有沢健雄
「さて……」
何とか学校から脱出する事には成功したが、ここから俺はどこに行こうか。
まずは姉さんを追おうか。
それとも桃香ちゃんの所に行こうか。
「スン、スン……」
そこで、匂いを嗅いでみる。
「ん?」
おかしい。
どういう事だ?
姉妹が四人一緒に居る上に、車で移動している。
(こんな時間に? どうして?)
直接会う前に一度、姉さんと桃香ちゃんにメールではなく電話をしてみる。
何か俺には言い辛い用事があっただけという可能性もある。
だが、残念ながら二人共留守番電話になっていて、出てはくれなかった。
「なら仕方ないな」
車の後を追う様に歩き出す。
匂いを追えば行き先はわかる。
先回りする事も出来るが、そんな事をして事故でも起こされたら大変だ。
そうしてしばらく歩くと匂いが移動を止めた。
(自宅?)
帰宅したのか、皆。
(でも、どうして?)
心配になりながら、家まで移動する。
家の前まで来ると、家の前に見知らぬ高級車が一台停まっていた。
残り香がある。
皆が乗っていたのはこの車だ。
誰が運転して来たんだ?
不審に思いながら家のドアに手をかけると、鍵が開いたままだった。
不用心な。
ドアを開けて玄関に入ると四姉妹全員分の靴があり、それに加えて、しっかりと磨かれた高級そうな見知らぬ男性用の革靴がある。
この革靴の持ち主が車を運転してきた奴だろう。
(男か。なら殺すか)
そして、両親の靴は無い。
まだ帰ってきていないのだ。
この様子だと、もしかしたら今日の事を両親も知らない可能性がある。
……何やら凄くきな臭い。
(どっちにしろ、いつまでもここでうだうだ考えていても仕方ない)
わざと大きな音を立てながらリビングに入ってみる。
「…………え? 兄さん!?」
「嘘、どうして……?」
リビングに入ると、四姉妹がソファーに座っていて俺の姿を見て驚くと共に、狼狽えている。
(……この人は?)
そして、姉妹とテーブルを挟んで向かい側のソファーに一人、見た事の無い男性が座っていた。
玄関にあった靴同様、高級そうなスーツを着ている。
「おや?」
男性が俺の姿を見て、少し驚いた表情を見せた後ニコリと微笑む。
「すまないね、お邪魔させてもらっているよ」
そう言ってソファーから立ち上がると、俺に向かって手を差し出しながら自己紹介をした。
「初めまして。俺の名前は有沢健雄。君は、海馬沢日景君だね? 娘達が世話になっている」
(有沢……健雄?)
有沢というのは姉妹の旧姓。
つまりこの男は、彼女達と血の繋がった、実の父親という事だ。
「ええ、初めまして有沢さん。海馬沢日景です」
なら無下に扱う訳にもいかないな。
俺もニコリと笑顔で返して握手をする。
「それで、今日はどの様なご用件で?」
「あぁ、今日は――」
「と、ちょっと待って下さいね」
有沢さんの言葉を遮って、テーブルの上を見る。
お茶が出ているのだが、湯呑が一つしかない。
有沢さんの分だけだ。
「有沢さんは座っていて下さい。お茶、淹れてきますので」
「あ、あぁ……そうかい? すまないね」
そう言ってキッチンに入ると、五人分のお茶を用意してリビングに戻った。
戻ると姉妹四人の前に湯気の立つ湯呑を置き、苺香ちゃんの分には氷を一つ落としておく。
そして自分の分を手に持つと、有沢さんの隣に座った。
「ぇ……。……ん?」
「? どうかしましたか?」
「いや…………うん」
すぐ隣、お互いの体温が伝わりそうな距離に座られて、有沢さんが表情を変える。
俺の様なイケメンが間近に来て、照れているんだろう。
「………………」
有沢さんが冷めた湯呑を手に取り、湯気の立つ姉妹の湯呑を見た後、俺の湯呑や顔をチラチラと見る。
(何だ? そんなに俺と間接キスがしたいのか?)
