第10話
「すいまっせーん。奴隷を一匹、売りに来たんですけどぉ」
そう言って、お姉さんは奴隷市場の入口前に立った。わざわざ買ってきた黒いスーツとネクタイ、そして真っ白なシャツは、まるで葬儀の参列者。おまけに丸縁のサングラスもかけて、より胡散臭さを演出する。金髪のカツラは外した。やっぱりお姉さんには黒髪ショートの方が似合う、と思っている。
お姉さんの呼び声が聞こえたのか、入口を守っていた黒スーツのオークが二体やって来た。
「……商品は、そのハイエルフか」
でもって、そんなお姉さんの隣で首輪をつけ、ボロ布を纏って奴隷役をしているのはティオちゃんである。お姉さんは何度もクラベルがやった方が安全だと抗議したのに、本人がどうしても役に立ちたいと言ってきかないので、ついにお姉さんの方が折れたのだ。
「そうそう。色々と予定が立て込んでいてね、手早く金にしたいんだよ。で、商談は何処でやるのかな?」
煙草を咥えながら、左手で頭を掻く。この際、迂闊に相手から目線を逸らすと、何か後ろめたい事があるのではないか、と怪しまれるので注意が必要だ。しかし、民警の潜入捜査みたいだな。ちょっと楽しくなってきたぞ。
「待て。お前が大丈夫かどうか、色々と確かめさせてもらう」
「用心深いね、良い事だ」
これでこいつらからボディチェックを受けるのは二度目だ。勘弁してほしいよ、まったく。
オーク共の半分ほどしか身長がないティオちゃんの方は、手早く終わった。お姉さんの方も、特に問題なし。強いて言うなら、お姉さんの豊かな胸にオークの手が触れた瞬間、掌底を喰らわせてやろうかと思ったくらいだ。さて、ここからが本番である。
「よし、通れ。ボスはホールを抜け、廊下の突き当りにある扉の先にある部屋だ。廊下まで出れば、仲間が案内する」
「はいはい。お仕事ご苦労さん。ほれ、とっとと行くぞ奴隷」
首輪に繋がっている紐を引っ張り、奴隷を酷使するろくでなしを演出する。あぁ、ごめんよティオちゃん。
そして、内心ホッと胸を撫で下ろして、オーク共に背を向けて内部へと入っていこうとした時。
「おい。ちょっと待て」
オークの一人がお姉さんたちを引き留めた。お姉さんのボディチェックをしていた方のオークだ。まさか、感づかれたのか。ティオちゃんも、心配そうにこちらを上目遣いで見てくる。今のところ、不審に思われるところはないはずだ。
「……何かな? デートの誘いなら、丁重にお断りするけれど」
軽口を叩いて、どうにか平常心を心がける。万が一、バレてしまったら、ティオちゃんだけでも逃がさないと。
じっと、そのオークがこちらを見てきた。くそぉ、オークってのは常時しかめっ面みたいなものだから、感情が読み取れない。
オークが、その大きな緑色の右手で、お姉さんの左肩を掴んだ。連中にとっては軽く掴んだみたいなものだろうが、人間からしてみれば相当な力である。まずいな、この位まで距離を詰められると、ガタイと力の差で連中の方が有利だ。こいつらが本気を出せば、お姉さんの細い首なんて木の枝みたいに、ぽきっといかれる。
仕掛けるか、否か。お姉さんが迷っていると、オークがその野太い声でこういった。
「……そこを何とか、食事だけでも一緒にどうだろうか。こういう仕事をしていると、色々疲れてしまって。君の様に綺麗な人と食事をすれば、それも癒されると思うんだ」
思わずずっこけかける。拍子抜けにもほどがあるわ。なんでそんな強面なのに、嫁さんを初めてデートに誘った時のお姉さんよりも、小洒落た口説き文句を思いついてんだ。
お姉さんなんて、「飯、行こうか」だぞ。嫁さんから、事ある毎におちょくられたんだぞ。
ただ、そのオークの口ぶりから、それがあながち嘘でもない事が分かる。僅かだが不安の混じった声色で、強面の顔に必死で笑顔を作ろうとしていた。
魔族だから全員が悪い、という事は無い。確かに、魔族関連で何かと話題に挙がるのは悪党ばかりだし、悪事を働くことを生き甲斐にしている魔族もいる。だが同時に、その偏見の目によって居場所を無くし、仕方なく悪党として生きている連中もいないワケではないのだ。世の中、完全な正義だの完全な悪だのは、なかなか存在しないって事さ。
しかしまぁ、何ともタイミングが悪い。今からここで、派手に事を構えようとしている時に限って、こういうヤツに会うとは。溜め息混じりの煙を吐いて、お姉さんは自分の肩に置かれたオークのごつごつとした手をそっとはがす。そして、あからさまに残念そうな顔をするオークの近くに寄り、こう囁いてやった。
「もしあなたが、本気でこの仕事に嫌気がさして、少しでも正しい道を歩く気になったなら。その時は、また誘ってほしいね」
そう言って、その場を後にする。まったく、お姉さんも罪な女、もとい男だねぇ。
ふと横を見るとティオちゃんが、奴隷役である事も忘れて目をきらきらと輝かせている。あの安宿で、演技には自信があると言っていた子は何処に行ったんだ。女性ってのは人の色恋沙汰が本当に好きだね。
何とか内部への侵入に成功し、ホールへと入る。そしてそのまま何事もなく、廊下へと抜ける事が出来た。そこでさっきのオークとは正反対の、如何にも悪事を楽しんでいそうな面の獣人に案内される。扉を抜けると、今度は狭く薄暗い通路に出た。
照明は安っぽい電球のみ、恐らく後で付け足したであろうアスファルト剥き出しの壁には、微塵の温かみも感じない。道は正面と右で二つに分かれ、獣人はまっすぐに進んだ。
となると、詰所やら奴隷の部屋は右かな。大体の当たりをつけながら、こいつらのボスがいる部屋に向かう。そして、正面通路の突き当たりにある木製ドアの前まで辿り着き、それを獣人がノックした。一拍置いた後、入れ、という低い声が奥から聞こえ、獣人がドアを開ける。
さてと、ここまでは順調だ。それじゃあ、その碌でもない面を拝ませてもらいましょうかね。