第10話
一呼吸おいて、お姉さんは入口から飛び出した。いつもの様に上体を傾けて前方に体重をかけ、突進する様に残弾一発の散弾銃を持って相手の懐へと走っていく。
無論、残る二つの標的も黙って見ている訳じゃない。短機関銃の銃口がお姉さんの方を捉え、魔術師の方は何やら呪文の詠唱に入っている。
さてと、ここからはティオちゃん次第だ。短機関銃から無数の弾丸が放たれ、お姉さんに向かって襲い掛かってくる。普通なら、この場でお姉さんは蜂の巣になって終わりだ。
しかし、今のお姉さんには通用しない。
お姉さんの手前で弾丸は宙へと舞い上がり、その後木の実か何かの様にぽとぽとと落ちてきた。
「風の盾……? それって、どういう術式なんだい?」
「簡単にいうと、ものすごい風をお姉さんの周りに纏わせる術式です。銃弾とか、火球程度のものなら確実に防ぐ事が出来ますよ! ただ同様に、盾の中から外にも攻撃出来ませんが……」
風の盾、か。こりゃあすごいな。入口を出た時からコートがばたばたとはためき始めていたけど、これほどのものとは思わなかった。ただ強烈なつむじ風の様なものの中心にいるせいで、まともに前が見えないのはまず大きな難点だが、とりあえず前に向かって歩く。
おまけにもうひとつ、この術式には難点があった。それは、術式を行使するティオちゃんの視界にお姉さんを捉えていなければならないという事。実はお姉さんが入口から出ると同時に、店内の窓からティオちゃんがひょこっと顔を出して、お姉さんをずっと注視していたのだ。だからこそ、撃たれる寸前に風の盾を行使する事が出来た訳だが、もし連中が彼女を見つければその時点でティオちゃんにはすぐさま身を隠す様に言いつけてある。
そして、そこから先はお姉さんの仕事だ。
まずは連中がこの手品のタネに気づいていない内に、一歩ずつ距離を詰めていく。
「……で、これが風の盾の欠点です。どうです、使えそうですか?」
「あぁ、十分に使えるよ。それじゃあ、とりあえずそれを全力でお姉さんにかけて欲しい。で、連中の目の前に行ったら、後は任せときなさい」
ティオちゃんを安心させる為にああ言ったはいいけど、これもなかなか分の悪い賭けだな。こちらは視界不良で、標的の場所すらも分からない。此方に向かって未だに短機関銃を何発か撃ってきている辺り、まだ前方にはいるみたいだが。
つまるところ、お姉さんは盾が消えて視界が確保出来た瞬間に、すぐさま標的二つを早撃ちで無力化しないといけないワケだ。
まったく、無茶で無謀な作戦だなぁ。けれど、こういうのは嫌いじゃない。
欲を言えば盾が消える前に何か合図の様なものがほしいが、それはよりティオちゃんを危険に晒す事になる。あの子がそこまで命を懸ける必要は無い。ただ、あの子の性格からして……。
「お姉さん! アナタの前方、左右に二人ずつで――す!」
やっぱり。ありがとう、だけど後でお説教だ。
風の盾が解ける。幕が上がり演者が舞台へ現れる様に、お姉さんの周りにあった旋風が無くなった。
勝負は一瞬。神経をこれまでにないほど研ぎ澄ませる。
お姉さんの視界に映ったのは、ティオちゃんがいたであろう窓に向かって短機関銃を撃つ標的と、こちらに向けて火球を放とうとしている魔術師。どちらを先に撃つかなど、逡巡するはずもない。
散弾を、短機関銃の方へ思いきり撃ち込む。余所見をしていた標的はもろにそれを喰らい、吹っ飛んだ。これで、四つめ。
問題は火球だ。魔術師の手のひらから現れた、お姉さんの上半身ほどの大きさをもつ火球は、まっすぐにお姉さんの方へと向かってくる。これをどうにかしないと、お姉さんは黒焦げになって終わりだ。ここが正念場って事だ。どうするかだって? 答えは簡単。お姉さんは火にめっぽう強い物を一個、持っていただろう?
お姉さんは右手でコートの左肩辺りを掴み、一気に脱ぐ。そして仰向けに地面へ倒れつつ、そのコートで右手を包んで火球の軌道を無理矢理逸らしたのである。我ながら滅茶苦茶な方法だ。顔を焼かれたかと錯覚するほどの熱を一瞬感じた後、その火球は近くにあったビルに直撃した。
そして、地面に叩きつけられた衝撃が背中に伝わった瞬間、お姉さんはすぐさま姿勢を所謂伏せの状態に変えて、今か今かと出番を待っていた91を抜き放つ。
銃声が二発。勝負は決した。
「馬鹿……な。あの様な方法で、回避されるとは……」
「悪いね。このコート、高かった分いい仕事するんだわ。やっぱり高級品は違うね」
片膝と右肩を撃ち抜いてやった五つめの標的は、地面に倒れ伏しながら忌々しげにお姉さんを見てくる。ばさばさとコートを叩いて、焦げ跡一つ無い事に驚きつつ再びコートへ袖を通す。
「だが、貴様とあのエルフの事は既に我が上官を通して、旧魔王軍の面々へと伝えてある。あのエルフは我々の陰謀に感づいたが故に、一度は我が上官によって我々の人形になった……。だがまさか、それをあのラーテルが助けるとは、な」
あぁ、お前さんはその名前を知ってるのか。拳銃を仕舞いつつ、民警が来るまでの暇つぶしにこいつの話を聞いてやる。
「識別符号『ラーテル』……。貴様のその走り方と迷いなく相手の喉元へ喰らいついていく戦い方……、伝え聞いている通りだ。しかし、ラーテルは痩躯で凶暴な目をした、冷酷無比の男と聞いていたが……」
「その符号は嫌いなんだ。そんなに怖がられるほど大したものじゃないよ、お姉さんは」
後、ラーテルって臭い液出すらしいし。なんだ、おっさん時代のお姉さんへの当てつけか。
「そうか……、やはり貴様がラーテルか……。だが、冷酷無比と言われた貴様が、そんな小娘を相棒にするとは、耄碌したな……」
あざ笑うかの様に、この野郎は片方の口角を上げている。ふん、好きなだけ言っとけ。ちょうど民警のサイレンが聞こえ始めたし、ティオちゃんもお姉さんの方へ駆け寄ってきた。お前との退屈な話も終わりだ。
ただ言われっぱなしも癪なので、ひとつだけ訂正しておくとしよう。
にっこりと皮肉っぽい笑みを浮かべて、煙草を咥える。そして、火を点けながら言い放ってやった。
「ばぁか、こちとら現役バリバリの――」
そう、この煙草みたいにお姉さんの心にはもう一度火が灯ったのだから。堂々と、こう宣言してやろう。
「魔族狩りの、お姉さんだよ」