俺の湯呑を物欲しそうな顔で見るな。
俺のイケメンっぷりに興奮するのはわかるが、娘達の前なんだから発情するのも程々にしてほしい。
(それにしても……)
気になるな、皆の表情が。
実の父親に会えたという割には、どうにも暗い。
落ち着きが無いというか、これは……。
(怯えている?)
何か事情があるのかもしれない。
けど、それを今この場で聞く訳にもいかない。
疑問は一旦置いて、有沢さんに話しかける。
「有沢さんとお会いするのは初めてですが、お話は伺ってますよ。出身が俺の両親と同じで、北海道なんですよね?」
「あ、あぁ……そうだよ。よく知ってるね」
何かを諦めた様な顔をすると、さりげなく俺から体を遠ざけながら有沢さんが答える。
「それは、明日真君に聞いたのかな? それとも清四郎君から?」
「清四郎からです」
「清四郎君か……」
すると紅梨ちゃんが、不思議そうな顔で聞いてくる。
「清四郎?」
「あぁ、清四郎っていうのは……」
それに答えてあげようとすると、紅梨ちゃんが突然ビクッと震えて身を竦める。
どういう事かと彼女の視線の先を見ると、有沢さんがジッと紅梨ちゃんを見ていた。
「ご、ごめんなさい……」
青い顔で謝る紅梨ちゃん。
「………………」
何がごめんなさいなんだ?
会話に口を挟んでごめんなさいという事か?
(それ位の事で怒る訳が無いのに……)
俺の視線に気付いたのか、有沢さんが苦笑しながらわざとらしく首を竦めた。
そして、言った。
「清四郎というのは、日景君の育ての親の名前だよ」
「な……!?」
有沢さんの言った話は事実だ。
……だが、この話はまだ姉妹にしていない。
「育ての……親?」
姉妹を見ると、紅梨ちゃんが驚いた表情をしている。
桃香ちゃんと姉さんは同じ学校だし既に知っていたという事か、表情にそこまで大きな変化は見られない。
「おや? もしかしてこの話は皆に隠していたのかな? それはすまない事をしたね」
「…………いえ、たまたま言う機会が無かっただけで、別に隠していた訳ではありません。構いませんよ」
本当に、隠していた訳ではない。
近々言うつもりだった。
…………けれど、それを俺から直接聞くのと第三者から聞かされるのでは、意味合いが全然変わってくる。
(やってくれる……)
初対面の時点で何となく気付いてはいたが、これで確信出来た。
こいつは、敵だ。
うっかり言ってしまっただけなら、本当の事だし別に構わない。
けど、こいつは違う。
眉尻を下げてすまなそうな表情を作っているつもりなのだろうが、内心大笑いしているのが見え見えだ。
クズめ。
(この話は一旦後だ)
どういう事か説明して欲しそうな紅梨ちゃんの視線を、今は無視する。
ここでごちゃごちゃとした流れの中説明するのは良くない。
後でちゃんと落ち着いてからだ。
俺を動揺させる、俺と姉妹との仲に不信感を抱かせる、本題を逸らす。
これらをたった一言で一度に済ませた。
狙ってやったのだとしたらこの男、中々の曲者だ。
「それはそうと……です」
だからここは、多少強引にでも本題に戻す。
「お茶を持ってくる前に聞こうとした事ですけど」
「何だい?」
返答はもう考えてあるのか、余裕な顔だ。
「本日は、どの様なご用件で我が家にいらっしゃったんですか?」
「はは。いや、すまないね。突然こんな事をすれば、不審に思うのも当然だ……」
「はい、不審に思いました。だから聞いているんです」
彼同様、微笑みながら敵意を返す。
「………………」
一瞬、場が凍った。
