第二十二話「憧れと恐れ」
何度願っただろうか。何度思いを馳せただろうか。
こうありたいという私の目指した姿が、今まさに私を殺そうとしている。
何度も殺して。なんどでもやり直してきた。
その感情を、その考えを。でもどうしても捨て切れなかった。私が人間側でい続けるためには、それは必要不可欠だったから。だから、単純な暴力に身を委ねることは出来なかった。
けれど、それをいざ目の前にしてしまうと、そんなささいなことがどうでもよくなってしまいそうになる。
「…………どうして」
「それはこちらのセリフなのですが。どうしてあなたが因子側についているのですか?」
亜麻咲唯香。赤の因子の保持者であり、あの漆の妹だ。”天城”が現れたあの決戦のときから会っていなかったから、この数年にこの子がどんな目にあってきて、どんな思いを抱いて今に至ったのか分からないが、しかし私の知っている亜麻咲唯香という人間は珍しいほど因子と上手く共存していた気がする。それに性格上そう簡単に因子に支配されることはないと思っていた。
「でも実際こうして変わり果てた姿で現れたのですから、私のこの考えは希望的観測だったのでしょう」
「私は……殺すしかないの。殺すから…………存在できる」
感情の失せた声と表情。きっとこれは思い悩んで苦しみ嘆いて自らを追い詰めた成れの果てなのだろう。一歩間違えたら私や漆もこうなっていたかもしれない。狂気と暴力が支配する道と、信念と決意で茨道を歩み続ける私たち。それは一体どちらが正しくて、どちらがより理想に近いのだろう。
「正しさなんてものは……この世にはない。世界は……テストのように模範解答なんて……ないのだから。だから私たちは……自身を正当化する。そうしなければ…………生きていけないから。自身の価値を……見出せないから」
「そうね。それに関しては同意するわ。けれどあなたの選んだ道は間違いだわ。この世界に正しさはないけれど間違いは存在するのよ。間違いだらけだからそれを少しでも正しいものにしていこうとするの。だから人間には価値がある」
「あなたに……私の選んだ生き方を……否定されたくない」
「いや否定し続けてあげる。だから、おとなしくここで倒されてくださいな!」
不意打ち気味に攻撃したが、難なく受け止められてしまう。
どんな攻撃をしても、どれだけ手数を増やしても、何食わぬ顔で回避し続ける唯香。こんな戦闘はいつ以来だろう。まるで勝てる未来が想像できない相手はこれまでほとんどいなかったのに、この子にはどうしたって勝てる気がしない。
圧倒的暴力性。
そしてその可憐な立ち姿。
これはありえたかもしれない私の姿。
でも、そうはならなかった。
私は私を捨てることが出来なかった。私であることを認めることが出来た。だからこの子を否定する。私は私のままでいられたのだから、この子だって何かを失わずに済んだかもしれないのだから。この子を容認するということは、今の私を否定することだ。
「そんなに弱くて、一体何を救うというの? 一体誰を否定するというの?」
「はは、ちゃんと喋れるじゃない」
苦し紛れにそんなことを口にすると、唯香は動きを止めてしまった。なにか、嫌な予感がする。押してはいけないボタンを押してしまったような、踏んではいけないところを踏んでしまったような、そんな感覚が私を襲う。
ぞわりと、心の奥底から、体の芯の部分から凍えさせられるこの空気。
それは、私が感じたことがないほど強大な”殺気”と”恐怖”だった。
「あああ……うわああああああああ!!!」
突然悲鳴を上げると灼熱の業火があたりを燃やしつくさんとばかりに暴走する。狂い悶えて先ほどまでの冷静さが完全に失われても、それでもなおその少女は美しさを失わなかった。
だからきっと、私はこの子を羨ましいと思うのだ。
それならば、この子を倒せば私は今の私を愛せるかも知れない。この道で間違いなかったと思えるかもしれない。
私は目の前に広がる灼熱地獄を前にしても、このときばかりは笑わずにはいられなかった。
鉄製の剣と特別製の白い槍を両手に迎撃の構えを取る。
「さぁ、どこからでもかかってきなさいな!」
――
「しばらく会わないうちに随分と変わり果てたね、女の子なんだから身だしなみには気を使わないと」
僕は肥大化した飛龍のような化物を見つめている。そこにかつての面影はどこにも見られなかったが、僕はそれが誰だかすぐに分かった。
これは正戦者になるために造られた過祭家の元最終兵器、奈罪だ。
おそらく因子を吸収しすぎて人の姿に戻れなくなったのだろう。おまけに話もできなくなったようだ。相変わらず過祭の造る兵器は胸糞悪くなる。それと同時に、少しだけ怖くなる。
僕も、一歩間違えばこうなるのだと、再確認してしまった。
これは、超えてしまった僕の姿なのだ。
まだ超えていない僕は、それを直視するのが、たまらなく怖い。
それを見てしまったら、僕は人間ではなく化物だと認めなくてはならなくなるから。
「あの時十五だったから今はもう二十歳くらいか。大きくなったもんだな。いろんな意味で」
僕はおどけた口調でそう言うが、反応はもちろんない。そもそも奈罪としての意識があるのかすら分からない。
「なぁ……」
「いくらそれに話しかけても無駄だぞ。もうそれは声帯が退化して言葉を発せない。まぁ、咆哮くらいは出るけれど」
奈罪の後ろからは銀の装飾が施された麗人が姿を現す。
「君は確か……」
「うん、私は君の思っている通り元”流麗”の因子。今はクレイラと名乗っているけれど」
幻龍の遺伝子体を取り込んだ”流麗”の因子。噂には聞いていたが、まさか本当に存在していたとは。
「そうだね。元々私は人間が因子に対抗するために人為的に造られた因子。人工因子と呼ばれるものの原型だ。そして私は他の因子とは違って宿主が死んでしまったり、宿主の体内から離れてしまうと消滅してしまうように細工されていた。けれどこの子は様々な因子を取り込みすぎた。その取り込んだ因子の中には自立顕現可能な因子が含まれていた。それを私が拝借して過祭奈罪の身体から離れることが出来たってわけ」
もっと細かく言えば黒の七因子に対抗するための全機能搭載を実現するための計画の第一段階だと聞いている。それを過祭家が改変、強化して自らの戦力にしたのだ。この”流麗”は全機能搭載人工因子全二十体のうち生き残っている唯一のオリジナルであり、幻の初期体である。
「でも、この子には借りがたくさんあるし、それを返さないまま私だけ自由になるのは少し心苦しいのもあって、こうして一緒に行動しているわけ」
この子も今はもうこんな姿だけどね。と笑いながら話すクレイラは、どうしてか寂しそうに見えた。いや安堵か、それともまた別の感情か。今の僕には判断がつかない。
それもそのはずだ。今クレイラが抱いている感情はきっと、僕が抱いたことのない感情だと思うから。
それだけで、一体クレイラが奈罪をどう思っているのか、理解出来てしまった。
「君が思っているほど余計な感情は持っていないよ。ただこのままだとこの子が可哀想なだけ。ただそれだけだよ」
「…………そうか。それならいいけれど」
僕はクレイラのその言葉を聞くと、愛用の刀を発現させる。
「じゃあ、はじめようか」
半身の体勢を取り、切っ先を奈罪に向ける。
「奈罪、君の世界を解放してあげよう」




