素敵な素敵な担任の山口
「おーぅ、ホームルーム始めっぞー」
ホームルームには少し早い頃、担任が教室に入ってきた。
このクラスの担任の、山口。
この変人の群れを統率するだけあって、中々にコイツもとんでもない野郎だ。
髪を真っ白に染めて、色つき眼鏡に酒焼けした声。
口調も荒く態度も悪い。
はっきり言って、教師ではなくただのヤンキーにしか見えない。
彼は二十代半ばのまだ若い先生なのだが、彼に逆らえる生徒はこの学校に一人もいない。
一人未だに昭和のノリで体罰上等の山口には、恐ろしくて誰も文句を言えないのだ。
以前その事でクレームを出してきたモンペもいたが、応接室で話を聞くと言って二人で中に入ったまま、何時間も出てこなかった。
そして、出て来た時に皆はギョッとした。
モンペは大号泣しながら、山口に何度も謝罪していたのだ。
中で何があったのかはわからない。
だが、山口とはそういう奴なのだ。
そんなやりたい放題の山口だが、態度こそ悪いものの、人として、教師としては信頼出来る人間だという評価を生徒達からは何故か得ており、不思議と学内での人気が高い。
ちなみに俺も、ウザいとは思うが嫌いではない。
「……おい、海馬沢」
「なんスか?」
「てめぇのそれは、何だ?」
「何だとは何だ山口」
「あぁ?」
「……先生」
修司とはビビらせ方の年季が違う。
大声を出した訳じゃないのに、山口超怖ぇ。
ちなみにこいつ、初対面でいきがった修司を喧嘩キック一発で失神させた。
それから修司ですらこいつには逆らわなくなった。
「だから、お前のその人間椅子は何のつもりなんだって話だよ」
「趣味です」
「……………………」
山口が黙り込む。
そう。
俺は今、四つん這いになり小日向の椅子と化していた。
「おい。お前の旦那頭おかしいぞ」
「……すみません。突然窓から椅子を投げ捨てて、俺がお前の椅子だとか意味不明な事を叫び出したので、止める暇も無かったんです」
「そうか、わからん。死ね」
教師が生徒になんつー暴言だ。
だが、そのまま何事も無かったかのように山口は朝のホームルームを始める。
ぶっちゃけこの程度の事、日常茶飯事なのだ。
今更揉めるまでの事でも無い。
一時間目はそのまま山口の数学だった。
そのせいか新しい椅子を用意する事も無く、そのまま小日向の椅子として授業を受ける事になった。
背には柔らかな尻の感触と温かさ、そして程よい重み。
(うん)
安産型だな。
いいケツだ。
「最っ高の環境じゃないか!」
「うるっせぇぞ海馬沢!」
つかおかしいだろうよ数学とか。
お前はどう見ても体育教師だろ。
数学とか絶対ねぇだろ。
そして何気に、この異常な状況で当たり前の様に授業を受け続けている小日向の神経もどうかと思う。
「慣れだよ」
考えている事を読まれた。
愛と付き合いの長さは互いの心を繋げるのだ。
「いやいや何言ってるの。そんなんじゃないから」
「いやいやいや、流石にそこまで詳細に読まれたら怖ぇわ」
洒落んならん。
「なぁ、小日向」
「何?」
「もし良かったら、俺の背中じゃなく顔に座ってくれないか?」
「…………」
「つかもう、あれだな。俺をお前の部屋に置いてくれ。俺、お前専用の肉便器になるわ。あぁ、勘違いすんなよ? 便器って言ってもエロい意味じゃなく、直接的な意味な?」
「……………………」
「良かったな。今度から用足す時、一階に下りなくても済む様になるぞ」
「………………………………」
「でも悩むよなー。風呂場でお前の全身の汚れを舐め取る、自動洗浄人間になるのも悪くないと思うんだよ」
「…………………………………………」
「なぁ、お前はどっちになって欲しい?」
「……………………………………………………」
「おーい小日向ー、おーい」
「……………………ねぇ、私それに返事しなきゃいけないの?」
小日向が目を細めて口をへの字に歪め、俺への愛が溢れた声色で言う。
「おい。私語してんじゃねぇよコラ。……つぅか、なんつー話してんだよお前ら……変態過ぎて流石に引くぞ。そんな歳からどんだけ性癖歪んでんだよ」
山口が心底気持ち悪そうな目で俺を見る。
「もういい。うるせぇから離れろお前ら」
「無理っス」
「何でだよ」
「俺が椅子を止めると小日向の椅子がねぇっス」
「だったらお前の椅子をそいつに使わせて、お前は空気椅子してろ。授業終わるまで」
「……は?」
「だから空気椅子してろよお前。自業自得だろ?」
「いやいや、何言ってんの? ねぇ。授業終わるまで空気椅子って、馬鹿じゃないの? そもそも授業まだ始まったばっか――」
「いいからさっさとやれ。でなきゃぶっ殺す」
「………………っス」
とんでもねぇ事言いやがる。
…………でも怖ぇから仕方なくやる。
(マジざけんじゃねぇぞ白髪ゴリラ。この俺様にこんな事させやがって。ただで済むと思うなよ?)
