第十八話「天の城が動くとき」
ヴィクトリア・ルイーゼから眺める水平線の先に果てなく広がる大陸が見えてきた頃、後ろから朝の日差しが降り注いできた。丸一日こうして甲板で海を眺めていたのかと思うと、やはりどうにも抑えられなくなってきているのが理解できた。僕は左腕を見る。定着者にしか識別できない紋様が、その手の甲に浮かび上がっては薄れてを繰り返す。まだ僕の中に”漆黒”の因子が定着している証拠である。しかし今僕の中にある”漆黒”という因子は欠片ほどしか存在せず、”漆黒”は意識すら覚ますことのできない状態だ。
僕は視線を右腕に移す。そこには新たに宿した因子の紋様が無数に浮かび上がる。赤、青、黄、緑、紫、藍、橙、黒、白。様々な色の、様々な形の紋様が僕の体を侵し続けている。
早くしなければ。この身が朽ち果て、僕の意識が食い殺される前に。
――全てが満ちるそのときまで、あなたは、私を――
「どうしたの? こんな所で呆けていると風邪を引くわよ」
幼くも我の強い意思が込められたその声に、僕は我に返る。
「ああ、大分早起きだな”黒炎”」
「近くでそんなに騒がれたら誰でも起きるわよ。それに、そろそろ到着ではないのかしら」
先ほどまで遠くにあった大陸も今は眼前に雄大な姿を見せながら横たわっている。もうすぐ目的地であるヤロスラブリに到着だ。僕は息を深く吸い、一度心を落ち着かせる。
体の底の底から、声が響いてくる。
『一度突き放した相手に縋るなんて、滑稽ね』
「だがしかし、これが最良よ。”未恋”さん」
その声に、どうしてか”黒炎”が答える。
「ふん、昨日から全くもってうるさい女だわ。おかげで私、寝不足よ」
不服そうな表情を浮かべるが、しかしどこか嬉しそうな顔にも見える。まぁどんな形であろうと久しぶりに姉妹に会えるのだ。この程度のことは気にならないのかもしれない。
「しかし、”黒衣”ねぇ」
僕は今回の目的である名前を呟く。それは思い出したくもないほど忌々しい名前だ。僕とオースティリィがはじめて顕現に成功したのが”黒衣”だった。けれど、そう簡単には言うことを聞いてはくれず、完全顕現一歩手前で不意を突かれて逃げられてしまった。おかげでこちらは艦船を三隻と因子武装、必死に集めた因子を根こそぎ奪われた。できれば不完全なままでの衝突は避けたかったが、どうやらそうもいかないらしい。
「”黒葉””黒鉄”の二つは現状回収不可能で除くとしても、”黒弓””黒潮””暗黒”の三つは未だどこにも回収されていない”黒”の名を持つ因子だ。しかしその三つ全てが”黒衣”の元にあるとするのなら、これ以上ないくらい追い詰められた状態だ」
「だからこそここで”黒衣”を叩かなければいけない。これ以上因子を回収されるともう僕らでも対処できなくなる。”黒”が五つ以上集まると、この世界は均衡を保てなくなる」
「しかし極限まで高められた”黒衣”に勝てるのか?」
「勝てるさ。僕たちと、”未恋”さえいれば」
――――
「もうそろそろカムラが支配する海域に入る。みんな、準備はいいか?」
ブランデンブルク級ブランデンブルクの甲板には私の班を含めた遊撃中隊が緊張の面持ちで先の海を見つめている。張り詰めた空気の中、どこか気の抜けた雰囲気で立つ班と班長に、私は目を向けた。
「第十八班。もう少し緊張感を持ったらどうですか?」
「とは言っても”撤退支援”なんて、いまいち気合入りませんよ」
相変わらず嫌になるほど爽快な笑顔だ。
これは撤退支援の苛烈さを知らないのだろう。相手からの追撃を受け、作戦で消耗しきった部隊全てを守るのは、並みの隊員にできることではない。かつてルチルチェア中将も後方戦鬼とまで言われた撤退支援のスペシャリストだった。聞いた話によれば中将が参加した作戦において撤退中の犠牲者は常にゼロだったらしい。それがどれだけ凄いことか、私には計り知れない。
私はもう一度諭すように言う。
「作戦においてどんな役割も無駄ということはない。君たちの班は実力が考慮されたからこそ撤退支援なんです。自分の役割もまともにできないなんて、言わないでくださいよ」
その言葉に班長は少しだけムスッとした表情を見せるが、それでも余裕の構えは崩さない。
「大丈夫ですよ。この中隊は必ず全員守ってみせますから」
「目標確認。これより我が第一攻撃部隊は作戦を開始する!」
私のその合図で各班は専用空挺に乗り込み、遥か遠方に見える”空城”カムラに向かって飛んでいく。後方の艦船からは盤上フィールドを展開した部隊が次々と海へと繰り出していく。
「盤上フィールドの展開率は?」
「おおよそ七十三パーセントです。段階的に二層目三層目と展開していきますが、基盤となる一層目の展開が予想より約十五秒ほど遅いです」
「急がせてください。盤上フィールドがないと海上ではほとんど戦えないですから。それと展開後は全班に隔壁展開を徹底させてください! 私はもう出撃しますので、後の指揮は任せます!」
「わかりました! 手筈通りにします!」
私は後方支援部隊長に指揮を任せ自らの班の空挺へと乗り込む。
「”空城”まで全速力でいきます! 城内侵入後は基本攻撃形態で散開後、集結地点Dで合流とします!」
「「了解!」」
私は班員全ての表情を見てから覚悟を決める。この作戦では、絶対に誰も死なせないと。
「よし! 気合入りました! ちゃっちゃと倒して美味しいものでも食べましょう!」
――――
「”黒衣”、インド洋での戦闘が始まったみたいですよ」
男のその一言に私は飛び起きる。殺風景でベッド以外目立った家具がおいていない部屋で一人ぽけーっとしていた私にとって、これ以上ないくらい嬉しい報告だ。
「そこってあれでしょ、”双璧”と”炎熱姫”がいる城でしょ。ちょっと行ってみましょうよ」
飛んで喜ぶ私に、その男は若干冷めたような表情を私に向ける。何だその顔は。私何か変なこと言ったのかな?
