第五話『こころとからだ』
「人の死は、どんな芸術よりも美しい。そうは思わないか」
空間全体が見渡せないほど薄暗く、どこからその声がするのかも分からなかった。しかし、声には覚えがある。殺鬼だ。完全に気配を消して闇に紛れた殺鬼さんは、誰にも視認することは出来ない。僕は全方位に注意を払いながら答える。
「僕は死そのものを許容しない」
「そうか。君なら分かると思ったんだけど。なぁ”未恋”よ」
それが僕に向けられた言葉だと気付くのに、大分時間を要した。
「未恋さんはもう死んだ。死者がこんな場所にいるはずないだろ、殺鬼さん」
僕は動揺しないように必死に平静を保つ。
「未恋さんの最後はこの僕自身の目で見た。あれで生きていたらあの人はもう人間ではない」
そうだ、未恋さんはもう死んだ。ここにいるはずない……本当にそうだろうか?
「ここは君の本当の姿を映す場所だ。存分に今の自分を見てくれたまえ」
空間に光が差し、辺りがはっきりと見えるようになった。
そこは、鏡が乱立する空間だった。
「なんだ……これは?」
目の前の鏡に映ったのは、髪の毛が異様に長く、血色の外套を羽織り、一振りの白い刀を握っていた。
右を見る。
そこには夜のように暗い色の服を着た自分が立っていた。これは見たことがある。過去の自分だ。黒の殺戮と言われていた時の姿だろう。今こうしてみると酷く醜い姿だ。吐き気がする。
左を見る。
そこには全く見たことがない白い少女が立っていた。その後ろには”漆黒”も映っている。
「それぞれ過去や未来、潜在的な自分の姿や本来の自分、自分の中にいるものなどを映してる。それを見て、今一度自分が何者なのかを考えたまえ」
殺鬼は姿を見せず、僕に語りかける。
「おい人間、こんな場所で時間を食っている場合ではないぞ。さっさと邪魔な鬼神を殺して先に行くぞ」
顕現し、慌てたように先に進ませようとする”漆黒”。まるで僕に鏡を見せたくないかのように視界を覆う。
「何を慌ててるんだ”漆黒”。お前らしくないぞ」
僕は冷静に返す。
目の前にあった鏡は、多分未来を映している。それでなければ潜在的な自分の姿か、可能性は低いが平行世界の自分もありうる。
そして右は過去。何もかもが最高値を叩き出していた、正に全盛期と呼ぶべき時代の自分の姿だ。戻りたいとは思わないし、今後も思うことはないだろう。それくらいあの時は酷かった。
問題は左に映った自分。そもそもあれは僕なのだろうか。もう一度左を見る。けれど、白い少女の姿を映したその鏡は、もう何も映さない。
「漆。この場にある鏡をまともに見るな。戦えなくなるぞ」
「少し黙ってろ因子」
僕は考える。
僕はどうしてここにいる?
そうだ、姉を救い出すためだ。
けれど、それが全てか?
いや違うはずだ。僕は何かに呼ばれたような気がしたんだ。鬼神の屋敷を去る前に、透き通るようなあの声に導かれたのだ。
あれは、誰だ?
会ったことは、ないはずだ。
本当に?
白く、透き通っていて、今にも消えてしまいそうな、あの少女を、僕はどこかで見たことがある?
考えろ、あれは誰だ?
「――――れて――ね。仕方の――。それじゃ――」
声が、どこか遠くから聞こえる気がした。
「君は本当に鬼神の血を、鬼神の智を入れただけで、因子の侵食が止まると思ったのかい。そう思っていたのなら大間違いだ。確かに私達鬼神の智、つまりは叡智を君の体に入れることで間接的にだが侵食を止めた。けれどそれは直接的な原因ではない」
殺鬼はなおも姿を見せず語りかけてくる。
おかしい。何かが引っかかる。
殺鬼はどうして僕を殺しに来ない。
”漆黒”がいるからか? いや、そんな理由であの殺鬼が未だ姿を見せず、語りかけてくるだけということはありえない。
ならどうして?
