第8話
「こちらお姉さん、こちらお姉さん。ティオちゃん、聞こえてたら返事してほしいね。どうぞ」
『――えーっと。こちらティオ・ホルテンツィエ。ちゃんと聞こえてますよ。二人は、ワタシの声が聞こえますか? どーぞー』
「聞こえる。問題、ない」
「はいはい、こちらお姉さん。聞こえてるよ。いやぁ、流石は十万ルクスもした小型無線機だ。ティオちゃんの声が良く聞こえるよ。どうぞ」
あの後も安宿で作戦会議を行ったものの、そもそも情報が少なすぎて作戦なんか立てられない。で、結局昔ながらの方法で情報収集をする事になった。
そう、スパイ映画よろしく変装して直接乗り込むって事さ。
『人間の科学技術はすごいですね! まさか遠く離れた人間と、こうも簡単に、しかもほぼ時間差なく話せるなんて!』
その声だけでも分かるくらい、ティオちゃんはお姉さんが買った無線機のハイテクさに興奮している。しかし、この子の声は無線機越しでもよく通るなぁ。若干耳が痛くなりそうなほどだ。
「今時、無線機はともかく、カラーテレビや電話は珍しいものじゃないよ。そこそこ発展した国なら、一家に一台は当たり前の時代さ。しっかし、無線機もこんなに小さくなるなんて、便利になったものだなぁ。おっと、そろそろ城に入るから、一旦切るよ」
『はい! くれぐれも気をつけてくださいね! 通信しゅーりょーっ!』
もっとも、今こうして得意げに話をしているが、お姉さんもそこまでこういう電子機器に詳しいワケじゃない。むしろ、こういうのは苦手な人種なので、この無線機の説明を受けている時も、内心ではひやひやしていた。
変装の為に買った、水色のカジュアルシャツに、ベージュのジャケットとスラックス。そのジャケットの内ポケットに件の無線機を入れ、話したい時に何時でも取り出せる様にした。ついでに新しく茶色の革靴にサングラスも買った事で、お姉さんの財布からはどんどんとお金が飛び去って行く。
何、もっと女性らしい服を着ろって? 中身四十代のおっさんに、そんなファッションセンスを求めるのは酷ではなかろうか。
「人間の進歩、早すぎる。いずれ、何かしらの歪、生む」
それに、隣の褐色暗殺娘も同じくらいのセンスだし。
戦闘服以外に着た事がないからと、適当に店員から見繕ってもらったそれは、青色のワンピースドレスと白いヒールだ。畜生、自分のセンスがないからって、店員さんに頼るのは卑怯だぞ。おまけに、その代金もお姉さん持ちときたもんだ。あぁ、お姉さんのお金が虚空へと消えていく。
だが、一番お姉さんが気に食わないのは、それがなかなか似合っているという事なのだ。常日頃、魔族狩りという名の肉体労働で鍛えられている為、身体つきが引き締まっており、全体的にシルエットが細い。おまけに足もすらっと長く、お姉さんと肩を並べるくらい身長も高いので、芸能雑誌で見かけるモデルの様だった。
「このヒールという靴、歩きづらい。いざとなったら、脱ぎ捨てる」
「馬鹿、それ幾らしたと思ってるんだ。咥えて走れ」
まったく、だからこいつと仕事するのは嫌なんだ。
さて、お姉さんたちの変装は上手く出来ている様で、前回城に入った時と違って、殺意の視線を感じない。まぁ、お姉さんは服を変えて、金髪ロングのカツラを被っただけなんだが。クラベルに至っては、服を変えただけだ。顔写真が出てないのが幸いしたってところか。
一方、ティオちゃんは安宿で待機。何かあったら呼び出してほしいというティオちゃんたっての願いで、一応無線は繋げているものの、お姉さんは呼ぶつもりなどない。何せ、これから行く場所はティオちゃんの教育上、非常によろしくない場所だ。花鶏と同じか、それ以上に。
魔族マフィアの本拠地である奴隷市場では、エルフはもちろんの事、人間も商品として多く売り出されている。性奴隷や戦闘奴隷、奉仕奴隷と、奴隷の種類も多種多様。まったく胸糞悪い話だが、商売として成り立っている以上、それを買うヤツもいるという事だ。そんなものを、わざわざ見なくても良い。お姉さんはそう考えていた。
「……貴方、ティオちゃんに、甘すぎる。過保護、子供の毒になる」
そこを、クラベルに突かれた。無表情、無感情が基本のこいつだが、以外に人の細かいところまで見ている。
「それと、あの子に、亡くなった娘、重ねている。それ、あの子にも、貴方の娘にも、失礼」
「好き放題言ってくれるねぇ。……まぁ、過保護なところがあるのは認めるがね。逃げられた嫁さんにも、同じ様な事を言われたよ。優しく守ってあげるだけが愛じゃない、だったかな」
まったく、こいつは苦手だ。人の痛いところを容赦なくえぐってくる。もう少し優しい言い方は出来ないものか。おまけに、煙草の箱を取り出しただけで、殺気向けてくるし。外なんだから、煙草の一本くらい吸わせてくれよ。
「あの子の強さ、信じてやるべき。貴方、思ってるより、あの子、ずっと強い」
「そんな事、分かってるさ。普通の女の子が、自分の命を狙われて平然としてるなんて、なかなか出来るものじゃない。けど、あの子は恐怖から目を背ける事も、泣き喚いて逃げる事もしなかった。自らのまっすぐな信念を杖にして、敢然と立ち向かった」
クラベルの視線に気づかぬふりをして、煙草に火を点ける。咥えた煙草の先、揺れている紫煙をぼんやりと眺めながら歩いた。
「だからこそ守ってあげたい、ってのはお姉さんのわがままかな。何にでもまっすぐ向き合ってしまうあの子の負担を、少しでも減らしてあげたいんだよ。お前だって、あの楽しそうな笑い声が聞けなくなったら嫌だろ?」
城の天井に向かって、煙を吐く。薄汚れ、かつて王城と呼ばれていた面影などまるで残っていないこの天井を見ると、ますますその思いが強くなった。この天井も、かつては目に毒なほどに美しく輝いていた時期もあっただろうに。
おまけに、人の心は天井と違って、一度汚れたり壊れたりすれば、二度と元には戻れない。お姉さんが何よりの証拠だ。
しかし、お姉さんの言い分が気に食わなかったのか。はたまた、煙草を吸ったのがよほど癪に障ったのか、クラベルはより毒を吐いてきた。
「師匠、言ってた通り。貴方、惚れこむと、とことん甘い。おまけに、キザで、見栄っ張り。そして、超のつく、ロマンチスト」
「……本当にお前、いい性格してるよ」
そんなくだらない話をしている内に、例の奴隷市場に辿り着く。城の部屋や廊下を幾つかぶち抜いて出来たその場所の入口を、屈強そうな魔族が守っていた。中の様子を入口から伺おうにも、赤いカーテンで完全に遮られている。まぁいいさ、どのみち入らないと話にならない。
さて、お仕事の時間だ。