清香とお弁当
清香は両親を早くに亡くした為、祖父母と三人で暮らしていた。
父も母もいない清香だったが、寂しさや心細さを感じた事はあまり無かった。
両親がいない分、祖父母が清香に沢山の愛情を注いでくれたからだ。
清香はそんな優しい祖父母の事が、大好きだった。
大好きだったから、小学校の遠足が大嫌いだった。
家からお弁当を持っていき、皆と一緒に食べなければいけない、遠足が。
「酷いねー、清香ちゃんのお婆ちゃん」
「ねー、あんまりだよねー」
清香のお弁当箱を覗きこみながら、友人達が怒った様に言う。
祖母の作ってくれたお弁当の見栄えが、他の若いお母さんが作ったお弁当に比べると、少々地味だったからだ。
「あ……あのね? これ、お婆ちゃんが私の為にって作ってくれた物だから、さ。だから、その……」
「清香ちゃん優しい~」
「怒らないんだね、清香ちゃん」
「清香ちゃんやっぱり大人だー」
「…………うん」
友人達が清香に尊敬の眼差しを向ける。
こんな事を言っているが、彼女達は別に清香の事を馬鹿にしている訳ではない。
それどころかむしろ、清香の事が大好きだ。
だからこそ、怒っているのだ。
皆が集まり、いつも輪の中心となる清香に、よくもこんな不憫なお弁当を持たせてと。
だがその幼い思いやりは思慮が足りておらず、清香を深く傷つけた。
「遠足のお弁当に煮物とか焼き魚とかさ、そんなのうちのお母さんなら絶対入れないもん!」
「そうだよねー。折角の遠足なのに、清香ちゃん本当に可哀想。ご飯もグリーンピースご飯だしさ。いくらお婆ちゃんでも、帰ったらちゃんと言った方が良いよ」
「…………うん」
(止めて! 止めて止めて止めて! そんな事言わないで!)
愛想笑顔を浮かべながら、心の中で泣き叫ぶ。
(お婆ちゃんを悪く言わないで!)
煮物は清香の大好物だからと入れてくれた物。
魚だってただの焼き魚じゃない。
お婆ちゃんが得意な照り焼きだ。
皆が嫌いなグリーンピースご飯も、清香は大好きだった。
可哀想なお弁当なんかじゃない。
この箱の中は全部、全部全部、お婆ちゃんが愛情をこめて清香の大好きだけを詰め込んだ、最高の宝石箱だった。
これは、大好きなお婆ちゃんが清香の為に作ってくれた、世界で一番素敵なお弁当なのだ。
だから、友人達にこんな事を言われて、清香はとても悲しかった。
だがこれは、全て清香が自分で招いてしまった事でもあった。
祖父母は清香を引き取った後、清香が今の様に年老いた保護者のせいで恥をかかぬ様、今の若い文化に寄り添おうとした。
だがそれを、清香が断ったのだ。
お爺ちゃんとお婆ちゃんは、今まで通りでいて欲しいと。
清香は嫌だった。
祖父母が自分の為にちゃらちゃらとした物に触れようとするのが。
自分の為に生き方を変えてほしくなかった。
今日のお弁当もそうだった。
そういう若いお母さん達が作る様な華やかな物を作ろうかと聞かれた時に、いつもの料理を詰めてほしいと自分から言ったのだ。
その理由も先程の話と同じ。
自分の為にわざわざ作り慣れない料理を作るなんて事、してほしくなかった。
お婆ちゃんはお婆ちゃんとして、お爺ちゃんはお爺ちゃんとして、そのままでいて欲しかった。
清香は明るく、心根の強い子だった。
だから祖母は変に気を利かせたりせず、清香に言われた通り要望通りの物を作る事にした。
清香は強い子だから、それでからかわれたりするのを気にする必要はないと思って。
実際、清香はお弁当の中身を馬鹿にされた時の返答を、しっかりと用意してきていた。
その時のシミュレートもバッチリだった。
けれど、これは予想していなかった。
悪意の無い悪口。
まさか清香の為を思って祖母が責められるだなんて。
これはとても簡単な話で、ただ一言、清香が否定すればいいだけの話だったかもしれない。
大好きなお婆ちゃんの作ってくれたお弁当を馬鹿にしないで、と。
だが、清香の年齢で祖母が大好きとは言い辛かった。
小学生の清香には、そういうのが格好悪く思えてしまった。
それに、清香がそんな事を言えば友人達も気にして謝罪してくるだろう。
もしかしたら、そのまま深く落ち込ませて、今日の遠足の楽しさを台無しにしてしまうかもしれない。
そう考えると、清香には何も言えなかった。
「こんなお弁当嫌だよねー」
「そうだ。清香ちゃん、私のお弁当分けてあげるよ」
「あ、私も。皆にも声かけようか」
「いいね」
(止めて止めて止めて止めて止めて!)