「あなたはあまり自覚がないようですが、私たちはこの城の守護を任されている身です。そう簡単にここを離れるわけにはいかないのですよ」
「だってつまらないじゃない、ここの敵。最近はなんだか攻撃も減ってきたし、こっちがわざわざ出向いても手ごたえなさすぎだし」
ここのところロシア軍の主力部隊が機能不全を起こしているらしく、遊び相手がいなくなってしまった。あの姉妹に協力するわけではないが、こんなに面白そうな獲物を独り占めは私が許さないわ。
「……わかりました。ではこうしましょう」
ため息をつきながらも準備をしていたのだろう書類を私に見せる。でも私こういうお難そうな話はあんまり好きじゃなかったり。
「今作戦において私たちは一時的にロシア戦線を放棄、”天城”ブルグシャイドゥンゲンにて”空城”カムラを援護、ひいては相手戦力の追撃を行います」
要は遊びに行ってもいいってことだよね。そんな一言ですみそうなことをよくもまぁこんなに長々と説明されないといけないのか。全くもって融通がきかない男である。
「五分後にはこの空域を離れ、その十分後には作戦海域にて戦闘開始です」
「よし! それじゃ出発――」
「黒炎十式、炎々昇華!」
激しい黒の炎が部屋一面を燃やしつくす。私も障壁が間に合わずもろに炎を食らうが、しかしこの程度の攻撃であればまともに食らったところで高が知れている。私は甘んじてその炎に包まれることにする。
「障壁六式、多角四系」
炎の攻撃が途切れぬうちにどうやら障壁に閉じ込められてしまったようだ。前後左右上下の感覚が掴めずどちらを向いて立てばいいかわからなくなる。
「もう、相変わらずやり方が荒いんだから」
私はそう呟くと、返事が遠くから返ってくる。
「仕方ないでしょう。こうでもしないと言う事聞いてくれないでしょうし」
「”黒衣”は意外と言う事聞くほうだと思うけどなぁ。”黒炎”と違って」
「何を言うの。あなたのほうがよっぽど性質が悪いでしょうが」
わたしは返事を返さず、かわりに薄く笑う。
これは、面白そうだ。
「あっははははははは!! やっぱりこうでなくちゃね!」
そして私の思いが通じたのか、空間自体が動く気配を感じた。
「城が動き出したわ!」
「こいつと一緒にいた男がいなくなってる! きっとそいつが動かしてるんだ!」
「オースティリィと僕は男を追いかける。ここは頼んだぞ”黒炎”」
「はいはい、任されたわ」
どうやら三人でこの城へと乗り込んできたらしい。私はそのうちの二人の足音が聞こえなくなった瞬間、障壁を壊して外へと出る。殺風景だった部屋が崩壊し、灰色の空が頭上に広がっていた。城でも上層にある部屋だからといっても、一撃でこの部屋に辿り着いたと思うと、やはり全因子最強の攻撃力だ。油断はできない。しかしここで余裕を失っては相手の思う壺だ。私は精一杯表情を作ると、相手を見据える。
「あらあら、結構派手にやってくれたじゃないの」
黒く燃えるドレスと、その双眸。今でも目の前に立つと恐怖を感じずにはいられない。私たちが憧れる絶対的な姉。
「そうかしら。これくらい日常茶飯事じゃない」
嫌味ひとつない晴れやかな笑顔。私とは大違いだ。これが本物の余裕とでも言うのだろうか。
「会いたかったよ。お姉ちゃん」
「そう。私はあんまり会いたくなかったわ。だってあなた、結構腹黒いんですもの」
「またまた。お姉ちゃんも会いたかったくせに」
「そうね。本当に会いたくなかったと言えば嘘になるかしら。本当は、もう一度ちゃんと会って、しっかり殺してあげたかったわ」
そして私たちは一通り笑いあい、ぶつかり合う。
「今度は私が地獄を見せてあげるね。”黒炎”」
「ごめんなさい。今回ばかりは”黒衣”の言う事は聞けないの。間違えて殺しちゃっても許してね」




