舞台の裏で企む者 ―Side:Slayers―
某国の某都市。その都市は世界有数の大都市であり、その中心地には多数の企業が本社ビルを構えていた。
そんなビルの中でも一際高く、そして一際物騒なビルがある。魔族狩り、正式名称『高等魔族取締局』の本部ビルであった。
設置されている監視カメラの総数は百台を優に超え、地下も合わせると全60階の建物の至る所に自動小銃を構えた警備兵が待ち構えている。地下にある警備兵の詰所には、何台かの装甲兵員輸送車までもが備えられていた。
要塞と表現するに相応しい、その城の58階にある副局長室。そこに、一連の騒動を裏で操らんとする1人の狡猾な老人がいた。
老人の名は、ヒューリアス・ラムズフェルド。かつて中央調整部に所属し、魔族狩りという組織の裏をその狡知で生き抜いてきた男だ。しかし、そんなラムズフェルドは今、かつてないほどまでに苦々しい顔をしていた。
「ニコラウス・エスペランサ……。一介の執行官が、よもやここまで私を悩ませるとはな……」
黒檀製の、如何にも高そうな机の上にある書類を、ラムズフェルドは親の仇かの様に睨んでいる。
ニコラウス・エスペランサ。性別は元男、今は女と記されている。『海陵山の大悪童』の忌名で知られる大魔族のアトリを筆頭に、まるで何かにとり憑かれたかの様に強大な忌名つきを狩り続けていた執行官。
そんな彼、いや彼女は今、ラムズフェルドがひた隠しにしている魔族狩りの闇を、仲間と共に暴こうとしていた。忌々しげに舌打ちをして、老人はパイプ煙草を咥える。
「調整官数名では、やはり不足か」
中央調整部、そこに所属する調整官の能力低下を内心で嘆きながら、ラムズフェルドは机に置いている備え付けの電話の受話器を手に取った。
「私だ。奴隷市場の一件は、お前たち処理官に任せる。例の書類を回収し、ニコラウス並びにこの件を知る者は全員、消せ」
「――方法もお前たちに任せる。あぁ、それと。あくまで第2目標だが、可能なら旧魔王軍の悪だくみも潰せ。要するに、その場にいる全員を殺せばいい。重火器やジャミング、ならびに偽装刻印の使用は許可してやる。以上だ」
指令を伝え終わり、ラムズフェルドは受話器を置く。彼は奴隷市場を巡る、旧魔王軍やタルナーダ連邦陸軍将校の思惑について、奴隷市場が潰される前からおおよそを把握していた。
旧魔王軍がロジェフスク陸軍基地跡までエルフの奴隷を連行し、何かの実験を行っていること。そして、恐らくタルナーダ連邦陸軍の将校は、旧魔王軍にうまく利用されているであろうこと。それら全ての情報を彼は中央調整部を裏から操り、彼独自の情報網を駆使することで知っていたのだ。
(「頃合いか……。人員の補充方法はまた、後で別ルートを探すとしよう」)
パイプ煙草から漂う紫煙を眺めながら、ラムズフェルドはこれから事態をどう収拾するかについて思案する。
彼にとって一番大事なのは、魔族狩りという組織が存続していくこと。ヒューリアス・ラムズフェルドという男は、己の人生を費やして魔族狩りという組織の拡大と強化を行ってきた。彼の人生はその為だけにあったと言っても過言ではない。
人はよくラムズフェルドを、冷酷無比や無感情という。機械的に、そして狡猾に物事を処理する人間とも言われていた。しかし、彼は人間を、より正確に言うならば人間の文明をこよなく愛していたのだ。
彼が仕事の合間に吸うパイプ煙草。彼が唯一心を許す愛犬のレヴィン。たまに護衛も連れず、独りでふらっと飲みに行く喫茶店の珈琲。
これらをラムズフェルドは愛していたし、これらが存在する為に必要な、文明という基盤も彼は愛していた。
だからこそ、彼は魔族を許せない。人界を脅かし、己が衝動のままに破壊を行う野蛮な魔族を許せないのだ。故にラムズフェルドは自身の人生を全て費やし、狡猾な老人と言われてまで、魔族の討伐を行う魔族狩りという組織の維持と発展に尽力してきた。
それを、たかが一介の執行人風情に邪魔をされてたまるものか。
陰謀の糸を張り巡らせる老人の心には、静かな怒りと確かな義務感が宿っていた。