全て自業自得。
自分の招いた結果だった。
『あのね、清ちゃん。今日のお弁当、遠足だからお婆ちゃん張り切って、ぜーんぶ清ちゃんの大好きな物にしたからね。お昼、楽しみにしててね』
『おい母さん。今どきの子なんだから……ほら、あれじゃないのか? ハンバーグとか、そういうのを入れてやった方がいいんじゃないのか?』
『これがいいの! 私、お婆ちゃんの作るご飯大好きだから!』
『ほらお父さん、清ちゃんもこう言ってますよ』
『そうなのか? ははは、清の好きなもんは母さんの方が詳しいな』
朝の会話を思いだして、ますます悲しくなる。
お婆ちゃんが張り切って作ってくれたお弁当。
それなのに……。
(違うの、違うの。皆、そんな事言わないで。全部私が作ってもらったの。私が大好きな物を、私の為にお婆ちゃんが作ってくれたの)
大好きなお婆ちゃん。
お婆ちゃんの作ってくれた、食べれば世界一美味しいお弁当。
それを皆に可哀想だと、酷いと言われるのが辛かった。
そして、それを否定する勇気の無い自分の弱さが悲しかった。
「じゃあ私のお弁当の蓋が一番大きいから、ここに皆のおかず分けてもらおうか」
「あはは、何だかお弁当落としちゃった時みたいだね」
「確かにー、あはははは」
楽しそうに言う友人達の笑い声。
(止めて、止めて止めて! 止めて!)
「ねぇ、清香ちゃん」
(ごめんなさい、お婆ちゃんごめんなさい、お婆ちゃんごめんなさいお婆ちゃんごめんなさい……)
「そんなお弁当、もう食べなくていいから捨てちゃいなよ。後で全部食べたって言えばバレないから」
「――っ!?」
その言葉の衝撃で、息が一瞬止まった。
手が冷たくなる。
(…………もう、嫌だよ)
「ねぇねぇ」
そこへ、違うグループで食べていたクラスメイトの誰かが歩いてきて、話しかけてきた。
「お弁当のおかず、交換しない?」
「…………ぇ?」
見ると、そこに居たのは用事があれば喋る程度の、あまり清香とは仲が良くない女の子だった。
「おかずの……交換?」
「うん、そう」
ゾワッと背筋に嫌な物が走る。
それは、残酷な優しさ。
ただおかずを貰うだけだと気を遣うだろうからと、施しを対等な形でしてくれると言うのだ。
(お婆ちゃんの料理を……人にあげる?)