空気椅子だのなんだの、いつも俺を目の敵にして無茶苦茶な事を言ってきやがる。
(何が空気椅子だこの野郎)
この舐めた態度に対する報復をしなければいけない。
(……そうだ)
このチンピラゴリラ、こんなナリをしていながら何故か料理部の顧問をやっている。
どう見ても脳筋体育会系キャラの癖に。
そして、料理部の顧問をやっているからか、毎日自分で弁当を作ってきている。
(昼休み前に職員室に行って、山口の弁当を食っておこう)
顧問をやるだけあって料理の腕は中々なのだ。
山口ごときの料理が俺の血肉になるなんて、こんな光栄な事は無いだろう。
(ありがたく思えよ、山口)
早速その為の計画を練る。
バレたら殺される。
前に山口の弁当を食った事がバレた時は、俺が罪を押し付けて身代わりに差し出した奴がボコボコにされた上、購買の前日午前中までに注文が必要な、特製デラックス弁当を一週間毎日奢らされていた。
(恐ろしい……)
バレてはいけない。
だが、やらなければいけない。
バレない様に山口の弁当を食う、何か良いアイデアのヒントでも落ちてないかと外を見る。
(ん?)
すると、見知った人物が校舎を出て、校門に向かって歩いていくのが見えた。
(姉さん?)
姉さんがノロノロふらふらと歩いている。
制服を着て手に鞄を持っているので、体育ではないだろう。
体調が悪いとかで早退するのだとしたら心配だ。
メールを送ってみる。
(…………?)
気付かなかったのか?
携帯を取り出す素振りも見せないでそのまま行ってしまう。
(困った……)
心配させるかな、と思ったが、一応桃香ちゃんにもメールしておく。
こういうのはよくある事なのか、それとも今日が特別なのか。
紅梨ちゃんには連絡しない。
彼女がまだ小学生なので変に心配させたくないというのもあるが、そもそも紅梨ちゃんは携帯電話を持っていない。
(あれ? 返信もう来た)
『大丈夫だと思いますよ。心配せずに授業を受けて下さい。』
短い文面。
けれど、それを読んでおかしな事に気付く。
桃香ちゃんのいる中等部は、授業中携帯の電源を切っている筈だ。
なのにこんなにすぐ返信が来るのはおかしいし、そもそも大丈夫だって言い切れる理由がわからない。
「あ? どうした?」
空気椅子を止めて立ち上がった俺に、山口が不思議そうな顔で聞いてくる。
「すみません、俺病気みたいなんで早退します」
授業の道具を片付けると、鞄を手に持つ。
「何だよいきなり。腹痛か? 頭痛か? それとも熱か?」
仮病を疑わずにまず心配をする。
こういう所も山口が生徒達から好かれる理由だ。
なので、俺も堂々と山口に病名を答える。
「シスコンです」
「………………は?」
「シスコンをこじらせたので、失礼します」
そう言って頭を軽く下げると、そのまま教室を出て下駄箱に向かう。
「………………ヤベッ!」
だが、少し歩いたところで、教室の方から山口の殺意のこもった怒号と走る足音が物凄い速度で俺へと接近してくるのが聞こえてきた。
「追いつかれる訳にはいかん!」
俺も全力疾走に切り替える。
例えここで逃げ切れても。
明日俺は、殺されるかもしれない。