで、どうにかティオちゃんは立ち直り、今ではお姉さんの横で買い込んだ食糧を恐ろしい勢いで消費している。いやね、ティオちゃん。確かに元気な姿を見せてくれるのは、お姉さんもすごく嬉しいんだよ。多少の蛮行には目を瞑って、穏やかに笑っているともさ。
だけど、だけどね。流石の穏やかお姉さんも、天高くそびえ立つ塔のごとく積み重なった空の缶詰と、用済みとばかりに床中へ放り捨てられた乾パンの袋を見るとさ。もう、泣きたくなるよね。
それは、数日分の食糧だよティオちゃん。それをぺろりと平らげる君の胃袋は尊敬するけど、これからどうする気なんだい。みるみるうちに目の輝きが増していくティオちゃんと、それに比例して激減する食糧。なんだ、この子はお姉さんたちに木の皮でも食えというのか。
そして、ティオちゃんがその胃袋へと次々に食糧を放り込んでいたら、クラベルを連れたネゲヴが小屋へと入ってきた。どうやら、無事に偵察を終えてきたようだ。ネゲヴは積み重ねられた缶詰と乾パンの亡骸に、目を見開いて驚いているが、あの無表情暗殺娘は一瞥もせずに報告を始める。
「……内部の警備、かなり厳重。地上、兵舎と格納庫、時折装甲車が巡回。地下、見取り図通りなら全3階層。ただし地下、至る所に魔力検知機が設置。旧式のM3検知機。……けど、刻印や術式、当然察知される」
なるほど、魔力検知機まで持っているのか。大方、あの腹黒い副局長あたりが横流ししたんだろう。これではクラベルの刻印が使えない。つまりは、自動小銃やら軽機関銃、果ては装甲車まで持っている相手に対して、地道に潜入するしかないワケだ。
しかし、旧式のM3なのは助かった。アレの検知可能な範囲は、せいぜいが数リーネアほどなので、地下までは刻印が使える。検知方法も単純で、範囲内において一定の数値以上に魔力の反応が大きくなった際、警報を鳴らすというものだった。ただしその精度は抜群であり、誤魔化すことはまず不可能だろう。
「刻印は地上まで、か。だが、向こうの兵隊たちの戦力は相当なものだ。地下になれば手薄になる、ワケもないだろう。夜陰に乗じて潜入するという手もあるが、こちらは夜間に行動できる装備を持っていない」
「かと言って、もぐ。ゆっくりと機を窺っていると、もぐ。調整官の方たちに見つかって、もぐもぐ」
「……君の言うことはもっともだが。とりあえず、その豆の缶を食べ終えてから話した方が良いのではないか」
元気になったティオちゃんは、リスのように頬をめいっぱい膨らませて、作戦会議に参加していた。一方のネゲヴもクラベルも、どうやって基地内部まで安全に侵入するか、うんうんと唸りながら頭を捻っている。
しかし、一方のお姉さんは余裕綽々といった具合で、鼻歌を歌っているのだった。そんな様子のお姉さんを見て、ネゲヴとクラベルはその余裕がどこから来るのか気になったみたいである。
「随分と、余裕」
「そこまでの余裕があるということは、もう内部への潜入方法は考えついているかな?」
そうか、そうか。やはり気になるか。クラベルに至っては、何か作戦があるなら早く言えとばかりに、もの言いたげな目をしている。仕方ない、お姉さんとっておきの作戦を披露することにするか。
「あの基地跡の食糧や日用品を調達、運搬しているのは、基地の近くにあるあの町だ。週に2回、何台かのトラックで運搬するらしい。町の住人たちが、あの悪玉菌たちの秘密基地について深く詮索しないのは、あれが町の経済にある程度の潤いを与えているからでもある、ってワケさ」
町の食糧や雑貨を扱う商店の店主が、お姉さんの愛想笑いでぽろっと漏らした情報だ。どうやらお姉さんの不器用な愛想笑いは、おじ様方へ思った以上に効果があるらしい。花鶏との戦いは思い返したくもないが、この顔と身体は良いものだ。おっさんだった頃の不景気そうなツラでは、色々と不都合があったろうしね。
「で、その運搬に携わっている店の店主が、この見目麗しい顔をいたく気に入ってくれてね。是非とも親しくなりたい、と言ってくれているんだよ。上手く行けば、潜入の手助けになってくれる」
まさか自分の顔を指差して、見目麗しいという言葉を使う日が来るとは思わなかったよ。小さい頃から生意気な顔だの、縁起の悪そうなツラだのと言われてきた。嫁さんからも冗談交じりに、その顔をいつも言う軽口の半分くらいは、お気楽そうにできないかと言われたものさ。
……悲しくない、お姉さんは別に悲しくなんかないぞ。今はもうシケたツラのおっさんじゃなくて、黒髪ショートで胸も大きいお姉さんなんだ。死神の方がもう少し血色の良い顔だの、いるだけで運気が落ちるだの、散々言われたことなんて気にしてないやい。
「どうしたんだ、ソニアさん。ひどく悲しそうな目をしているが……」
「多分、昔、思い出してる。アレ、無視して、潜入した後の計画、考えるべき」
お姉さんを気にせず、作戦を決めていくクラベル。まったく、つくづく冷たい女だ。
その後、お姉さんたちは基地跡への作戦計画を組み立て始める。一軒の家を組み立てるよう、基礎から確実に。それでいて安直にならぬよう、奇策を挟みながら。
煙草を吸いながらでないと、岩みたいに肩が凝ってしまいそうな話を続ける。コートの裏ポケットに仕舞っている煙草へ手を伸ばすだけで、クラベルから睨まれるけど。
小屋の窓に差し込む陽の光が、だんだんと赤みを帯びていく。窓の外にある景色には、白い雪へ橙色が混じっていった。時間はお姉さんたちの話を急かすように早く進み、夜の帳が雪を隠していく。
お姉さんは一息つこうと椅子から立ち、背伸びをした。その時にふと、左の脇に着けたホルスター、そこに収まっている愛銃の91(ナインワン)の重さを意識する。次に、お姉さんは隣で今度はスープを飲んでいたティオちゃんへと、何となく視線を向けた。その視線に気づいたのか、ティオちゃんはカップ一杯に入ったコーンスープを飲む手を一旦止めて、お姉さんににっこりと微笑みかけてくれる。
あぁ、まったく。多くの出来事や悩みを経ても、この笑顔は変わらない。だからこそ、この世界にあるどんな宝物よりも、今のお姉さんにとっては尊いものだ。他者のために涙を流し、誰かと共に心の底から笑えるこの少女を汚してはいけないことくらい、お姉さんのようなろくでなしでも分かるさ。
左脇に携えている91も、返り血に塗れたこの手と身体も、多くの命を奪ったこの技も。
この笑顔に仇為す者を討ち滅ぼすため、一切の躊躇いもなく使おう。
もうすぐ戦いは終わり、この笑顔ともお別れなのだから。