「あ、それなら私も交換するよ!」
「私も私も! 好きなの取っていっていいよ」
その事に気付いた他の子達も、同じ言葉を言い始める。
(嘘でしょ……)
お婆ちゃんが一生懸命作ってくれた料理を、人にあげる。
そのおかずは、どう扱われるのか。
食べずにそっとゴミとされるのか。
それとも無理に口に含み、嫌々ながらに飲み込まれるのか。
(そんなの、嫌だ)
でも、清香にはそれを断る事が出来ない。
自分の弱さに悔しさ、悲しさ、苦しさを感じながらも、どうする事も出来ない。
「ぅん……いい、よ?」
泣き出しそうな心を、抑える。
悪いのは全て自分なのだ。
変な態度をとって周りを心配させてはいけない。
「本当に? ありがとう! じゃあこの椎茸、いただきまーす」
その椎茸は、清香の大好きの一つだった。
そして、皆が大嫌いな物の一つ。
恐らく彼女は、清香が自分と同じく椎茸が嫌いだろうと思い、椎茸を選んでくれたのだ。
何て優しい子なのだろうか。
女の子は椎茸を箸で掴むと、パクッと素早く口に含む。
無駄にすると悪いからと、捨てるのではなく我慢して食べてくれた。
きっととても良い子なのだろう、彼女は。
だが清香は、その光景を虚ろな目で見ていた。
これから何度も繰り返されるだろう光景の、最初の一回を。
「んーーーー! やっぱり美味しい!」
椎茸を食べた女の子が、大きな声で叫んだ。
周りがギョッとした顔で見る。
わざわざ気を遣って言ってくれたのかとも思ったが、表情からそうではないという事がわかる。
まさしく嘘偽りない至福の笑み。
美味しそうに食べる食べ方に才能があるならば、きっと彼女は天才だ。
それ位美味しそうに食べていた。
清香の視線に気付いた女の子が、笑顔で言ってくる。
「私のお婆ちゃんもね、お料理すっごく上手なんだぁ。だからこのお弁当も、絶対に美味しいと思ったの。食べたらやっぱり美味しかった。不思議だよねー。お婆ちゃんの作る料理って、どうしてこんなに美味しいんだろうね」
「あ」
認めてくれた。
お婆ちゃんの作ってくれたお弁当を、美味しいと言ってくれた。
「そのお花、可愛いね」
「……おはな?」
言われて自分のお弁当箱の中を覗きこむ。
(あ)
どうして気付かなかったのだろう。
煮物の人参が、可愛い花の形に切られていた。
それだけじゃない。
決して派手ではないが、それでもそのお弁当箱の中には、お婆ちゃんの丁寧な『可愛さ』が、沢山詰まっていた。
「ぅ…………」
目頭が熱くなる。
「……うぇ」
口が勝手にへの字に曲がり、喉が震えだす。
「うえぇぇええ…………」
そして、遂には我慢出来ず泣き出してしまった。
大きな声を上げて。
「え!? ご、ごめん! 椎茸そんなに好きだった!?」
泣き出した清香の声に気付き、皆が集まってくる。
先生も慌てている。
「ど、どうしたの? 何があったの?」
このままでは、女の子が責められてしまう。
清香は泣きながらも、頑張って言った。
「う、れし、かったんです……」
「嬉しかった?」
「……わたしは……お婆ちゃんが、大、好きだから……。お婆ちゃんのお弁当を、美味しいって言ってもらえて……とても、嬉し、かったんです…………」
*
「今考えるとさ、これ全然いい話でもなんでもないよねー。ただ小日向が食べたい物を食べて、美味しいーって素直に感想言っただけの話だし。勝手に感動して泣いてる私、馬鹿みたい」
携帯を片手に、畳の上でごろごろしながら清香が誰かと話している。
『でも嬉しかったんでしょ?』
電話の相手は渚だった。
「……うん」
少し顔を赤くしながら頷く。
「あーあー、上手く騙されたもんだー」
『そうね』
こっちも似た様なもんよ、と小さく呟くのを聞いて、清香がにひひ、と楽しそうに笑う。
『……ところで、話は変わるんだけど』
「んー?」
『小日向の記憶。あれ、どう思う?』
「あー、あれねー……」
少し考えると、携帯を反対側の耳に当て直して答える。
「前にも言ったけど、どうでもいいんじゃないかなって思う」
『どうでもいい?』
「うん。だって忘れてるのって日景君についてだけだし。それなら多分、すぐ記憶とは関係無く元通りだよ。小日向と、日景君だしね」
『それに関してはそうだけど……。他の記憶も消えるかもしれないって事は?』
「無いんじゃないかな。なんかあれ、そういう感じじゃない気がする」
『そういう感じ?』
「うん。多分だけど、あれは……」




