第1話
魔族狩りのおっさんの朝は、遅い。というか、もう昼だ。
ホテルのベッドで目が覚めてまず、おっさんは枕の下にある拳銃を確認する。おっさんの十年来の相棒である半自動拳銃は、今日もしっかり枕元にあった。『ツェゲール社製91式拳銃』、長いので一般的には91(ナイン・ワン)と呼ばれるこの拳銃は、人差し指ほどの大きさの弾頭を持つ弾を弾倉に七発、薬室に一発と合計八発の装填が可能な拳銃だ。
小ぎれいな洗面所で歯を磨いている合間、おっさんはこの拳銃と共に駆け抜けた幾多もの修羅場を思い出し、感慨にふける。すぐ思い出話をするのは老人の特徴らしいが、思い出話ほど楽しい事なんてなかなかない。ましてやそれが、自分の武勇伝であればなおさらだ。
もっとも、その思い出に登場するおっさんは、今綺麗に磨かれた洗面所の鏡に映る姿とはまったくの別人だが。
いや、歳をくったとかそういう話じゃない。顔がもっと引き締まっていたとか、目にもっと力があったとか、そういうおっさん特有の悲しい変化ではない。
――そう、今のおっさんはおっさんではなくお姉さんなのだ。具体的にいうと、なかなかのナイスバディで小顔の黒髪ショートヘアという、なんか男装の麗人みたいなお姉さんなのである。
別におっさんは、危ないお薬を使って幻覚が見えている訳ではないぞ。
かつてある高名な『忌名つき』を死闘の末に倒した時、そいつが隠し持っていた薬がひょんな事から地面に落下。辺りにばら撒かれたその薬のせいで、おっさんはお姉さんになってしまったのだ。
なんでもその薬は、かつて魔王の遺志を継ぐ者が魔王城から逃げる際に使われたものらしい。頭の中で思い浮かべている姿になれる薬だったらしく、ようやく死闘が終わって「こんなお姉さんに甘えたいなぁ」と思っていたおっさんにその薬がかかった結果、こうなってしまった。法外な額の懸賞金が懸けられた魔族だったが、まさか魔王軍の元最高幹部だったとは驚きだ。
とにかくそんな訳で、魔族狩りのおっさんは魔族狩りのお姉さんになってしまったのである。
はじめの頃は、とにかく不便だった。身体能力は魔族狩りなんて到底不可能なほど低下していて、拳銃をずっと構えているだけでも、腕がつりそうになってしまう。こんなザマでは魔族と戦う事など、ましてやその中でも屈指の実力をもつ『忌名つき』共と戦える訳がない。まさかこの歳になって、腕立て伏せや走り込みといった基礎的な鍛錬からやり直す事になるとは。
また、おっさんからお姉さんになった事で色々と習慣を変えなくてはいけなくなったのも、結構面倒だった。この姿ではうっかり屁をこいたり、大きな声でくしゃみしたり、一人で居酒屋に入る事が出来ないのだ。何とも面倒極まりない。極力気をつけているが、今でも時折いわゆる『おっさんくさい』行動をしてしまう時がある。仕方がない、中身は四十代のおっさんなのだ。
今も洗面所から返ってくる瞬間、思わず大声で「バックショォォォイ!」とくしゃみをしてしまった事に後々気づく。おまけにこの前はおっさんだった頃の習性で上半身裸のまま部屋をうろつき、自分で呼んだルームサービスの兄ちゃんに思わぬサービスをしてしまった。初心な兄ちゃんは顔を真っ赤にして走り去ってしまい、何ともいえぬ罪悪感をおっさんは抱いたのである。
そして業界で得た知人や昔からの友人に、おっさん本人だと証明するのも本当に骨が折れた。何度民警や憲兵隊にしょっぴかれそうになったか分からない。そしてようやく本人だと理解されても、飲み会の席で笑い者にされたり、見知らぬ同業者からプロポーズされたりと、碌な事にならなかった。元々、碌でもない連中が多い業界だとは思っていたが、何て奴らだ。おっさんはガラスのハートなんだぞ。
しかしこの身体も悪い事ばかりではない。まず、長年培ってきた経験や知識がそのまま残っていた事は幸いだった。そしてそれに見合わぬ肉体的な若さと、おっさんでは逆立ちしても手に入らなかった美貌を手に入れる事が出来たのは僥倖だ。おまけにこの身体、どうやら初めに思い描いた姿が記憶されるらしく、どれだけ筋力を鍛えても外見がムキムキのゴリラ女になる事はなく、少なくともこの身体になってから三年ほど経っているが、まるで老いない。流石に傷ついたり病気になったりする変化は受けるものの、基本的にこの身体は不老で不変の様だった。
なんと都合のいい身体だろうと自分でも思うが、これを作ったのがかつて世界の七割を征服した魔王軍の最高幹部だと考えると、まぁこんなのもありだろう。連中は何でも、世界の半分を一瞬にして消滅できる兵器なんかも作っていたようだし。それに、今のところ副作用らしきものもない。
なんやかんや、おっさんはお姉さんとして上手くやれていた。
……という事にしておいてほしい。