第1話
ラーデンは2つの地区に分かれている。ひとつは、お姉さんたちの安宿がある外周部。かつての王城を筆頭に、露店に住宅、安宿がひしめくいわば庶民の地区だ。
一方、今お姉さんがいるのは、革命政府が開発を主導した中心部である。高層ビルが立ち並び、アスファルトで舗装された道路には、無数の自動車が走っていた。クラクションと雑踏から漏れる声が耳に届き、ビルを覆う窓ガラスが反射した日の光が眩しい。外周部とはまた違った賑やかさがある場所だった。
「で……。お前が今日、ここに呼ばれた理由は分かるか?」
もっとも、今お姉さんは魔族狩りのラーデン支部ビルで、お説教を食らってるから見えないんだけどね。
「ここまでのタクシー代の請求書を、ここに送ったからですかね?」
「……お前と話していると、頭痛と胃腸がひどくなる」
安物のソファーに座るお姉さんの前で、どっかりと社長机へ座り、こめかみを指で挟んでいるおっさん。コイツは、支部長のダグラス・モントリオールだ。コイツがまだ現役だった頃、何度か共闘した仲だが、向こうは白髪交じりの厳ついおっさんである。へへーん、こっちはぴちぴちのお姉さんだ。
もっとも、向こうの方が一応は上司なので、形だけ敬語を使っているワケだが。
「旧魔王軍とのいざこざ。奴隷市場での、魔族マフィアとの銃撃戦。どれも俺の耳に、しっかり届いているぞ」
「随分とまぁ、よく聞こえる耳だこって」
指で耳をほじり、耳垢を吹いて飛ばす。本来ならこの手の話は、煙草を吸いつつ適当に流したい。しかし、このビルが全館禁煙という地獄なので、吸いたくても吸えないのだ。
「いくらお前が執行官でも、ここまで派手に暴れたらマズい事になる! あの奴隷市場には複雑な事情があって、今まで泳がせていた! それをお前はパアにしたんだぞ! そもそも、あのマフィア連中に忌名つきはいなかっただろう!」
執行官というのは、お姉さんみたいに、賞金目当てで忌名つきを狩る連中の事である。逆に直衛官とは、高位魔族取締局に直接雇われている、いわば首輪付きの猟犬だ。
先ほどから机を叩いて、大層お怒りの支部長だが、お姉さんはそんな事など知らん。コイツに雇われているワケでもないし。たまたまラーデンが、コイツの管轄だっただけだ。
「金持ちの変態どもと、くそったれの魔族を共存させる為に、お姉さんは魔族狩りになったワケじゃないんでね。お姉さんは職務を全うしただけさ。それに――」
ソファーから立ち上がり、片手に持っていたファイルを社長机に投げてやる。
「旧魔王軍含め、色々と危ない情報が、この書類には載ってある。奴隷たちの出荷先とか、この国の外務大臣の性癖とかね。ちなみに、今のところそれを読んだのはお姉さんだけ」
ファイルに入っている書類を読むダグラスの厳つい顔が、余計に厳めしくなった。眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げる。まぁ、当然だな。この中身をどこぞのマスコミに流せば、お偉いさんたちの引責辞任ニュースが、連日お茶の間を賑わす事となる。
「本当に、お前以外でこれを読んだ奴はいないのか?」
流石、元・直衛官。それなりにドスの利いた声と視線で、お姉さんを威圧してきた。おまけに、社長机の引き出しから、何かを取り出す音も聞こえる。
一応お姉さんも、腕を組むフリをしつつ、左脇のホルスターへと手をかけた。まさか、そんな馬鹿な真似はしないと思うが、用心に越した事はない。こういう稼業では、基本的に人を信用しない事が大事である。
「この件は、今のところ2人の胸に仕舞っておこう。それと、ホルスターの91は抜くなよ。今の俺じゃあ、お前に負ける」
もっとも、ダグラスがそう言って取り出したのは、ウィスキーだった。高そうなボトルとラベルのそれを、景気よくポンと開ける。そして、近くの棚からグラスを2つ持ってくると、片方をお姉さんにパスしてきた。
あぁ、お姉さんも抜かずに済んで、ホッとしてるよ。
「良いのか? 支部長サマが、昼間から酒なんか飲んで」
肩をすくめ、苦笑いしながら、グラスにウィスキーを注がれる。まったく、よくこんな高級そうな酒を買う金があるもんだ。
「飲まないとやってられるか。精神安定剤みたいなモンだ。まったくお前は、いつも俺の心配事を増やすな。それも、馬鹿デカい心配事を、だ」
「それくらいなきゃ、支部長なんて退屈だろ?」
軽く乾杯してから、お互いソファーと椅子に座る。
「お前のいう事が分からん訳じゃない。俺たちは本来、忌名つきだけじゃなく、人に仇為す魔族を狩るのが仕事だ。だが、だがな――」
一口で一気に酒を飲み干し、ダグラスは溜め息をついた。その目は、現役時代と違って疲れ果て、まるで覇気を感じない。
「我々の様に胡散臭い連中が、国家間のいざこざや、政治家の干渉と無縁でいる為には……。それなりの、取捨選択って奴を迫られるんだ」
そうなのだ。そもそもあらゆる国家に属さない、魔族狩りなんて武力集団が何故、ここまで好き勝手出来ているのか。
それは、多くの者にとって旨みがあるからだ。魔族という得体の知れない種族が持つ、危険な秘密。誰だってそれが欲しくなるが、同時に危険な目には遭いたくない。そこで、魔族狩りという捨て駒で余分な危険を取り払い、秘密だけを調べる。
また、最近では魔族の権利を巡っての論争も、数年前と比べて激しくなっていた。『罪を憎んで種族を恨まず』という合言葉の下、様々な連中がデモ行進だの街頭演説だのを行っている。まぁ、それが良いか悪いかについては、お姉さんはノーコメント。
とにかく、そういった世論がうるさい状況で、国も魔族の討伐命令をじゃんじゃん出す事が出来なくなってきていた。表立って魔族は狩れないが、魔族の持つ未知の技術は手に入れたい。そこで、魔族狩りの出番ってワケさ。
まぁそんな感じで、何とも汚い大人の事情が交錯し、魔族狩りという職業は成り立っていた。
「随分とまぁ、面倒な椅子に座っちまったもんだね。お姉さんは、現場で拳銃振り回してた方が、性に合ってるよ」
同じく、お姉さんも一口でグラスに入ったウィスキーを飲み、支部長室の扉を開ける。まぁ、本音を言うと、もう一杯くらい飲みたかったけど。その時、ダグラスが独り言の様に呟いた。
「……とにかく、だ。本部の監視役が、お前についてるって話もある。せめて3日ほど、大人しくしておけ。久しぶりに元気な姿のお前を見れたのは良かったが、はしゃぎすぎだ」
片手だけを上げて、ダグラスに振ってやる。
「御忠告、痛みいるね。――それと、奥さんと娘さんを大事にしろよ。疲れたんなら、家族と一緒にゆっくり休暇でも過ごしな。過ごせる家族がいるんだからさ」
まったく。かつての戦友に会うってのは、何ともむず痒いもんだ。