第十五話「黒衣」
”黒炎”を復活させてから丁度一週間が経ち、僕たちは元ロシア領のモスクワ北東近郊にあるヤロスラブリへと向かっていた。ロシア戦線は世界で唯一人類側が優勢の国だ。しかし国土のほぼ全てを戦場としているので人の住める土地ではないのが現状である。モスクワは今まともな建物さえ建っていない状態であり、僕たちが目指す街は今まさに戦闘が繰り広げられている。
「”黒炎”の復活でみんな目覚めてくれていればいいのだけれど。これで戦火の中に突っ込んでいって誰一人起きてなかったらお笑いものね」
ヴィクトリア・ルイーゼの甲板で冷たい風に当たりながら、僕たち三人は灰色に染まった空を眺める。先の見えないその空はまるで僕たちの未来を暗示しているようだった。
「それに関して言えば問題ないだろ。既に最前線で戦ってるロシア兵どもが持つ『因子』持ちの武装の一部が起動しなくなってるって情報が入ってきてるし、何よりお前自身が一番感じてるだろ」
「固有結界のことかな。まぁ”因子”が元の姿に戻りつつあるのかもしれないけれど、しかし今のままのほうが楽だし、全くみんな何を考えてるか分からないわね」
この世界は徹底的に因子に優しい。僕も若干とは言え因子を含んだ身体になっているから”黒炎”の言うことも分かる。
「それでも、この世界は望んでいたものとは違う」
”あの子”の望んだ世界は、こんな世界じゃない。
「分かってるわよ。私だってこんな世界じゃ本当の願いを叶えられないし、現状に満足してるわけじゃないのよ。むしろちょっと不満だわ」
海の向こう側を見ようと身を乗り出す”黒炎”の表情は僕には窺い知ることは出来なかったが、きっとこいつのことだ、憎たらしいまでに爽やかな笑顔に違いない。
「……僕の中の”これ”のことを言ってるのなら諦めろ。何をやっても絶対起きないよ」
二人とも永遠を願い、延々と夢を渡り歩いているのだから。薄汚れた景色の中でも決して魂は侵されまいと、その身を捨てて”世界”へと旅立ったのだから。
「あら残念。あの子たちとは一戦交えたかったのに」
「それで、次はどいつを叩き起こしに行くんだ?」
「聞いてなかったの? 本当に使えないわねあなた」
「うるせぇ。小難しい話は苦手なんだよ」
「今度の第一目標はロシア第三戦線に配置された”黒弓”の因子武装の回収だ。しかしロシアの戦線には最大の懸案である”黒衣”の因子武装が多数確認されている。出来れば一緒に回収して早めに復活させておきたい」
「あんなじゃじゃ馬、一生あの姿でいいんじゃないの?」
苦々しい表情を浮かべる”黒炎”に僕は同意しかけるが、あくまで”僕たち”が望む世界の実現に必要な欠片のひとつとして復活させるだけだ。行動の自由は許さないつもりだし、なによりあいつは一度復活させてやったにも関わらず僕たちを半殺しにしやがったんだ。幾重にも拘束措置をとるつもりでいる。
「手間が省けるのはいいことだが、俺はどうもあいつが苦手だ」
「お前は因子全般が苦手だろ。強力な抗因子体質なんだから」
武器としてや道具として使用する分には支障は無いのだが、どうにも意思疎通のほうは上手くいかないらしい。
水平線をふと見ると小さいが島が現れた。極寒の地にひっそりと浮かぶ孤島には視覚結界が張られ、どこにでもある無人島に見える。しかし結界の中に入るとその姿は何十倍にも膨れ上がり、巨大な海上都市が眼前に広がる。隠れ都の一つ、エキサドだ。
「もうすぐ供給所に到着する。話はまた後にして停泊の準備をしよう」
――――
ミレミア一等兵、ティデリア一等兵両名の死亡報告が入ってから一週間が経った今日、私たちはついに日本の関東コロニーへと到着した。しかし今のこのコロニーにはかつての繁栄はない。富士支部の有力な兵士を失った関東コロニー西部の守りは瓦解し、徐々に内部を”因子”に侵略されつつある。関西方面のコロニーに救難信号を出そうにも施設を破壊されてしまっている為もう打つ手がなくなっているようだった。私たちが戦闘に参加してもいいのだけれど、それでは問題の先送りでしかなく、私たちがいなくなった後壊滅するのは避けられない。ならばここでは私たちは補給と修繕に尽くし、早めに目的地へ出航するしかない。
