第三話『策死』
七月二十五日。
あれから待機していたヘリコプターで我が家に帰宅し、玄関を開けた辺りから記憶が無い。きっと家に着いた途端、集中力やら緊張感が切れて死んだように眠ったのだろう。
朝日がカーテンの隙間から部屋に差し込む。
まるで昨日のことが夢かと思うくらい平凡な朝。
本当に夢だったとか、無いよな?
それより、もうすぐ八時になってしまう。毎日の日課である朝食作りをしなければ。
僕は上半身を起こし、ベッドから出ようと起き上がろうと、ベッドの縁に手をかけようとしたその時、誰かが僕の真横で寝ていることに今更気付く。誰って言うか殺だった。
「ん、もう朝か」
殺は眠たそうに目を擦り、近くに置いてある目覚まし時計を見る。
「なんだ、まだ8時前じゃないか」
そう言うと再び布団に潜り込む。
「いやいやいや、殺さん。起きなさい朝ですよ。そしてここは僕の部屋の僕のベッドだ。即刻早急に出て行きたまえ。早く」
僕は毛布を剥ぎ取る。
すると殺は再び起き上がる。僕はそこで失敗したと、毛布を剥ぎ取るべきではなかったと思った。
こいつ何も着てねぇ。全裸だ。
「もう少し横になっていたほうがいいと思うよ。一昨日昨日と怒涛だったから、身体と神経が思った以上に疲弊している。だから今日だけはゆっくり眠ることを推奨します」
「お前はまず何か着ろ」
「家にいるときくらいは開放的な姿でいさせてくれよ」
「ここはお前の家じゃない。それに、仮にも男性である僕の前で、女性である殺が裸体を晒すということを、恥ずかしいことだと思ってくれ。つまりは羞恥心を持て」
「うーん。漆を男性だと認識したことなんて一度も無いから無理だな」
眠そうな顔で言われるとむかつくな。
それにしても。
「お前の身体、あまり傷とか無いな」
鬼神一族は戦闘集団だ。一族の誰もが休むこともせず、際限も無く、命が果てるその瞬間まで殺し合いをしている。そんな一族の人間は生傷が絶えないと思っていたが、どうやら間違っていたようだ。
「そんなに見つめられると私、恥ずかしいです」
いじらしい表情を作る殺。その上目遣いは結構な破壊力を有していた。実際相手が殺じゃなかったら、僕は恥ずかしさで頭がショートしていただろう。
「僕もお前を女と認識したことが無いから、お前には興奮しないよ」
「知ってる」
可憐な表情から一変、いつものつまらなそうな表情になる。
そして殺は毛布を被り、再び夢の世界に出発しようとしている。
「待て殺。いくら僕達が互いを意識していなくても、第三者はそうは思ってくれないんじゃないか」
そしてこんな状態の僕達を見たら、誰だってそういう関係だと疑うだろう。
それは僕にとっても殺にとっても心外だ。
「別に。そう思いたいならそう思わせておけばいいじゃないか」
こいつこの状況楽しんでやがるな。
「分かった。僕がベッドから降りれば全てが解決する。よし完璧だ」
そう思い、ゆっくりと殺の身体に触れないようにベッドから降りようと動いた。
「漆君。朝だよー。早く私の朝ごはん作ってー」
「お兄ちゃん。早くご飯作って。今日は折角早起きしてお姉ちゃんと食べれるんだからいつもより豪華にしてよね」
僕はちょうど殺の真上で固まってしまった。
この体勢では、僕が殺を襲おうとしているみたいじゃないか。
「まぁ」
「うわ」
案の定姉は笑顔で楽しそうな表情で、妹は侮蔑の表情をしていた。
「漆君は朝から元気ねぇ」
「いや、そういうわけじゃ」
「朝ごはんはお姉ちゃんが作るから、漆君は、その、頑張ってね」
「だから、そういうわけじゃ」
「気持ち悪い」
朝から妹に気持ち悪いと言われる日が来てしまうとは。
二人は僕の話を聞かずにそのまま部屋を出て行く。
「君の言った通り、勘違いされたね」
「確信犯だろ」
僕は殺を睨む。けれど殺は気にすることもなくそのまま立ち上がる。だから何か服を着ろ。
「朝から楽しませてもらったよ、漆。さてと、シャワーでも浴びてこようかな」
両手を挙げて伸びをする。僕は全裸である殺の身体をなるべく視界に入れないように窓の外を眺めながら話しかける。
「さっさと服を着ろ」
