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世界で一番素敵なお兄ちゃんだ!

「う……そ……」

「いちか……いちか?」


 桃香と紅梨が震えた声で聞くが、返事が返って来ない。


「さ、沙椰さん!?」


 崩れ落ちそうになった沙椰を明日真が支える。


『…………ゃん?』

「え?」


 すると、小さな可愛らしい声が、電話から聞こえてきた。


『……ふんふんふん、ふふふん……』


 そして、アホみたいな鼻歌。


「え、え?」


 リビングに居た全員が柚良を見ると、柚良の手に持っていた携帯は既に通話終了となっている。


『……地を超え天を超え宇宙を超え……時空の概念を超え次元すらも超えた我が究極の美……』


 まさかと電話を見た瞬間、聞こえる嬉しそうな苺香の声。


『お兄ちゃん!』

「嘘!?」

「え!? 何で!?」


 桃香と紅梨が叫ぶと、頭の悪そうな名乗りがリビングに響いた。


『我が名は海馬沢日景! この青き星の産みだした至極の美の体現者であり、奇跡のイケメン! そして! …………世界で一番素敵な、お兄ちゃんだ!』




      *




「ぉ……ごぉ……おお!」


 顔面を押さえ、鼻から流れる血を拭う事も出来ず痛みに呻く健雄。

 手に携帯を握りしめ、余計な事を言おうとした苺香を殴ろうとしたところまでは理解している。

 だがその瞬間、顔面に強い衝撃があり、後方に吹き飛ばされたのだ。

 ゴミ袋にまみれた屈辱的な姿で、健雄が自分を裏拳で殴り飛ばした相手の事を見る。


「ひ…………かげぇ!」

「だーから呼び捨てんなっつってんだろ? 健雄。誰に向かって口利いてんだ」

「おにいちゃん……おにいちゃん!」


 苺香が泣きながら日景の足に縋りつく。


「おにいちゃん! おにいちゃん!」

「遅くなってごめんね、苺香ちゃん。もう大丈夫だよ」


 日景がしゃがみ込み、苺香の体を包み込む様に抱きしめる。


「ごめん……なさいぃ……! きらいって言って……ごめんなさいぃ……!」

「いいんだよ、そんな事。全部わかってるから、お兄ちゃんは。謝らなくていいから。もう大丈夫だから、ね?」

「うわぁぁぁあああ!」


 苺香が泣く、ではなく、泣き叫んだ。


「よしよし……」


 背中をポンポンと優しく叩く。

 さぞ辛かったであろう、苺香の毎日を想像して。

 苺香は先ほど言った。

 健雄に、言う事を聞かないと家族を酷い目に合わせると脅されたと。

 それを聞いて苺香は健雄に従った。

 家族を守ったのだ。

 この小さな体で、たった一人。

 誰にも気付かれぬ様辛さを胸に仕舞い込み、一人、戦っていたのだ。


「こわ、かった、のぉ……、こわ、がった、のぉ! こわ、くて……こわ、くてぇ……」


 抱きしめたか細い体はカタカタと震え、全力でしがみ付いた指は強張り、赤くなっている。


「でもぉ……おね、ぇちゃんも、ママも……みんな、いつも、わらって、て………らから、らからぁ……」

「……うん、うん……」


 日景が小さな勇者の体を強く、強く抱きしめる。

 幸せそうな家族の姿を見て、苺香は守りたいと思ったのだ。

 毎日ニコニコと笑顔の絶えない明るい家庭。

 それは苺香の望んでいた世界でもあり、家族皆が焦がれていた風景でもあった。

 その理想の世界を、守りたかったのだ、苺香は。

 自分の為に、そして家族皆の為に。


「うわぁぁぁあああん!」


 だから言えなかった、誰にも相談できなかった。

 健雄に口止めされていたのもあるだろうが、何より、それを相談する事で家族が辛そうな顔をするのが嫌だった。


「いいんだ、もういいんだ、頑張らなくて……」


 日景が、苺香の耳元に唇を寄せ、告げる。


「これからは、お兄ちゃんが苺香ちゃんの事も、お姉ちゃんの事も、ママの事も。皆の事を守ってあげる。だからもう、何も心配なんてしなくていいんだよ……」


 そう言って優しい声で呼びかける一方。


「お……前……よくも……!」


 健雄が憎しみと怒りに満ちた目で、ゆらりと立ち上がる。


「…………苺香ちゃん、ちょっといいかな?」


 まだ涙の収まらない苺香を日景がゆっくりと離し、携帯音楽プレーヤーのイヤホンを差し出す。


「お兄ちゃん、苺香ちゃんのパパとちょっとお話があるから。これを耳に付けてて」

「おにいちゃん……」

「そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だよ。すぐだから」


 着ていた上着を脱ぐ。


「お話が終わるまで、待っててね」

「おにいちゃん!」


 そう言うと、ふわりと脱いだ上着を苺香に被せ、視界を覆った。


「…………さーて」


 日景が立ち上がり、振り向く。


「よくもまぁふざけた真似してくれたもんだよ……なぁ? 健雄」

「黙れ! ……貴様、どうやってここの場所を知った!」

「どうやってって…………むしろここどこよ?」

「何……?」


 日景が見回すと、そこはマンションの一室だった。

 カーテンで光が遮られ薄暗く、捨てられていないゴミまみれで悪臭がする。

 一人暮らしにしては広すぎる部屋。


「んー……ん? あぁ、そうか。ここ、昔皆が暮らしていた所か」

「わからないで来ていたのか!?」

「ん? おう」

「な、なら一体、どうやってこの場所を……」

「んなもん、可愛い苺香ちゃんの可愛い匂いがする場所に飛んで来たに決まってるだろうが!」

「にお……!? 飛ん…………はぁ!?」


 意味不明なポーズを取りながら日景が叫ぶ。


「この海馬沢日景! 狭く見積もっても一万三、四千キロ圏内ならどんな匂いも嗅ぎ分ける事が出来る! ちなみに小日向は今、トイレから出て来たところだ!」

「はぁ!? ば、馬鹿かお前! 何を訳のわからない事を!」


 ここは日景の言う通り、昔健雄と家族達が六人で暮らしていた部屋だった。

 離婚の際、健雄はこのマンションを一度引き払っていた。

 だがその後、同じマンションの同じ部屋を買い戻した。

 沙椰も明日真もこの部屋を売った事しか知らないので、健雄がまた買い戻してここで一人暮らしているという事を知らない。

 他にこの場所を知っている人物も、その事をわざわざ伝える様な事しないだろう。

 なのに日景はこの場所に来た。

 一体どうやって?

 健雄が警戒する。


「……どちらにしろ、だ。この場所を知った方法はともかく――」

「だから匂いだってば。苺香ちゃんの可愛い幼女臭」

「…………この部屋にはどうやって入った? ドアには鍵がかけてあった筈」


 鍵は新しいのと取り換えてあるので元の鍵では開けられないし、無理やり蹴破ったりすれば健雄だって気付く。


「はははははは! 馬鹿だなお前、聞いてなかったのか?」

「何?」

「言った筈だぞ、俺は!」


 バ、バババ、と意味不明なポーズをとった後。


「我が美しさは、次元を超えると!」

「………………」


 シュピーン、と意味不明な決めポーズをとった。


「空間の距離、物質の存在など我が美しさの前には何の意味も持たない! ここに在りたい! そう思った時点で既に俺はもうそこに存在しているのだ!」

「………………」


 健雄が理解する。

 あぁ、こいつは馬鹿なんだ、と。

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