第9話
まったく、随分と胸糞悪いものを見せてくれる。奴隷市場に入った時、お姉さんが始めに思った事はそれだった。
魔族マフィアの連中に顔や体型を覚えられている心配があるクラベルは、別ルートで侵入しており、今はお姉さん一人。クラベルに拳銃を預け、小型無線機も誰かさんの様に胸の谷間へ隠す事で、どうにかボディチェックを通過した。しかし、まさかこんな方法で本当に通れるとは。女性の胸というものの新たな可能性を見出しつつ、お姉さんは赤い絨毯が敷かれた奴隷市場の内部へと入った。
そしてそこで、何とも不快な光景を目にしたのである。
薄暗く照明が灯る円形状のホール、その中心にある壇上で下着の様な服装をした人間の少女三人が、扇情的な踊りを踊っていた。首に家畜がつけるような首輪を着けられている事、そして目からまるで生気を感じられないところから察するに、まず奴隷とみて間違いない。おまけに、身体のあちこちには、鞭の跡と思われるみみず腫れがうっすらと残っており、彼女たちがどのような扱いを受けてきたのかが容易に想像できる。
だが、一番不愉快なのは、年頃の少女の肌が傷つけられ、目から生気を無くすほどの仕打ちを受けているというのに、それを肴に魔族連中と談笑している人間の富豪共だ。
どいつもこいつも、上等な服で醜く肥え太った身体を隠し、仮初の笑顔で我欲に汚れた目を覆っていた。ソファーにどっしりと構え、酒を飲んでいる姿を見るだけでも腹が立つ。お姉さんのお仕事はあくまで魔族を狩る事だが、こういう手合を見るたびに、うっかり銃撃戦に巻き込みたくなってしまうね。
おっと、いかん。お姉さんはプロなのだから、まず仕事をきちんとこなさねば。
胸糞悪いホールを抜けて、奴隷たちを閉じ込めている檻がずらっと並べられた廊下へ出る。奥の扉まで一本道なその廊下には、一定の間隔を空けて、自動小銃をひっさげた黒いスーツの見張りが立っていた。いずれもどこぞで密造された非正規品だろうが、それを構えたヤツが十人も二十人もいるとなれば、話は別だ。投石よりマシというレベルの銃だろうと、頭数を揃えて撃てば十分な脅威になる。どうにも、正面突破は無理そうだ。
見張りの数に武装の質、施設の構造はこれで大体把握した。残るは、クラベルが言っていた廊下の奥にある招待客専用の部屋と見張り連中の詰所、そして奴隷用の部屋と支配人がいる部屋の四つだけ。近くにあった女子トイレに入り、小型無線機を胸の谷間から取り出す。映画とかで時折見るこれを、まさか自分がやる事になろうとは。人生ってのは、何が起こるか分からないものだなぁ。
「こちらお姉さん。クラベル、聞こえるか? こっちは今女子トイレだ」
いやぁ、それにしても中身はおっさんのお姉さんが、初めて女子トイレに入った時は緊張したものだ。下手したら、初めて忌名つきを狩った時より緊張していた。何せ男にとっては未知の領域、入った瞬間、即御用の危険地帯である。おまけに用の足し方も分からず、嫁さんに聞いとけば良かったなぁ、なんて思ったりしなかったり。
『――問題ない。今、そっちに向かっている』
しかし、あいつは何処から侵入したのか。少しでもバレる危険性があるならと、自信ありげに何処かへ消えて行ったが、大丈夫なんだろうな。
その時、照明の傍にある四角い通気口の蓋が小さく音を立てたかと思うと、何かがそこから降りてきた。何かと表現したのは、それの姿が見えず、着地音だけが聞こえたからである。
「も、もしかして、クラベルさん?」
「それ以外、ない」
クラベルの声と共に、その青いワンピースドレス姿が露わになった。一体、これはどういう事だ。
「ダークエルフの、術式。よほど近寄られない限り、姿、見えなくする。身につけているものも、見えない。ただし、音と匂いでバレるの、難点」
なるほど、だから煙草の臭いを嫌ったのか。だが、それを抜きにしても恐ろしい術式だ。城でこいつに背後を取られたのは、この術式が原因だろうな。くそう、汚いぞ。
「これ、貴方の武器。銃、無駄に部品が多い。扱い、面倒」
「機械だからな。お姉さんからしてみれば、剣やら槍やらをぶんぶん振り回す方が面倒だね。こいつなら、引き金を引いて終わりだってのに」
ホルスターと、それに入った愛銃の91(ナイン・ワン)を受け取って、シャツの上から装着する。そして、ジャケットを上に羽織ってから、前のボタンを留めればまず見える事は無い。うむうむ、やっぱりお姉さんはお前がいないと落ち着かないよ。
さてと、ここから第二段階だ。武器をしっかり持ったまま侵入できそうな経路と、まだよく分かっていない残り四つの場所の偵察をしなければならない。
もっとも、姿を消せる上に、そういった潜入は大得意なクラベルさんがいらっしゃるので、お姉さんは人の流れを確認する事となった。なんだい、適材適所とはいえ、地味な仕事を押しつけやがって。
クラベルは再び通気口の中へと、軽々入っていった。昔、くそ爺のところで修行していた時からそうだったが、お前は猿の生まれ変わりかと今でも思う。
お姉さんも女子トイレから出て、胸糞悪い廊下へと戻る。するとその時、新たに奴隷を売りつけにきたのであろう人間のチンピラ二人組と、そいつらに首へ紐を括りつけられたエルフの少女に鉢合わせた。ティオちゃんより少し育っているその身体には、やはり癒えていない痣が何ヶ所か残っている。
「そんな所でぼさっと突っ立ってんじゃねぇ! 邪魔だよネエチャン! オレ達は今からビジネスをしに行くんだからよぉ!」
思わず91を引き抜いて、二人組の眉間を風通し良くしてしまうところだった。危ない、危ない。
「紐を括りつける場所、間違えてるよ。よく喚く猿にこそ、紐をキツく締めておかないと」
「んだと、テメェ……?」
首をとんとんと指差して、親切に指摘してやったお姉さんを、二人組は露骨に睨み据えてきた。
「とっとと、そのビジネスとやらに行きなよ。それとも、お姉さんと楽しくお茶でもするかい?」
まったく、お姉さんもまだまだ未熟だなぁ。チンピラ二人は吐き捨てる様に、お姉さんを罵倒すると、奥の部屋へと消えて行った。
まぁ、いい侵入経路を教えてくれたお礼に、今回は見逃してやるさ。今回は、ね。
さてと、それじゃあお姉さんは一足先に宿へ戻って、準備しておきますか。