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フリージア  作者: 和菓子屋枯葉
『無章』
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”漆黒”の因子

 姉に作った朝食と全く同じ(だと思う)ものを妹に食べさせ、綺麗な洋服を着せた後、汗をかいていて不快だったのでお風呂に入ることにした。

 お昼前からゆっくりとお風呂に入るのが、ここ最近の僕の日課になっている。

 こうして湯船に浸かっていると、普通にしているときより頭が冴えるので、考え事などは基本的にお風呂に入っているときにするようにしている。たまにのぼせてしまうが。

「どんなに頑張ってもあと一年以内で耐えられなくなるよな」

 僕の中にあるこの”漆黒”と呼ばれている因子は、僕の体を徐々に蝕んでいく。因子の侵食率が四十パーセントを超えると、自我を失うとされている。それに、因子に定着された人間は、その多くが十年と持たず亡くなっている。

 自我を失うのが先か、死ぬのが先か。

 僕の場合、因子に定着されたのが七年前。そのときからあまり侵食率は変わらないが、最近たまに意識が途切れる時がある。

 きっと、因子が僕の体を乗っ取ろうと必死なのだろう。

 だが、まぁ無理もない。

 ほとんどの場合因子は自分の意思で定着する人間を選ぶ。相性や定着の安定度なども考えて因子は人間を選んでいる。因子も人間にすぐ死なれては困るらしいし。

 しかし僕に定着している”漆黒”は、少しばかり特殊な経緯で僕の体に定着した。簡単に言えば人間に操作されて僕に定着させられている。

 つまり”漆黒”は、早く僕に死んでほしいのだ。

「全く、困ったものだ」

「そうだね。君という人間には困ったものだよ」

 いつの間に僕の目の前に現れたのか、異様に長い黒髪の女性が僕と向かい合うように湯船に浸かっている。

「いったい君はいつまで生きているつもりだよ。私のことも少しは考えてほしいな。君なんかの粗末な体に七年も拘束されているんだぞ。もう耐えられなくなって因子が暴走してしまいそうだ」

 相変わらず神出鬼没な因子だ。

「お前みたいな因子が沢山いると思うと、頭が痛くなるよ」

「貴様なら知っていると思うが、因子の数はそこまで多くない。せいぜい二百か三百くらいだろう。それに私は特殊な因子だ。すべての因子が私のように顕現できるわけじゃないし、人間と対話ができるわけじゃない。まぁ、私の生み出した七つの”黒”の因子はできると思うがな」

 黒葉、黒潮、黒鉄、暗黒、黒弓、黒炎、黒衣。因子の根源と言われている”漆黒”が最初に生み出したとされる七つの因子。今現在人間に定着している”黒”の因子は黒葉と黒衣だけだと聞いている。

「何回も訊いたと思うが、お前ら因子は何故、人間に定着するんだ?」

 さっきまでのつまらなそうな顔を歪ませ、不敵な笑みを浮かべる。

「何回も何回も、それこそ飽きるほど言ったと思うが、私達は別に定着するものが人間じゃなくてもいいんだよ。そこに感情と欲望があればいい。人間はこの世界で一番欲に塗れていて感情の起伏が激しい生物だからね。私達からしたら絶好の標的さ」

「お前たち因子は僕達の感情と欲望を餌にしている代わりに、特殊な能力を人間に与える」

「そう。その能力は因子によって多少の差はあるが、その全てが人間の持つ技術力や知識、想像を超えるものだ。その高い能力と技術のため、因子を持つ人間は社会的地位において優遇される。私達としては破格の待遇だと思っているんだけど」

「幸福の前倒しと同じだろ、そんなものは」

「いいじゃないか、それで。だらだらと何十年も生きるより、幸福な十数年間を生きるほうがよっぽどいい。小さな幸せが少しずつ来るよりも、大きな幸せが一気に来たほうが嬉しいでしょ」

 全く、相変わらず話が通じてるのかどうか分からない奴だ。

「まぁいい。この話は永遠に終わりそうにないしな」

「本来私達は分かり合うべきじゃない。分かり合ってしまえば、そこに人間で言う情というものが生まれてしまうから。この世には知らなくていいこともあるし、知っていても損にしかならないこともきっと必ずある。だから私達の関係は今のままが一番いいんだよ」

 さて、話が一段落したところで、僕はそろそろ上がらないとのぼせてしまう。

 いつの間にか”漆黒”は消えてしまっていた。いなくても全然構わないけれど。

「ひとつ、訊きたいことがある」

『なんだ』

 頭の中で、”漆黒”の声が響く。

「どうして、僕の侵食率は七年前とほとんど変わらないんだ?」

 ずっと疑問だった。

 普通なら一年で約五パーセントは体を侵食される。そして侵食率が四十パーセントを超えると、人間としての自我を保てなくなり、因子体と呼ばれる世界に災厄をもたらす存在となる。

 だが、僕の場合定着した経緯も特殊なら、侵食率も特殊だ。

 七年前。僕の体に”漆黒”が定着したそのときすでに、侵食率は三十パーセントを軽く超えていた。順調に侵食が進めば僕は一年足らずで死ぬはずだった。けれど一年経っても二年経っても、僕の侵食率が上がることは無く、この年まで生きている。

「お前は前に言っていたよな。因子の侵食は無意識の現象であって、決して因子が意識的に行っている行為ではないと。なら、どうして僕の侵食だけが進まない。本当に侵食は無意識の現象なのか。お前自身が侵食進度に制限をかけているんじゃないのか」

 僕の問いにはすぐに返答する”漆黒”も、今回ばかりは押し黙ってしまう。

 しばらく返事が無く、この話はもう終りかと思い風呂場から出ると、脱衣所には正装である黒々としたドレスを着た”漆黒”が立っていた。

「貴様の言った通り、特殊な因子である私は人間への侵食進度を制限できる。だが、制限ができるだけであって、決して止めることはできない。そして、貴様への侵食を制限しているのは、そういう約束だからだ」

「約束?」

「貴様には関係ない」

 それははっきりとした拒絶だった。

 これ以上この話を続けると今この場で殺されそうな雰囲気だ。

「まぁいい。話はこれで終りだ。さっさと消えろ因子」

「言われなくても消えてやる人間」

 黒い異物が消えて、脱衣所には僕一人になった。

 僕が”漆黒”の因子を定着させる理由はあるが、因子が僕に定着し続ける理由はほとんどない。さらに言えば僕への侵食を抑える理由なんて無いはずだ。

 じゃあ、いったい誰が僕への侵食を抑えるように”漆黒”と約束をしたのか。何故”漆黒”は僕を生かし続けているのか。いくら考えても、分からない。




 お風呂から出た後、しばらくリビングのソファに座りながらテレビを観て、お昼を少し過ぎたあたりで昼食を作ろうとキッチンへ向かおうとした瞬間、インターホンの音が鳴った。

 僕は時計に視線を移す。午後一時半。

「まだ少し早いけど、御崎が来たのか」

 午後から一緒に課題をする約束はしたが、時間通りに来てほしい。こっちにも事情があることを理解しているのか、あいつは。

 僕はゆっくりと玄関まで行き、何のためらいも無くドアを開ける。

「御崎、約束の時間にはまだはやい……」

 そこにいたのは、深紅のドレスに身を包んだ因子が立っていた。

「始めまして”漆黒”様」

 赤い因子は深々とお辞儀をしたあと、笑顔で言った。

「早速、死んでください」




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