苺香の涙
『で? お前は何だっつーのよ健雄』
柚良が携帯を健雄と繋がっている電話に近付ける。
『…………何?』
聞こえたらしい。
呼び捨てで呼ばれた健雄が、不愉快そうに言う。
『年上が相手なのに呼び捨てはよくないなぁ…………日景』
『あぁ!? 何呼び捨ててんだコラ! 分をわきまえろ!』
『!?』
『……だっせぇ粘着フラれ男が』
『――んな!?』
健雄の声色が、変わる。
『ね、ねんちゃ……貴様!』
『図星突かれたからってなーにキレてんだよ健雄。沸点低過ぎじゃね? だってそうだろ? 元々歯牙にもかけないノー眼中っぷりだったのを、必死に縋り付いて今の状況なんだからよ』
『な、……お前ぇ!』
『あーやめてやめてマジ勘弁して下さい。フラれ男の負け犬ボイスとか哀れ過ぎてマジ聞きたくない。負け犬の遠吠え聞いたら負け犬オーラがこっちにまでうつりそう。あー、汚い汚い、負け犬臭い野良犬臭い。やめてやめてー』
『ふ、ふ、ふざけるのもいい加減にしろぉ!』
『ふざけた事してんのはどっちだって話だよ、クズ野郎』
日景の声から、からかいのトーンが消え声が低くなる。
『お前、俺の家族に手を出してただで済むと思ってんのか? お前の目的がどうであれ、お前は俺に喧嘩を売ったんだ。……覚悟は出来てるんだろうな』
『はぁ? ……ぷっ、ははははは! 何が覚悟だ! お前みたいなガキに何が出来るって言うんだ!』
『俺は、俺の大切な物、大切な人達に手を出した奴を、絶対に許さない』
『はっ、許さないからなんだって――』
『 お 前 の ケ ツ を 掘 る 』
『!?』
健雄の声が止まる。
『今この瞬間から、三百六十五日、二十四時間。俺はお前のケツを狙い続ける。人参で、ゴーヤで、大根で。貴様のケツを、ひたすら掘り抜く』
『は、はぁ? 馬鹿かお前は。何を言って……』
『冗談だと思うなら俺について調べてみるがいい。俺に逆らって尻穴ガバゆる垂れ流しの人生を送る羽目になった奴が何人居るのかをな』
『は? いや……おい…………え?』
健雄がドン引く。
勿論、リビングにいる皆もそれを聞いてドン引いている。
『一度や二度じゃ済まないぞ。何度も、何度も。お前の人生を追い続け、隙あらば事あるごとに、お前のケツを掘る。ひたすら掘る。掘って掘って堀り進む』
『…………』
『警察に言いたきゃ言えば良い。けどな? 忘れるなよ? お前、言っただろう? 俺の事をガキだって』
『………………』
『ガキはな? ………………檻に入れても、すぐにそこから出て来るんだぜ?』
『っ!?』
『警察に保護して貰おうとしても無駄だ。警察の保護がどれだけの期間続くと思う? 一日? 一週間? 一ヶ月? ……残念ながら、俺の追跡は『死ぬまで』だ。お前が死ぬまで、延々ケツを追いかけ続けてやる』
健雄の声に怯えが混じる。
『イカレて……やがる……』
『そりゃそうだ、イカレもするさ』
一転、優しい声で日景が言う。
『愛しい家族を守る為なんだ。当然だろ?』
……だが。
「………………」
「や、家族とか無しで。本当、勘弁して下さい。ありえないです」
「こんな変態家族に要らない」
『あっれぇ!?』
柚良は無言、桃香紅梨からは拒絶が入る。
『な、何で拒否るの!?』
「当然ですよ。ありえないですよ」
「気持ち悪い。本当ありえないね。変態鬼畜の極みだね」
『おい健雄ふざけんな! お前のせいで皆から嫌われかけてんぞ俺!』
『俺のせいにするな変態め!』
何だか空気がおかしくなってきた。
けれどそのおかげで、桃香と紅梨から恐怖と絶望感が消えていた。
『ま、まぁいい……』
日景が気持ちを切り替え、苺香に呼びかける。
『苺香ちゃん、聞こえる?』
『………………』
無言の苺香に、健雄がボソッと小声で何かを言った。
『ぉ、おにいちゃんきらい!』
苺香が叫ぶ。
健雄が言わせたのは明らかだった。
『お兄ちゃんは大好きだよ。苺香ちゃんの事』
それがわかっている日景は動じない。
いや、仮にこの言葉が本音だったとしても日景という少年には関係が無いのだろう。
『き、きらい……おにいちゃん、きらい!』
『お兄ちゃんは大好きだよ、苺香ちゃんの事。大好きだ』
『きらい!』
『好きだよ、苺香ちゃん。苺香ちゃんにどれだけ何を言われても、俺が苺香ちゃんを好きな事は、絶対に、永久に、変わらない』
『…………きらい、きらい……』
『大好きだ、苺香ちゃん。大好きだよ』
『…………きら……い』
『あぁ、そうそう。今、前に皆で行った喫茶店にバイトで来てるんだけどさ。帰りにお土産にケーキ、タダで貰って帰るよ。ご飯の後にでも皆で食べよう。美味しかったでしょ? 前に食べた時』
『………………きらい』
『後さ、今日はバイト入れちゃったから無理だけど、明日は何も予定が無いから一緒に遊べるよ。何して遊ぼうか』
『………………きらぃ』
『おうちで遊んでも良いし、どこかに遊びに行くのも良いね。苺香ちゃんは何がしたい?』
『………………』
『苺香ちゃん?』
苺香が黙り込む。
『苺香ちゃん……』
日景が、優しく呼びかける。
『……おうちに、帰ろう?』
その瞬間。
苺香の感情の防壁が、決壊した。
『おう、ちに……』
涙と共に、彼女の本音が溢れ出す。
『おうちにかえりたいよぉ……おにいちゃぁあん…………!』
『おい、苺香!』
健雄が叫ぶ。
『かえ、りたい、かえりたいよぉ……』
『苺香! お前!』
『ぱ、パパ、が、いうのぉ…………いちかが、いうこときかないと……おねえ、ちゃんとママに……ひど、ひどいこと、するってぇ……』
『黙れ! 黙れ苺香!』
電話越しにゴトゴトと物音がする。
「苺香!」「苺香ちゃん!」
それを聞いて桃香と沙椰が叫ぶ。
『おにいちゃん、うそ、ついてごめんなさい……ごめんなさいぃぃ……』
電話を取り上げられそうになっているらしい。
声が遠くなる。
『だいきらいじゃないの、きらいじゃないの。おにいちゃん、だいす――』
『黙れって言ってるだろうがこのクソガキィィイイ!』
ガゴンッ!
「苺香ちゃん!」
健雄の大声と同時、鈍い音がして、通話こそ切れていないものの、誰の声も聞こえなくなった。