「……は、ははは……」
有沢さん……いや。
健雄が愛想笑いで余裕を取り戻そうとする。
どうやらこの男、他人に喧嘩を売っておいて、実際に買われるとは思っていなかった様だ。
「娘達が新しい家庭でちゃんと元気にやっているか心配になってね。それで――」
「理由はどうあれ、学校や保育園を休ませて、両親にも黙ってコソコソと会うなんて、ちょっと非常識じゃありませんかね?」
「………………」
相手の言葉を遮り、微笑みながら伝える。
「…………いや、うん。そうだね。確かに君の言う通りだ」
この程度では健雄の笑みはまだ崩れない様だ。
「本来ならきちんと事前にアポイントメントをとって、休日にでも会うべきなんだろうがね……」
するとここで、健雄が挑発的な笑みで俺に言い返してきた。
「けれど、こうして事前準備無しに会わないと、今の家で本当に幸せに暮らせているかどうかの本音を、娘達から聞きだせないだろう?」
「へぇ…………。それはつまり、面会日を事前に決めると、俺や明日真さんが彼女達に余計な事は言うなと口止めするんじゃないかと心配した、という事ですか?」
「………………」
健雄は笑顔のままで何も言わない。
(おっもしれーおっさんだな、おい)
折角だから、挑発に乗ってやろう。
「むしろこちらとしては、あなたの方こそ裏で彼女達とコソコソ会って、何か悪い事を吹き込むつもりなのではないかと心配なんですけどね」
「悪い事を吹き込むだって? ……はははは! 冗談はよしてくれ。何を言っているんだい君は? 俺がどうしてそんな事をしなければいけないんだ? 俺は妻とも娘達とも、ちゃんと良い関係を築いてきていたんだ。ほら、彼女達を見てみるがいい。衣、食、住。全てにおいて何不自由無く育ってきた事は、この姿を見ればわかるだろう? そんな俺が、今になってどうしてそんな妙な事をしなければいけないんだ? なぁ、お前達もそう思うだろう?」
健雄が姉妹に同意を求める。
『………………』
けれど、それに姉妹が返事をする前に俺が追い打ちをかけた。
「だとすると、どうして娘さん達はあなたの元に一人も残らなかったんですかね?」
「はははは。君はやはり子供だね。わかっていない」
「と言うと?」
「本当は俺だって娘達と暮らしたかったさ。けれど、俺は仕事が忙しいんだ。娘達を引き取っても面倒をあまり見てあげられない。それなら娘達だって、妻の元で暮らした方が良いに決まっている」
「なるほど…………。けど、それにしたってやっぱりおかしいですよ」
「何がだい?」
「だってそうでしょ? 本当に何も問題が無かったのなら、そもそも離婚する必要自体が無かった訳で、」
「だから君は子供だというんだよ。夫婦が別れる理由というのはそんなに単純じゃ――」
「奥さんにも子供達にも見限られて見捨てられた無様な捨て犬のあなたが、今更何を強がっているんですか?」
「なっ……!」
「それと、さっきからずっと気になってたんですけど、沙椰さんはもうあなたの妻じゃないです。『元』妻です。その妻って呼び方、止めて下さい。彼女達姉妹にとっては今も昔も沙椰さんが『母親』な事に変わりは無いですけど、沙椰さんとあなたの関係はもう、『元』夫婦であり、今は『ただの他人』なんですよ。という訳で、他人のあなたが今更夫面しないで下さい。今沙椰さんの夫であり、沙椰さんの事を妻と呼んでいいのは、うちの明日真さんだけなので」
「――――っ!」
健雄が顔を真っ赤にして立ち上がる。
「ひっ!」「待っ――」
姉妹の顔色が真っ青になり、怯え、焦り出す。