「……僕に、何かを、思い出させたい?」
いや、少し違う。何かが間違っている。
「漆! それ以上は考えるな!」
”漆黒”の言葉が、なぜか遠くから聞こえる。
僕は辺りを見渡す。
どれだけ探しても”漆黒”は僕の近くにはいなかった。
「ここだ漆!」
僕は真上を見る。そこには鏡の中で夜叉の如く猛り狂った”漆黒”がいた。
「だから何も考えるなと言ったんだ! これは、お前が行おうとした自身の強化策だろう!」
そうだ。この世に複数存在し、鬼神の前身と言われる化物の一族が持つとされる【隔絶の鏡】を使用し”漆黒”と自分を引き剥がして、個別に強化することで万が一どちらかが戦闘不能に陥った場合でも、各個撃破ないし集団圧倒が出来るようにするためだ。そして互いが存在するという安心感を、一度リセットすることで戦闘時の集中力や能力の精度などを高めることが出来る策が、この策だ。
僕が奈罪から引き剥がす方法があるかもしれないと言われたときに、真っ先に思いついたのが、この【隔絶の鏡】を使用した方法だ。
この策にはもちろん限界がある。
そもそも因子をその身に定着させた人間が、無理矢理因子を引き剥がすと拒絶反応を起こして死亡する場合がある。それにもし引き剥がすことに成功しても、再び定着させるときに侵食が一気に進んでそのまま死亡することもある。
数え切れないほどのリスクがあって、それに見合うリターンはあるが、そもそもの前提として普通の人間ならこんな策は思いつかない。この策は正に策死なのだ。
「引き剥がされたのを理解したときには、もう手遅れなんだよ」
殺鬼の声が遠くに聞こえ、かつ姿を現さなかったのは、”漆黒”と一緒に、向こうの空間へ行っていたからだ。
「さぁ漆。自覚するんだ。自分が何者なのか」
自覚? 僕は僕だ。他の誰でもない僕だ。
「君は本当に”キミ”という人格があると思っているのか」
僕は、誰だ?
「”キミ”は未恋が意識を取り戻すまでの”代替品”だ」
代替品? 僕が?
「亜麻神の一族は、万が一未恋、つまりは”世界変革の一人”の肉体が消滅してしまった時の”意識の依り代”なんだよ。”世界崩壊の三者”と対を成す未恋の意識、能力、知識などは全人類の命と天秤にかけてもまだ足りないくらい貴重なものだ。代替品くらい用意しているさ」
「喋りすぎよ、殺鬼」
僕は、無意識に声を出していた。
「こうして貴方達の思惑通り私は意識を取り戻した。文句はないでしょう」
勝手に声が出て、勝手に体が動く。
「もうすぐこの子の意識は消えちゃうし、何を言ってももう手遅れ、でしょ?」
「……それもそうだな」
「それで、こんなに早く私の意識を叩き起こして、一体何をさせるつもり?」
「ただの保険の意味合いが強い。けれど、強いて言うなら、世界を作り直すための役者、かな」
「何それ面白そう。けど私、気持ちよく寝てるところを無理矢理起こされるのが一番嫌いなんだよねー」
「……何が言いたい」
「つまり、貴方達全員ぶっ殺す」
「そうなると思ったよ。もちろんそうなるとこも想定済みだ。それを計算に入れた上で君を起こしたんだから」
「それじゃ、早速貴方から、食い尽くしてあげます」
「さて、役者は揃いつつある。”世界変革の一人”を呼び起こすことには成功したが、果たして史上最も邪悪な災厄が、このあと耐えられるかが問題だな。混沌の種も、あんなところで殺されなければいいが。いや、今一番問題なのは、世界を滅ぼす元凶の方か……殺鬼はああ言っていたが、あの子がそれを使いさえすれば、赤も鬼神も敵ではないのだがな」
「ねぇ、あの子は、まだ来てくれないの?」
「もう喋れるまでに意識が回復したのか」
「それより、私の”半身”は?」
「心配いらんさ。もうすぐ自覚する」
「ああ、私の愛しい子。早くこの私の元まで来て、私に食われなさい」
今回物理で戦うというより精神攻撃でしたね。
次回はそのまま殺鬼対漆黒対未恋をしたいのですが、重要な奈罪の方の戦闘にしたいと思います。




