第3話
「――これが、大馬鹿者のお話。過去だけを見て、自分が知っている世界に逃げ込んだ大馬鹿者のね。あの子の言葉に縛られているなんて言いながら、本当はあの子の言葉なんて碌に理解もしていなかった。ただ、失った悲しみに耐えられなかっただけの、心底弱い男の話だよ」
あぁ、その通りだ。本当に、あの頃のおっさんは弱かった。ラーテルだの、ダブルフェイスだのと呼ばれても、所詮は殺しの技しか知らない哀れな男だったんだ。大事なものを守る覚悟はあっても、失う覚悟がなかった半端者。家族でいられる時間が、永遠に続くとでも勘違いしていたのだろうか。
いや、勘違いしていたんだろう。だからあの子を失った瞬間に、あの子のことが見えなくなった。大事なものをただ見るだけで、心に遺そうとしなかったんだ。
まったく、つくづく自分が嫌になるよ。
そして、ひと通り話終えたお姉さんはもう何本目か分からない煙草の火を消して、ダッシュボードの下にある備え付けの灰皿へと捨てた。
「いやぁ、ごめんよ。もうちょっと、明るい感じの話にしようとも思ったんだけどさ。なかなか難しくてね」
お姉さんは苦笑いを浮かべてそう言いながら、ティオちゃんの方を向く。ティオちゃんは、ただまっすぐにこちらを見ていた。大袈裟に泣くでもなく、憐みの表情を浮かべるでもなく、真剣な眼差しをお姉さんの顔に向けていたのだ。
そんなティオちゃんの、細くて白い右手が、お姉さんの頬をゆっくりと撫でた。
「大丈夫です。確かに、その時のお姉さんは逃げてしまったのかもしれません。けれど――」
「今のお姉さんはワタシを、そしてワタシなんかの夢を守ってくれる、ヒーローです。天国のルシアさんに胸を張って自慢できる、ワタシのヒーローです」
まったく。ティオちゃんの笑顔は、本当にルシアと似ている。苦しみや悲しみ、不安や痛みの中でも輝きを失わない、無垢な宝石。ハンバーガー屋での戦いで初めて向けられたこの笑顔のお蔭で、哀れなおっさんは君のヒーローであるお姉さんになれたのだ。
今や、この子の夢はお姉さんの夢でもある。ティオちゃんの夢、この綺麗な瞳が見据える未来を守ること。こんなろくでなしには、十分すぎるほど大きくて綺麗な夢じゃないか。
「ありがとう。ティオちゃんは本当に優しくて、強い子だよ」
お姉さんは、自分の頬に当てられたティオちゃんの手をぎゅっと握る。そして、今度はお姉さんがティオちゃんの目をまっすぐに見つめる。
「……ま、まぁ! 煙草臭くてかっこつけたがりで、朝が弱いのは欠点ですけど! それと、なかなかお腹いっぱいに食べさせてくれませんし!」
ティオちゃんは照れくさくなったのか、紅くなった顔をぷいと逸らして窓の外を向いた。いやぁ、言いたいことをズバッというのもルシアそっくりだ。あの褐色暗殺娘も言ってたけど、そんなに煙草臭いかな、お姉さん。いや、臭いというのは案外、自分だと気づきにくいっていうしなぁ。
「いやいや。他の欠点はともかくとして、ティオちゃんを満腹にしようとしたら、それよりも先にお姉さんが干上がるからね」
そんな風に、いつもの楽しい会話をしていると、お姉さんはバックミラーに一台の車らしきものが映っていることに気づいた。まだ少し距離があるが、確実にこちらへ向かってきている。
おぉ、思ったよりも早くに助けがきたね。
「ティオちゃん、ティオちゃん。バックミラーを見てみな? 助け船がやってきたよ」