「貴さっ――だぁぁああああ!」
そして、健雄がしゃがみ込む。
「落ち着いて下さい。……もう、暴力とか駄目ですよ? 小さい子だって居るんですから」
「き、貴様ぁ…………!」
健雄が顔を赤くして、憎々しげに俺を睨む。
「大袈裟ですよ。ちんこつねっただけじゃないですか。そん位の事でそんな怒んないで下さいよ」
「ち、ちん……!」
「ごめんね。ちんこ、痛かった?」
「んぷふぅ!」
紅梨ちゃんが吹き出す。
流石にここで笑うのはマズいと思ったのか、口元を押さえて顔を逸らすが、堪えきれていない。
肩がぷるぷると震えている。
大人びていても、流石は現役小学生。
男子だけじゃなく女子でも、ちんこネタ、下ネタに弱いのか。
まぁ彼女の場合、小学生関係無く、ネットをよく見ているせいでそっち系の悪影響を受けているからなのかもしれないが。
「あ、紅梨お前……!」
健雄の怒りに満ちた声と視線に、紅梨ちゃんが笑いを引っ込めてビクッと怯える。
「――痛っっっっつぁぁああ!」
「だから、一々こえー顔してビビらせんなやおっさん。怖がってんだろうが」
「お、おっさ……! き、きさ、貴様、本当に!」
「だーから、んな怒んなっつってんじゃん、おっさん。ちんこにデコピンしただけだろうが。ちんこデコピン、そんなに痛かったのか?」
「きさ――」
「チコピン、痛かった?」
「んくふぅ!」
紅梨ちゃんがまたも吹き出す。
「い、いい加減にしろよ貴様!」
脳の血管が切れそうなほど激昂して健雄が立ち上がり、俺に殴りかかろうとする。
「あれあれ? 殴っちゃうの? ねぇ、殴っちゃうの? 俺の事。大の大人が高校生、殴っちゃうの? 呼んじゃうよ? 警察、呼んじゃうよ俺? 携帯電話であんたに前科、付けちゃうよ?」
「も、元はといえば、お前が!」
「ならそう言う? 警察にそう言っちゃう? 『ちんこつねられてちんこにデコピンされたので殴りました。正当防衛です』って。警察相手にちんこチコピンって真面目な顔して言っちゃうの?」
「ぶっ、は!」
紅梨ちゃんが遂に耐えきれなくなって、笑い出した。
「あは、あはははははははは!」
「紅梨ぃ!」
健雄が叫んでも、もう止まらない。
「あは、あははは……う、ウザい……何この人、すんごいウザい……あは、あはははは!」
「ぐぅ……!」
健雄が唸る。
「ほれ~、殴ってみぃ~、完全敗北健カスく~ん、ほれほれ~」
自分の右頬をぺちぺち叩いて挑発する。
「ふ、ふ、……不愉快だ!」
あらら、案外我慢強い。
殴るの堪えたよ。
健雄が八つ当たりにバスン、とソファーを一蹴りしてリビングを出ていく。
「お前達、覚えておけよ!」
「ちんこの感触を?」
「違う!」
「あはははははははは!」
これ以上は何を言っても無駄だと、赤を通り越して黒ずみ始める程の怒りの表情で俺を睨むが、それ以上何も言わずに、それでも苛立ちを表す様わざと乱暴に大きい音を立てながら家を出ていく。
(小さい子には少々悪影響な対応だったけど……ま、こんなもんだろ)
姉妹を見ると、ズズ、と我関せずな顔でお茶を啜る姉さん。
驚いた顔でポカンとしている桃香ちゃん。
笑い過ぎたせいか目尻に浮かんだ涙を拭う紅梨ちゃん。
会話の内容は理解出来ていないだろうが、とりあえずホッとした表情の苺香ちゃん。
皆、最初にリビングで見た時の様な暗い顔はしていなかった。
「さて……」
これでとりあえずは一安心、と姉妹に笑顔で告げる。
「ごたごたしてて忘れてたけど」
『?』
「皆、ただいま」




