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SLAYERS STRUT ~魔族狩りのお姉さん(おっさん)~  作者: 水茄子
お姉さん、休暇を過ごす。
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もう無くなったものの話(上)

 男が一人、帰路についていた。黒いロングコートを纏った、目の下にくまのある男だった。男の口には、「メルボロ」という赤と白の煙草のソフトパックから取り出した、煙草が咥えられている。獣の尾の様に自身の後ろへ紫煙を漂わせ、ただ黙々と歩いていた男は、都市の郊外にある自分の家へといつの間にか辿り着いていた。男は山荘やロッジの様な木造の我が家を前に、自身の左手に持つ小さな白い紙の箱を一瞥する。

 その中にあるのは、柄にもなく洋菓子屋に並んで買った、美味しいと評判のケーキ。長身痩躯で目の下にくま、おまけに黒いコートという、お世辞にも明るい格好とはいえない男が、ご婦人たちや女子学生と共に列へ並んで買った物である。

 やれ人殺しの目だの、犯罪者の顔だのと陰口を叩かれながら買ってきた、苺のショートケーキは2つ。煙草の火を消し、携帯灰皿へと吸い殻を捨てる。そして、玄関のドアを開け、家の中へと入っていった。


「はいはい、おじさんが今帰ったよ」

 男の覇気のない声に、男の妻らしき女が応える。その女は、肩口の上辺りまで伸びた短めの黒髪と、少し垂れた目尻と眉、そして服の上からでもはっきりと分かる魅力的な身体つきをしていた。

「おかえりなさい、あなた。あら? その白い箱は――」

 落ち着いたトーンの声で男を迎えた女は、男がケーキの箱を持っている事に気づく。男は照れくさそうに頭を掻いた。

「いやね、ソニアさん。やっぱり2、3日もの間、家を空けたワケだからさ。ソニアさんとあの子に、お土産のひとつでも買っていかなきゃなぁ、と思ったんだよ」

 男ははにかみながら、ケーキの入った箱をソニアと呼んだ、自身の妻へと差し出す。そんな男の様子を見て、にこりと穏やかな笑みを湛えながら、ソニアはその箱を受け取った。男がその目つきの悪さと彼の職場での評判に見合わず、照れ屋でマイペースな人物だという事を、十年以上も結婚生活を続けたソニアはよく知っている。

「覚えてますか? 私が16歳の誕生日を迎えて、あなたに結婚を迫ったあの日もそうでしたけど……。あなたはその見かけによらず、照れ屋ですよね」

「あぁ、あの時ね。今まで仕事のパートナーで、かつ20歳だと思ってた女性が、実は16歳でその上いきなり結婚を申し込んでくるんだもの、忘れる方が難しいよ。後、見かけによらずは酷くない? おじさんのこの顔は生まれつきでね、しょうがないの」

 玄関近くのポールハンガーへとコートを掛け、男とソニアはある部屋へと向かった。


「おかえりなさい、パパ! 今回の仕事は、どこに行ってきたの?」

 男とソニアの間に生まれた一人娘、ルシア・エスペランサであった。ルシアは生まれつき身体が弱く、あまり自宅から出た事がない。その為学校へも行けず、自宅でソニアから勉強を教わっている。そんな彼女にとって、父親である男が持ってくる旅の話を聞いたり、写真を見る事は、何よりの楽しみであった。

 男がルシアのベッド近くにある木の椅子へと座ると、彼女は上体だけをゆっくりとベッドから起こす。男が話し始めるのを今か今かと待っていたルシアの頭を、彼は優しく撫でた。

「あぁ、ただいま。今回もパパは、ルシアの為に色々と持ち帰ってきたぞぉ。――まずは、これだ!」

 男がそう言うと、彼の左に立っていたソニアがケーキの箱を開けて、ルシアへと見せた。箱の中に入っていた苺のショートケーキを見たルシアは、まるで金銀財宝の山を見たかのように、目を爛々と輝かせる。ルシアは、甘いものが大好物だった。

「このケーキを食べながら、パパのお話を聞けるなんて! ありがとう、パパ! ……けど、その人相の悪さでケーキ屋に並ぶのだって、大変だったでしょ?」

「はははっ、ルシアとソニアさんの為なら何てことないさ。っていうか、ルシアもパパに対して思った事をそのまま言うよね。そういう所はソニアさんに似たのかな?」

 一家はそうやって笑いながら、男の旅の話を聞き始める。ルシアもソニアも笑ったり、固唾を飲んで話の展開を見守ったりと、男の話を真剣に楽しんでいた。男も、そんな2人の様子を見て、穏やかな笑みを浮かべる。

 男は思う。自分の様な、血に濡れた手を持つろくでなしが、ここまで幸せな家庭を持っていいのかと。確かにルシアは病気がちだが、そんな事など気にならないくらい利発で、優しい子だと男は誇りに思っている。


 男には、五歳までの記憶がない。自分を育ててくれたダークエルフの老人からは、魔族から逃れてきた孤児だったと伝えられた。苗字すらなく、男の現在の苗字は妻であるソニア・エスペランサのものである。その老人から男は戦う術を教わり、気がつけば魔族狩りなどという血腥い稼業で、指折りの腕利きとなっていた。

 いつもは軽薄そうな笑みを浮かべて、仕事となるとひたすら無表情で標的を殺していくという豹変ぶりから、同僚からはつけられた仇名は二重人格ダブルフェイス。魔族からは識別符号スレイヤーコード『ラーテル』の名で呼ばれており、魔族にとって男は憎悪か、あるいは恐怖の対象。誰も、男に近づこうとはしない。

 そんな男だが、ルシアとソニアというたった2人の家族の前では、ただのマイペースな父親でいられた。よちよち歩きを始めたルシアを男はソニアと共に応援し、ルシアが初めて病に倒れた時は三日間寝ずに看病した事もある。男は、初めて誰かと共に穏やかな日々を過ごした。


「パパは、すごいな。色んな所に行って、色んな事を経験して……。私も、そんな風に何処かへ行けるように、なれるかな……」

「大丈夫、きっとなれる。ルシアなら、パパなんかより、もっと色んな場所へ行ける。もっと色んな事ができる。もっと、色んな人と仲良くなれる。ルシアなら、何にだってなれるんだ」

 もちろん、男は自分の稼業をルシアに知らせていない。こんな血に塗れた世界など、輝かしい未来が待っているルシアは知らなくていいと、男は思っていた。

 そう、ルシアは男とは違う。いずれ成長して、身体が強くなれば、きっと日の当たった場所で暮らしていける。男の話を聞いた時のように、はちきれんばかりの眩しい笑顔で、人生を歩めるはずだ。

 夢もなく、ただ生きる為に。生きているという実感を得る為に戦っていた男は、いつしか夢を得ていた。自分と、愛する妻との間に生まれた愛娘が、何事もなく平穏無事な未来を過ごせるように、という夢を。

 戦う方法しか知らない男が初めて抱いた夢は、愛娘の笑顔がこの先もずっとそのままであってほしい、というものだった。 


 その夢は小さく、健気で。しかし、水面みなもに出来た波の様に、儚く消えた。


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