「今からシャワーを浴びるのに、どうして服を着なくちゃいけないの?」
「だったらさっさと浴びて来い」
「言われなくても行くさ」
ふらふらとした足取りで部屋を出て行く殺。本当に何がしたかったのか謎だったな。
僕もベッドから離れ、壁にかけてあるカレンダーのある日を眺める。
今から約二週間後。八月九日。それが今の平穏な日々のタイムリミット。
「さて、と」
今このことについて考えるのはやめておこう。一人でこういうことを考えていると嫌な未来しか想像できない。僕が、死ぬ想像しか。
「今考えるべきは、どうやって誤解を解くかだな」
僕は嘆息しながら部屋を出る。
「とりあえず、殺さんの悪戯だってことは分かった。だから早く朝ごはん作れ」
そんなことどうでもいいと言わんばかりの勢いで朝食を要求する唯香。
僕はいつからこの家の食事係になったのだろうか。最初は当番制だったはずなのに。何時の間にか三食全て僕が作っている。何かがおかしい。
「ごめんねぇ。お姉ちゃんがお料理上手だったら代わってあげるのに」
僕は終始無言で料理をする。この人達の話に乗るといつの間にか賭け事とか殴り合いとかが始まるからいちいち構っていたら料理が一生完成しないからだ。
「とうとう漆君も卒業かー」
何から卒業したんだ、僕は。
「いやいやお姉ちゃん。お兄ちゃんは自分から襲う度胸もなければ、女性から言い寄られても緊張して何も出来ない残念仕様だから、きっとまだだよ」
誰が残念仕様だ、誰が。
「でも、漆君は意外とやるときはやる子よ」
「それでもへたれには変わりない」
「うーん。こういうのは経験を積むしかないのかしらねぇ」
「その経験が積めないから詰んでるんだよ、お兄ちゃんは」
「漆君は意外とモテそうなのに」
「この根暗がモテたら全世界の男性がモテることになっちゃうよ、お姉ちゃん」
我慢だ僕。ここはじっと我慢するのだ。ここで怒ってしまっては、全てが台無しになってしまう。だから今は我慢だ。僕!
怒りを抑えつつ、僕は完成した朝食を机に並べて席に着く。
味噌汁にサラダ、焼き魚に海苔など、普段とあまり変わりない和食メニュー。
「今日は和食なんだね。いつもはめんどくさがってサンドイッチとか簡単なものなのに」
「なんとなくだよ。深い意味は無い」
あっても言わない。
「何か話があるの?」
流石に姉である愛海にはメニューの意図を悟られてしまった。
「どういうこと? お姉ちゃん」
「大事な話があるときはいつも食べるのに時間がかかるものを作っているのよ、漆君は」
「なんで?」
「食事をしながら相談事などを話すと、許可をもらえる確率が高まるからよ」
伊達に僕の姉をしていないということか。まぁ、そこまでばれているのならこちらも話が切り出しやすい。
「姉さんの言う通り。僕は今から唯香と姉さんに提案をしなければいけない」
僕は少しだけかしこまる。
ここで許可を得られなければ、二週間後僕は自殺しに行くようなものだから、いかに僕が本気か示さなくてはいけない。
「どうしたの? 新しいゲームが欲しいの?」
「どこの小学生だ、僕は」
「お兄ちゃん、そのゲーム買ったら私にもやらせてね」
「だからゲームじゃない」
「まさかゲーム本体が欲しいの? あれ高いのよね」
「お願いだからゲームから離れてくれ」
「ハード買ってもソフト無いと出来ないぞ」
「そんなこと分かってるわ! しかもゲームじゃないから! もっと別の、もっと深刻な相談だから!」
そこでようやく茶番をやめて、愛海が訊いてくる。
「もしかして、二週間後のこと?」
その問いに、唯香も真面目な顔つきになる。
「そう。僕が二週間後の決戦に参加するのは確定してます。けれど、今の僕の実力では死にに行くようなものです。そこで僕は考えました」
考えたというより、思いついた。
僕が無事に生きて帰ってくる為の、苦肉の策。
「僕は、今から死んできます」
今回必要なのかこれ。って自分で思ってしまった回です。
けれど、こういうグダグダな回も、まぁあっていいかなって思ってます。
決戦まではあと二、三回こういった回が続く予定ですが、今回のようなグダグダな展開はもう無いと思いますので、よろしくお願いします。