私たちに、この国を守る責務も、義理もないのだから。
「行きたいなら行ってもいいんだよ。私は別に止めはしない。この部隊は私のものだが、君の班に限って言えばその範疇にない。あれは君自身が選び連れてきた人材だ。どう使い、何をしようが構わないよ」
「……ここで私たちがいくらマテリアルファクタを斃そうが、何もかもが手遅れなこの状況は変えられませんよ」
私は元繁華街を少佐と歩きつつ、現状を把握していた。酷い有様なのは世界中どこもだけれど、たった今破壊された建物や道路、さっきまで生きていただろう命を流し続けるその死体、灰色に染まり鬱屈した空気が支配した空間。こういった経験は久しぶりだった。いつもなら最前線で殺し殺され命を奪いあう作業に没頭しているから、戦闘の嵐が過ぎ去った後を見ることはない。ここには悲しみが溢れている。寂しさと言い換えてもいい。とにかくありとあらゆる感情が死に、誰も彼もが涙を流している。物にも人にも活気や覇気がなくなり、地獄があるのであればきっとこういう光景なのだろうと思わせるほど凄惨だった。
「君が責任を感じる必要はないし、悲しむなんてこともしなくていい。これは君の身に降りかかった悲劇ではない。これは君とは関係のない人間の惨劇だ。こんな終わりきった場所に思いを致すことはないんだよ。君が救えなかったものと比べるな、これは君とは違う誰かがみんなを救えなかった結果だ」
「そう割り切れる性格をしていれば良かったのですが、私は変わらずどんな悲劇も自分の責任と感じてしまうのでしょう。これは、私の力不足による罰です」
「難儀な性格だね。いや君の場合そのほうがいいのか。誰も信用していない、何者にも心を開かない君だからこそ、全てを自分のせいにすることで精神を保つ。実に歪んだ性格だ」
そんなつもりは……ないとも言えないのが辛い。一体この人は私をどこまで知っているのだろう。私が少佐に拾われて四年経った今でも少佐のことが分からないのに、少佐は私の全てを理解しているようだ。
正直、少し恐ろしい。
この人は、一体どこを見て、何を思っているのか、全然分からないから。
「でさ、アグリア君どこ行くつもり?」
一瞬だけ考え、しかしここで嘘をつく必要もないだろう。この人は、私の全てを知っているのだから。
「……今の私が生まれた場所へ、行こうと思っています」
思い出を、清算するために。
――――
光源のない黒の空間に、私はいる。
何かに固定されているのか、手足が動かない。ここはどこだろう。私は誰だろう。長い時間こうしている気がするけれど、ついさっきここにきたとも感じる。時間の感覚が狂っているのに、時間の間隔は意外と鮮明だったりする。
「……これを開放する事態が迫っている。か……」
「そんなにやばいんですか? 私たち」
声が微かに聞こえる。若い男女の声だ。男のほうは落ち着いた雰囲気に対して女のほうは楽観的というかどこか事態を正確に把握していないような空気を持っていた。まぁ私も私自身の事態を把握できていないのだけれど。
「所属不明の部隊が接近してきている。ランクはSからMといったところだ。用心に越したことはない」
SからM。最低でも上位ランクで、もしかしたら最上位ランクの敵が接近しているらしい。私は知っている。最上位ランクに設定された一人の青年と二人の少女を。
「う……る…………。し…………く」
私の声は二人に届くことはなく。闇に消えていく。そして楽観的な空気を持つ女が、最上位ランクの少女が笑い声を抑えるような声で自信満々に言ってみせる。
「大丈夫じゃないですかね。だってこっちには”黒衣”がいるんですから」




