悪童は嗤い、昂る
「では、チグサ様は我々の誘いを断ると?」
「応とも。何を企んでおるのか、気になったから来てみたが……。相も変わらず、想像力の乏しい連中よなぁ」
とある場所の地下施設。鉄筋とコンクリートによって固められた要塞で、花鶏千種は嘲笑を浮かべる。その心底小馬鹿にした様な笑みを向けられているのは、黒い軍服を着たタコ頭の魔族だ。その軍服は本来、北方のとある陸軍大国、その陸軍将校が着ているものである。
「我々の崇高なる計画。チグサ様ほど聡明なお方ならば、必ずや理解していただけるものと思っていましたが……」
「崇高だの、偉大だのは関係ない。要は、面白くないのじゃ。低俗でも構わん、卑小でも良い。じゃが、面白くないものに関わるほど、儂は馬鹿ではない」
花鶏のいる部屋には、紫色の液体に満たされた培養槽が幾つも並んでいた。薄暗い照明の中、妖しく光るその培養槽を一瞥して、花鶏は肩をすくめる。
「昂らぬのよ。これほどまでの物を用意しておきながら、目的がアレではな。儂は悲しいぞ。主らも凡百の人と同じく、結局は神だの王だのに縋りつくとは」
あごひげの様な触手を蠢かせるタコ頭の魔族に、花鶏はその紅い瞳を向けた。童女の身体から出ているとは思えぬほど、妖しく恐ろしい雰囲気に、タコ頭は思わず固唾を飲む。
「魔族とは、個の強さのみを頼り、己が欲と心の赴くままに、世の全てを喰らう者ではなかったのか? 何者かに媚び、尻尾を振る様な者を、少なくとも儂は魔族とは思えぬ」
「しかし、この計画が成就しなければ、いずれ魔族は人によって駆逐されます! 或いは、人が作り出した文明の中に飲まれ、魔族としての誇りを忘れてしまうでしょう」
タコ頭の必死な訴えすらも、花鶏は一笑に付した。
「では、滅びると良い。その様に弱く、面白くもない魔族など、淘汰されて然るべきじゃ。儂がかつて、魔王とやらの傘下に入ったのは、あやつが世界を壊す者だと思ったからよ。人によって無様に整えられ、つまらぬものと成り果てた世を、壊すと言うたからじゃ」
花鶏は思い出す。自身と互角、あるいはそれ以上の力を持ち、かつて魔王と呼ばれた者の事を。その者は花鶏の前で、世界を、そしてあらゆる秩序を壊すと嘯いた。しかし、結局は異なる秩序を求めただけの、矮小な者であったと花鶏は記憶している。
それでは、つまらない。
秩序など、花鶏には不要だった。魔族も人も、誰もが自らの欲を突き通し、闘争を繰り広げる世界。その闘争によってのみ他者と繋がった世界こそ、花鶏が求めるものだった。しかし、秩序とは常に、これを封じる為にあるものだ。秩序とはつまるところ、欲を管理するものである。強者の欲を管理し、弱者の欲を保護するのが秩序。それは、花鶏にとって唾棄すべきものであった。
(「その点、我が宿敵は良い。余計なものを、闘争に持ち込まぬ。殺すか、殺されるか。相手の都合などお構いなしに、自身の欲を押し通そうとする」)
花鶏は、自身が唯一宿敵と認める男、もとい女に会いたいという衝動に駆られる。
「ではな。精々、権力に媚びるといい。それが、人と同じ在り様であると気づかぬまま、な」
胸元が大きくはだけた着物の袖から、花鶏は一枚の札を取り出した。そして、タコ頭の制止を後目に、要塞から姿を消したのである。
「おかえりなさいませ、花鶏様。旅立つ前のご用は、お済みになられましたか?」
そして花鶏は、アヤメの出迎えの声と共に、見慣れた悪徳の城へと戻ってきた。
「おう。つまらぬ用事であったわ。アヤメ、アレを持ってこい」
花鶏の言葉を受けて、3つ数え終わるよりも早く、アヤメは小さい水晶玉を持ってくる。花鶏は褒美と言わんばかりに、アヤメの顎の付け根辺りを撫で、水晶玉を受け取った。
その水晶玉に、花鶏が魔力を送ると、水晶玉にある映像が映りだす。
「ちょっとした魔力の跡を、あやつの武器に仕込んでおいた。場所さえ分かれば、後はどうとでもなる。呑気なものよのう」
そう、それはエルフの少女と共に悪徳の城を出る、花鶏の宿敵の姿であった。そしてにやにやと、胡散臭い笑みを浮かべる花鶏に、アヤメが耳打ちをする。
「ラーテルが、この城の奴隷市場を潰しました。恐らくラーテルは、旧魔王軍の陰謀に感づき始めています」
それを聞いた花鶏は、自身の腹の底からこみ上げてくる笑いを止められなかった。いつもの様に静かな笑みではなく、呵々という甲高い笑い声を、憚る事無く上げる。その様に、アヤメは思わず身じろぎしてしまった。彼女が花鶏に買われてから一度も、ここまで無邪気に笑う花鶏を見た事がなかったからである。
「流石、流石よのう! 儂の店で買った銃の試し撃ちとでも言わんばかりに、あの場所を潰すとは! ――これで旧魔王軍も、それに繋がる魔族連中も黙ってはおらん。このつまらぬ世が、一気に動くのじゃ」
花鶏の紅い眼は、水晶玉に映る宿敵の姿を捉えて離さない。
「さぁ、祭りの始まりじゃ。欲と欲とが鎬を削る、何とも醜く、面白い祭りのな……」