もう1人の関係者
「警戒を怠るな、相手は『刻印持ち』だ。どんな手を使ってくるか分からんぞ」
カルフールの安宿が襲撃される少し前。濃紺の戦闘服に身を包んだ5人組が、とある人物が拠点としている小さな山小屋を包囲していた。銃火器を携帯しているこの5人組に与えられた任務は、この山小屋に居る人物を排除する事。
「もう一度、確認する。目標はクラベル・アルムフルト、識別符号は『ウィスパー』。マルゴアの里出身のダークエルフで、刃物の扱いと体術に長けた、魔族狩りでも指折りの強者だ。油断は死を招く、気をつけろ」
ガスマスクを着けた、隊長格の男が近くの部下に警戒を促す。隊長格の男とその部下は、小屋にある窓の傍で、突入に備えていた。窓から隊長格の男が閃光手榴弾を投げ込み、起爆を合図に玄関の3人が突入し、隊長格の男と部下もそれに続く、というのが彼らの作戦である。
「はい、隊長。……しかし、あの『ウィスパー』相手にたった5人なんて。やっぱり今回の任務、何かおかしいっすよ」
配置についている部下が、不満を漏らした。手に構えた短機関銃の安全装置を確認しながら、男はそれを誤魔化した。世の中には、知らない方が良い事もあるとでも言わんばかりに。
「確かに、今回の一件は中央調整部の部長直々の指示だという噂すらある。だが、与えられた任務をこなす事が、俺たちの仕事だ。今は目の前の任務に集中しろ」
しかし部下にはそう言いながらも、隊長格の男は山小屋を包囲したから妙な胸騒ぎが収まらなかった。5対1、閃光手榴弾を用いての奇襲という、考えうる限りの最善手を尽くしたというのに、男の頭には不安という名の靄がかかっている。男は頭を軽く左右に振って、その靄を無理矢理に消した。任務の前に迷いを抱えていては、咄嗟の状況判断を誤る危険性があるのだ。
自分もそろそろ引退を考える頃合いか。そんなことを少しだけ考えて、男は小屋の窓を割って、中に閃光手榴弾を投げ入れた。
「行け、行け、行け! 突入して、素早く目標を排除しろ!」
まるで自分にも言い聞かせる様に、男は部下に対して大声で指示を送る。作戦通りに行けば、ここで短機関銃の発砲音が小屋の中から聞こえ、それを合図に男と部下も突入して、目標を射殺して終わりだ。
しかし、発砲音が聞こえない。3人の部下が待機していたはずの玄関は、男と部下が待機している窓から、部屋をひとつ挟んで反対の位置にある。その場所から、発砲音はおろか玄関の扉を蹴り破る音すらも聞こえないのだ。
「どうした、何故突入しない!? 何かあったのか!?」
その3人に対し、男は身につけていた小型無線機を口に近づけて呼びかけるものの、一向に応答がない。掻き消したはずの不安が、男の思考を、そして肉体を徐々に蝕み始める。
次の瞬間。男の目前で戸惑っていた部下の目から光が消えたかと思うと、男の足元に突然倒れた。首筋には投擲用のナイフが刺さっている。
「なっ――――!?」
「動くな。動くと、殺す」
男には驚く隙すら与えられなかった。部下が倒れると同時に、男の背後から彼の頸動脈を撫でる様にマチェットの刃が当てられる。そして、男の耳元に暗闇から殺意が囁かれた。
そう、彼らの標的であったはずのクラベル・アルムフルトが、彼の背後に立っていたのだ。
「お前の部下、全員死んだ。後、お前だけ。質問、答えろ」
凍土を彷彿とさせるほど、冷たく感情の起伏がない声。囁きの識別符号が持つ意味を、男は身を以て理解していた。
「この任務、誰から請けた? 裏で糸引いてるの、誰?」
とにかく、今はこの質問に答えるより他に選択肢はない。男は機を伺いつつ、話し始めた。
「この任務は、公的なものではない……。指令書を送ってきたのは、中央調整部の部長だ。お前とラーテルが壊滅させた奴隷市場や魔族マフィア共は、上層部の1人と何らかの取引をしていたんだよ」
静かに、男はその右手を右太腿に装着したホルスター、そこに仕舞っている拳銃へと伸ばす。
「その取引は、魔族狩りという組織の円滑な運営には欠かせないものだったらしい。それを潰され、おまけに特大のスキャンダルがびっしり書かれた書類も、お前らに持っていかれた。お偉いさんはカンカンになって、中央調整部の部長を呼び出した、ってワケさ」
男は皮肉っぽい笑みを浮かべながら、自らを羽交い絞めにして喉元にマチェットを押し当てているクラベルの顔を見た。クラベルは眉間に皺を寄せ、何かを考えている。
行動を起こすなら、今しかない。
男は左肘でクラベルの脇腹を突き、僅かにクラベルが怯んだ瞬間を狙って、ホルスターの拳銃を抜きながら拘束を外す。両者の間合は2、3歩ほど。しかし先んじて動き、マチェットの間合から逃れようと距離をとる男が、僅かに有利か。
否、有利ではない。クラベルは前のめりに体を倒したかと思うと、始めに左、次いで右足に力を入れて地面を蹴る様にして加速した。男の目には、まるでクラベルが突然消えたかの様に映っただろう。
そして、そのままクラベルは男に突進して地面へ押し倒したかと思うと、男の喉笛をマチェットで斬り払った。
殺し合いは終わり、そこに立っていたのはクラベル1人だけ。他は、物言わぬ屍になった。
「上層部の思惑、関係ない。奴ら、村の子たち、攫った。売られた喧嘩、倍にして返す」
頬についた隊長格の男の血を手の甲で拭い、クラベルは静かにその場を立ち去る。
「……ティオちゃんに、危険迫ってる」